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愛知県漂流だったころ1〜八画文化会館vol.6 特集:レトロピア岐阜 勝手に新刊発売記念企画〜
また、愛知県に戻ってきてしまった。
あのころ私を支配していたものは何だったのか、何に突き動かされて街を奔走していたのだろうか。
今、こうして、この街に再び戻り、もう一度、暮らしをはじめようとしている。
違和感はいずれなくなるだろう。これまで、どこで暮らしていてもそうだった。
やがて、慣れる。それまでのガマンだ。
歯医者で銀歯を詰めるだろ、あの感じだ。
マスクをした歯科衛生士のお姉さんに「違和感
恥ずかしくって、表紙を裏にして買っちゃいましたよ
愛知県漂流編集部は、男ばかりだったけれど、時々女の人も来てくれた。イラストレーターの人だったり、大学で美術を勉強しているという学生さんだったり、編集部員の彼女さんだったり、おもしろそうだからってのぞきに来る女の子もいた。
ある女の子は、まだ学生で、ここいら辺では、とても頭のいい大学に通っていた。明るいクリーム色のタイトなカーディガンを着て、いつもニコニコ笑っている感じ。本当によく笑ってくれ
最初の出会いは、名古屋の映画館シネマテーク。
愛知県漂流との最初の出会いは、名古屋の映画館シネマテーク。
映画が始まるまでの待ち時間に見つけた雑誌。漫画雑誌ガロや、フランス語か何語かわからない外国の雑誌と並んで、愛知県漂流創刊準備号はそこにあった。
まだ発売もされていない雑誌のサンプルが棚に並んでいたのだ。
シネマテークというのは、小さな映画館で、興行ランキングには出てこないし、テレビでCMはしてないけれど、ラジオで聞いたあの
八画文化会館の「矛盾不純」に黙っちゃいられない。
20年が経ったのだ。
愛知県漂流の立ち上げは、1997年秋だとされている。学生時代からの仲間が集まって、編集集団を作ったのがはじまりだ。
学生時代に、家族よりも長く同じ場所にいて、しゃべり、笑い、同じ時を過ごした仲間が、大学を卒業し、社会人となり、それぞれの生活がはじまると、やがて、世間の誰もがそうであるように、いつかはバラバラになっていく。
人は、それを懐かしみ、失いたくない貴重な宝物のよ
note,はじめました。
夏ですね。