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月々のノルマのように男達とご飯に行くことを辞めた
私は、焦っていた。
ずっと、決まったパートナーがいないという事実に。
思い返せば、数年前からだと思う。
そのころ周囲では、経済的に安定したイケメンとタレント仲間が付き合いはじめ、同棲などを始めていた。
女子会では「How are you?」の代わり「それで、あの男とどうなった?」という言葉が、常套文句として使われるようになった。
周囲の女友達がこれだけ男性と関わっているのだから、早く私も「その波」に乗らなければいけない。
そして女子会では良い話題を提供し、公私共に順調な日々を送らなければいけない。
半ば強迫観念にも近い気持ちが、芽吹きつつあった。
■
2015年。私は、そんな思いを抱えながら25歳になった。
タレント業と平行してライター業も行うようになり忙しさが加速したことで、男性との良縁が離れていっている気もしていた。
中途半端に正義感があるから、仕事の手は一切抜けない。
けれど、男性との出会いも大切にしなければならない。
そんなチグハグな思いから、貪るように「良い人いたら紹介して」と周囲に言い続けた。
身体が追いつかなくても、男性とのご飯に行き続けた。
私は仕事が忙しくても、こうして男性と会う時間を頑張って作っているんだ。
その事実が、自分自身に免罪符をくれる。無理にでも「仕事と男の調和」をとらなければ、人として終わっている気がしていた。
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その間も周辺では、IT系社長や代理店、メディアの仕事をする男性とタレント仲間の友人が付き合いはじめ、「ご報告」と題しブログで入籍報告を行っていた。
いつしか、Twitterのタイムライン上で「ご報告」という文字を見ただけで、気持ち悪くなるようになっていた。
だが、どんなに焦っても、自分自身の恋活・婚活は上手くいかなかった。
そんな私の様子を目にして、気を遣ってくれた友人も何人かいた。
だが、気を遣われて誘ってもらった飲み会に素敵な男性がいても、なぜか私は、その人の前で上手く自分を表現することができなかった。
対策を練るため恋愛指南書を読み漁ったが、どの本にも、
「出会いがないと嘆くならば積極的に相手を誘って、自分からチャンスを掴むべし」
といったことが書かれていた。額面通り「積極的にいかなくてはダメなんだ」と受け取り、その言葉を盲信することにした。
新規の男性と積極的に会う→自分を取り繕って話をする→翌日「昨日はありがとうございました。今度、ご飯行きましょう」という文言をコピペのように送る。
そんなルーティーンを、ただ繰り返した。
そこにあるのは、虚無だった。
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知人に頼るだけでなく、個人でも積極的に活動した。
定期的に男性を食事に誘い、スケジュール帳に「◯◯さんとご飯」という予定を書き込む。
そして、男性と共に食事をした日の記録を付けていく。
更に、その日から数週間以内に、今度は別の異性と食事に行く日程を書き込む。月末、スケジュール帳を見返して「今月はこれだけ収穫があった」と自分自身に言い聞かせた。
月々のノルマのように、私は「男性とご飯に行くこと」を諦めなかった。
ただただ、自分自身を安心させるために。
だが、何度かデートのラリーが続いても、その後、深い関係になる男性は現れなかった。
当然のことだろう。
私自身が「会いたいから会う」のではなく「ノルマ達成」のために会っているのだから。
周囲からの同調圧力も相まって、いよいよ頭がおかしくなりそうになった。
■
そんなある日。30代前半で数十人の従業員を束ねるイケメン社長をご飯に誘った。
深い時間まで食事を共にし、お酒も飲み、二軒目には彼行きつけのバーに連れて行ってもらえた。
アルコールが入っていたこともあり、そこで私は積極的にボディタッチを続けた。
ところが、あろうことか向こうからは「そういうつもりじゃない感」がヒシヒシと伝わってきた。
そんなはずは、ない。
「女性からのアプローチを嬉しく思わない男性はいない」という古典的思考がエラーを起こしたことへのショックが、電撃のように走った。
私は余計に焦り、遠慮なくベタベタと相手に触れ続けた。
彼の唇が僅かに歪んでいることにも、気づかないふりをして。
その日の明け方、会計を済ませ渋谷駅改札まで送ろうとしてくれている彼に対して、さらにしつこく
「まだ一緒にいたい」
と、私は吠え続けた。
