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以という字の由来

「以」という字はどこが偏でどこが旁なのか、構成要素が分かりにくい字です。どのような成り立ちで現代の形となっているのでしょうか。

時系列で見る字形演変

甲骨文字:以

手に物を持った人. 自筆.(キャラクターは中国うさぎ)

以という字は、生まれた時から現在と同じ形をしていたわけではありません。甲骨文では手に物を持っている人を象っており、本義として何かを持ち上げる、持ち運ぶなどの意味を持っています。しかし、その本義の用法で使われることは減り、後代では機能語として用いられることが多くなります。機能語とは、文字通り意味を持たず、文法上の機能のみを持っているものを指します。以という字は、中国の標準語である普通話では主に「~で、~によって」という意味の前置詞として使われます。

きのう‐ご【機能語】
〘名〙 文中の連辞間や文と文の間で文法的な関係を示している語、すなわち助詞、前置詞や接続詞などをいう。ヨーロッパ諸語に見られる冠詞もこれに含まれる。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典より
以. 甲骨文. 自筆臨書.

金文:㠯

時代が下り、文字が青銅器に記されるようになると字体の変化が生じます。字体とは、ある文字をどの字種であるのか認識することを可能にする字の骨組みのことで、字種によってはそれが複数存在します。それらの骨組みの中から正しいとされ選び出されたものは正字、それ以外は異体字や俗字などと呼ばれます。

字体は,文字の骨組みのことである。文字の骨組みとは,ある文字がその文字として認識される字形のバリエーションの範囲を枠組みとして捉えたときに,その枠組み内にある様々な字形に一貫して表れている共通項を抽出したものである。

文化庁(2015)「常用漢字表における字体・書体・字形等の考え方について」より引用

金文では甲骨文の「以」の字体のうちの「人」が省略され、「7」の形の曲線と楕円、もしくは縦線と楕円の組み合わせで表されるようになります。この字体は「以」と区別され、「㠯」と表されます。

㠯. 不基簋. 自筆臨書.

楚簡:㠯

㠯. 上博竹書. 自筆臨書.

時代が下り、戦国時代になると竹簡木牘の出土が増え、字形は筆で書きやすい形へと変化します。出土した楚の竹簡では、㠯の字形がひらがなの「し」の最後を大きく丸めたような形になっています。隷書より前の時代の漢字の筆画は曲線に富んでいることが特徴です。

秦漢簡牘:㠯、以

以. 北大漢簡老子. 自筆臨書.

簡牘は秦、漢の時代にも出土し、記録媒体の主役であったことがうかがえます。篆書では円で表されていた以の左側の構成要素が、三角形や四角形で表されていることが特徴的です。また筆画の曲線が減り、直線で表すことが増えたため画数が全体的に増加しています。以の字体は甲骨文字の頃のものに戻っており、辛うじて原義を認識できる形になっています。

隷書:以、㠯

以. 肥致碑. 自筆臨書.

隷書の石碑記録では以の左側が、主に四角形で表されています。ですが画数の省略も頻繁になされ、以の左側の上の一辺がない字形も見られます。このころの略し方を見ると、楷書にあるような書き方の決まりはなかったことが分かりますね。なぜなら二画目で縦画を描いた後、そのまま右から左に進む横画をつなげて書いているからです。楷書では、横画は左から右に書くことが当たり前ですから、意外に感じられますね。このような書き方を見ると、楚簡のような篆書に近い書法を感じますね。

㠯. 韓仁碑. 自筆臨書.

また、金文で見られた「㠯」の字形も、少ないながらも隷書に見られます。曲線が排された隷書らしく、全て縦横の直線によって表されています。そのせいで非常に画数が多く、筆画の線が長い字形となっています。隷書になってから「以」の字体が好まれるようになったのは、文字を書くのにかかる時間が関係していそうです。

㠯. 王舍人碑. 自筆臨書.

楷書:以

楷書になると漢字はさらに簡略化されます。横長だった隷書とは異なり、字形は縦に長くなっています。それは以も例外ではなく、縦長な字形に変化しています。そのほかにも、隷書では筆画同士の距離が近かったのに対し、楷書では字の中の空白が大きくなっています。そして隷書までは原義が分かりましたが、楷書になると、もはや原義は認識不可能になっています。それは以の左側がもともと円形だったことを、我々現代人が知らないことからも明らかです。

以. 褚遂良·倪寬贊. 自筆臨書.

「台」との意外な関係

台. 鼄公華鐘. 自筆臨書.

現代で使われる台という文字は「臺」の略字であり、古代に使われた台という字とは全くの無関係です。金文の台はその字形から分かるように、以という字と関係が深い字でした。台と以は、音と意味が共通しており、同じ字種の文字として扱われていたのです。字典が作られると、様々な字体から正字を選び出すようになり、異体字の数が減らされていきました。多様な字体のうち少数の字体が現代に伝わった結果、歴史の中で忘れ去られた文字も多いのです。その忘れ去られた字が、略字として再利用されたことで、台が現代の意味で用いられるようになったのです。

まとめ

以という字には、異体字が二つあり、そのうちの一つである「㠯」は金文と楚簡の時代に主流となり、その後の隷書の時代まで用いられました。一方、「台」は金文の時代に少し用いられた後忘れ去られ、現代の我々の間では、全く意味が違う漢字の略字として使われています。このようにして以を表す漢字は一つに統一されました。漢字の字体や字形は様々に変化を続け、現代の楷書に至っています。甲骨文字で主流だった字体が使われなくなったかと思えば、後代で主流になるなど、予想に反することが起こるのが面白いですね。このように順を追って文字の変化の歴史を見てみると、興味深い発見がいくつもあります。それではまた次回。

参考サイト

漢語多効能字庫
書法字典
33書法


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