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ここ数日 心が揺らいでる。




一昨日に突然入ったニュース。



政治には詳しくなくていい大人が情けなく細かいことはわからない。だけど、夕方に亡くなったニュースが流れてきて、勝手に涙が溢れた。



心がきゅーとして手が震えた。涙が止まらない。


こんなことは初めてだった。


こんな世の中になり有名人の自殺やコロナでの死をよく目にしたけど、ここまで揺らいだことはなかった。


死に敏感ではあるけどどこか冷静で、病気での死は自然の力でどうにもならなかったり

自殺については、自分も命を絶ってしまったほうが楽になれるのかなと思ったことがあるから、なんで死んでしまったのって周りが軽々しく言えるものじゃないって思ってた。


命を絶つことほど悲しい結果はないけど、それでもその人の中では精一杯の選択だったのかなって、自分がそうだったから思ってしまう。

死との関わり

なぜだかわからないけど、私は小さい頃から死んだ後に自分がどうなるのかっていう感覚、自分が居なくなって遠くから宇宙が見える感覚がある。


なぜかはまだわからない。



その感覚を持ったまま始めて人の死にふれたのは、専門学校を出て初めて会社勤めした時の上司だった。


突然の不慮の事故。自宅での転倒。


昨日まで当たり前に居た人が突然居なくなった。

その上司とは4年ほどで、直属でもなく関わりはそこまでなかった。


それでも初めての人の死に関わり、初めてのお葬式。

誰よりも号泣した。
立てないほどに崩れ落ちて、私よりもその亡くなった方と深かった人に支えてもらったの記憶がある。


祖父の死

次に人の死に関わったのが、母方の祖父の死だった。5年ほど前になるだろうか。


肺がん。分かった時にはステージ4。末期だった。

治療をしながら入退院を繰り返した。一時は良くなっても段々と衰弱していった。

悲しさはあったけど心の準備をする期間があったからなのか、死自体を受け入れることは出来た。



それよりも祖父の死により荒れた家族。


祖母と母は喧嘩をし、母が祖母を残していったことを祖父の遺体を前に叫ぶ。



妹は母に何か言われたのか物を投げ壊す。



兄は死を受け入れられず
祖母は体が不自由でお葬式の取り仕切りが出来ない。

母は世間知らずで段取りが取れない。


ぐちゃぐちゃだった。

誰のためのお葬式なのか。祖父を心から見送ってる人はいるのか。祖父より自分たちで精一杯の家族に、私は違和感だった。


また、母には姉がいたが27歳の時に子宮がんで亡くなっていた。祖父の初七日の時に、亡くなった母の姉もちょうど何かの区切りだったらしい。


お坊さんがその事を祖母と母に声かけたが、何にも反応しない2人。



あぁ、この人たちはまだ亡くなった母のお姉さんの死にも向き合えていないのか。。



そう思いながら私はお経の最中泣いていた。


旦那の病気が発覚

去年の夏、旦那の病気が発覚した。


心臓病だ。

今すぐどうこうではないが、医療の手を借りないと生命に関わる。そしてこれから一生死ぬまで付き合うことになる。



まさかこんな身近で、何より実家に頼れなくて旦那が私の支えであり中心になっていた中で命との向き合い。

生きられること、当たり前なことが当たり前じゃないと本当に感じた。

今回のニュースとのつながり

私はきっと、あるがままの死についてはどこか受け入れやすかったとしても、突然命がなくなること、理不尽に命がなくなること

そして、
残された人たちにわだかまりが残る様子が想像できる死に動揺するんだと思う。



もともと死に敏感なうえに、人の手が加えられた突然の死。




人は突然どうなるかなんてわからない。


そして普段からちゃんと向き合っておかないと、周りは処理できずきちんと送ってあげることもできない。



残された人たちに出来ることはなんなのか。



突然、人の手によって奪われた死には何の意味があるのか。




そんな考えてもどうしようもないけど、いろんなことが頭を回る。もどかしさだけが心に残る。

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