ふと軒下の窓ガラスをみると、皮脂でじっとり額がテカり、落ちたマスカラで目の下が真っ黒になった醜い女がいた。
ギリシア神話に登場する怪物・メドゥーサのような女、それは私自身だった。
彼は優しく私を促し帰っていったが、未だ酔いの冷めない私は
「あの男は、なんでこんなチャンスを逃したんだろう…」
と傲慢に考え続け、そのまま始発の電車に飛び乗って帰宅した。
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翌昼、自宅のベッドで目が覚めた。その頃には酔いもだいぶ冷め、冷静な自分がいた。
なんだか嫌な予感がしてスマホを開くと、メモ帳アプリに、数時間前の自分から今目覚めた自分へこんなメッセージが記されていた。
「数時間後、目覚めたお前は、酔ってしつこくしたことを後悔するだろう。でも、大丈夫だ。いける。このまま積極的にアプローチを続けろ。後悔するな」
もう、その執念が、しんどかった。
部屋に戻ってきてからの明け方の記憶は無い。だが、数時間前の自分が必死になって背中を丸め、鞭打つように「自分を否定するな」というメッセージを打ち込む姿を想像するのは容易い。
相手の男性に、しつこくしたことへの謝罪の連絡をすると、「あまり自分を安売りするな」と想定していた内容の返信がきた。
アッサリとした言い方だった。以来、相手からの連絡は途絶えた。
私の浅はかな性的アプローチに対し、彼は、それを見破った。
なんか、もう、限界だった。
■
この春、私は、3年勤めた会社を辞めてフリーランスライターになった。
前職の会社ではライターとして随分と魅力的な仕事に関わらせてもらったが、会社員として「自分に向いていない業務」にも関わらなくてはいけなかった。
ところがフリーになってからは、自分のやりたいことをして生活していくように心がけている。
すると、自分の中で変化が起こった。
「ノルマご飯会」の暇が無いほどに、原稿を書くことが楽しくなってきたのだ。
私はどんどんと仕事に夢中になり、気がつけば「良い出会いがあればそれはそれで良いし、なくても自分はひとりで生きていける」と感じるようになった。
「ノルマご飯会」でスケジュールを埋めることは、無くなっていった。
すると、本来重要視すべき「相手の話をきちんと聞く」ことや「自分自身の夢や目標について相手に説明する」ということが出来るようになった。
それまでは、「どれくらい経済的に安定している男性なのか」とか「結婚したら養ってくれるのかどうか」という思考が常に会話の深部にあったから、相手を減点方式でみていた。
自分がそのスタンスなのだから、当然、相手も疲れていただろう。
そして現在。
「様々な媒体にライターとして顔を売り込み、良い原稿を書きたい」
とか
「◯◯という媒体で連載をやっているのだけれど、それが凄く楽しい」
そんな野望や発言を、さまざまな食事の席で真っ直ぐな瞳で言うようになった。
今度は下心なく、本当に仕事が楽しいからこそ、する発言だった。
すると、少なからず以前より男性側から受け入れられるようになった気がする。
また、こちらが追わなくなったことで、誘いの連絡が頻繁にくるようになった。
■
一連の経験から、最近、気づいたことがある。
それは、「自分のしたいことをしている人は、誰でも魅力が出てくる」ということだ。
自分の価値を自分で決めている女性のことを好きになってくれる男性は必ず現れる。
だが、自分の価値が他人に決められている女性は他人にも愛されず、自分のことも愛することができない。
あの頃の私は、恋愛指南書に書かれている言葉とおりに行動した。
しかしそれは、「自分をしっかりと持ち、今後の道標がしっかり描かれている女性」が行うからこそ魅力的に映えるものである。
自分ひとりでも生きていく覚悟のなかった私が、いくら積極的に行動したところで、その対価は得ることができなかったのだ。
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そのことに気がついてから、生きていくことが俄然、楽になった。
もう、「ノルマご飯会」は廃止する。
そうではないと、明け方に渋谷の改札で「まだ帰りたくない」とのたうち回るメデューサ女の亡霊が報われないから。
最後に、最近読んだ本の中から、一小節を貼り付けておく。
「女は、花が自然に開いているような感じで存在するのが美しい。そういう存在の仕方そのものが、すでに布施のひとつであると思う」(瀬戸内寂聴・著『愛することば あなたへ』/光文社)
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