あおい

心の置き場。

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育った家庭を手放した話し

去年の夏、7月終わりだったと思う。 私は母親を突き放した。 もう家族に関わるのが辛い。 連絡をとりたくないと。 母親からはその瞬間、謝りたいの連絡が止まらない。 「謝りたい、一度電話できないか」 と連絡が来るが 「謝ってもらいたいわけじゃない。その代わり今まで私が背負っていたものに自分で向き合って欲しい。話すことは何もない」 旦那に隣にいてもらいながら、潰れそうな気持ちをなんとか保ちLINEを返した。 母親と祖母は昔から仲が悪く未だに揉めている。 お互いに憎し

    • なぜ産んだ。先祖に感謝と言われても

      いつからだったか。 家にある先祖供養に しばらく手を合わせることが出来なくなった。 うちの主人は次男。 私も嫁に出た。 お仏壇など家にない。 母方の家は今までの記事にも書いたように 後継問題がゴタゴタ。 祖母の家には 若くして亡くなった叔母の仏壇がある。 すごく立派な大きいやつ。 今もその仏壇は放置されているのだろうか。 母方の実家は後継が必要で 祖父も祖母も貰い合わせ。 後継のための結婚だったらしい。 そこに生まれた叔母と母。 男の子は生まれなかった。

      • 同じ場所に生きているのにね

        当たり前に交わされる会話 家庭を持つこと 家族を作ること 親の介護をすること 孫の面倒を見ること どんな仕事につき 今後どうしていくのか 私には 両親が揃ってることも 子どもを持って家族を作ることも 親戚がいる感覚も 人とが繋がっている感覚もわからない 同じ時間を生きながら 住む世界が違うと感じる 目の当たりにする 母親と会えない感覚 ただ仲が良くないんじゃない 会えない 連絡が来ようものなら 発作が起きる 父親に頼れない 夫が命の関わる手術をした

        • 父親との再会②

          勇気を振り絞った電話で 否定され続けた私。 それでもここまで意を決したから 引き下がるわけにもいかない。 引き下がったらまた母親の洗脳のままだ。 私はなんとか 父親と会う約束をした。 でも、1人ではとてもいける気がしなくて 主人と行くことにした。 向かうまで吐き気が止まらなかった。 父親の自宅に着き 再会。 電話の時のきつい口調はなく 穏やかな父親。 離婚後に一度だけ来てくれた時の面影は 正直ない。 いつのまにかおじさんだ。 父親って言うより、他人のおじ

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        育った家庭を手放した話し

          父親との再会①

          両親は私が小2の時に離婚。 突然父親が出て行った。 4つ上の兄には 「どちらについてくるか」 の問いかけがあったらしい。 私は全く記憶にないが 聞かれていたのだろうか。 私の記憶では 夫婦喧嘩の延長でそのまま父親が出て行った。 最後の挨拶はなし。 父親と再会して聞いた話では 父親はそのあと母親に連絡したが取り合ってもらえず、家の外から見ていたこともあったそう。 家を出てからどれくらいかは分からないけど 半年とか1年以内に、母の不在時に父親が家を訪ねてきた。

          父親との再会①

          どうしたって拾えない

          状況が進めば進むほど どうしようもないってところに 辿り着く。 必要なことはわかっていても それが出来ない。 可能なところに持って行けない。 理解されないことを理解して 自分で受け止めないといけない。 どうしたって拾えない 子どもの私を。

          どうしたって拾えない

          自己犠牲という支配

          いつからだろうか。 生きる意味 みたいなものを そこまで考えなくなったのは。 自分と向き合うようになってから というか 無意識的には幼少期から感じてはいたけど 去年の自分の誕生日あたりまでは 自分の価値的なものをすごく考えていたと思う。 いつからかはっきりとは分からないけど 気づけば 生きる意味みたなものは 考えるのを辞めていた。 自分の存在価値も 気にしなくなりつつあったとは思う。 それでも 染み付いた感覚というものは怖いもので。 自分でも気づかず沼にハマっ

          自己犠牲という支配

          いつまで

          いつまで続くのだろう。 体の反応が出るたびに 自分が抱えているものに頭を抱える。 どうしたって 自分でどうにかできるものじゃない。 頭ではわかってる。 体の反応。 脳の異常。 ちょっとした出来事が引き金で 全てがもっていかれる。 出来事よりも 感覚が異常反応してしまう自分にいらけがさす。自分の感覚が普通ではないことに、これが複雑性PTSDなんだって。 子どもの指導に立ち保護者にもサポート入る仕事をしておきながら、その本人が愛着からくる複雑性PTSDだなんて見えな

          いつまで

          始まるはずだった命

          命について記事にすることが 多々あるけれど 命のことを考える時に もう一つ ここに置いてない出来事を たびたび思い出す。 今から10年ほど前 私が20前半の時。 職場で妊婦さんがいた。 ギリギリまでその方の様子を見ていて 予定日の1週間くらい前に 「じゃあ産んでくるね!」 と元気に挨拶をして しばしのお別れをした。 しばらく時が過ぎ 出産後にその方と顔を合わせた。     …ん? 何か違和感を感じた。 普通じゃない空気。 お子さんのことを聞いていいの

          始まるはずだった命

          生死の境を見たとしても

          感情を拾いたいのに 自分の心が追いついていない。 言葉をつづりたい 感情を出したいと思いながら もう何から出していいのか 整理が出来ない状態だ。 5月末。 ずっと向き合ってきた 主人の手術を無事に終えた。 経過が順調な今になっても 心はざわつく。 配偶者が生死の境に立ったこと。 その姿を目の当たりにしたこと。 いろんな管に繋がれ 機械で生かされている姿を見ながら 自分自身はここ数年の間に 死にたいと思ってしまうほど 生きるのが苦しかったこと。 ぐちゃぐちゃ

          生死の境を見たとしても

          親ではない

          親ではない その感覚が 安心を得る度にのしかかることがある。 そもそも安心感ってなんだろう これが安心感なのか そう思いながらも求めていく。 こぼさないように集めていく。 知らないからどれかわからない。 何かわからない。 どういう感覚が安心感なのか。 初めて得た感覚に これがそうなのかもと思い ほっこりもするけど それでも絶対的なものはない。 人は変わるから。 環境や心境、関係性は変わっていく。 悪いことじゃなくて当たり前のこと。 なんなら自分だ

          親ではない

          完璧主義な私

          ここに言葉を置かなくなってから 3ヶ月が経とうとしている。 私は昔から正義感が強すぎる。 自分にも人にも厳しい。 理不尽なことは許せない。 ちゃんとやらない人が許せない。 白黒はっきりさせないと気が済まない。 完璧主義だ。 気付いたらそうなっていたのだけど 家庭環境からだろう。 子どもの頃から 不安定な母親を支える役目だったから なんでも1人でやらなきゃ 親に負担かけられない 出来なきゃいけない ちゃんとしなきゃいけない もともとの性格もあるだろうけど 環境

          完璧主義な私

          人の感覚、内側と言うもの

          noteを始めたのが2020年12月。 2年も経とうとしていることに驚く。 ここは私の心を奥深く下がったところで 大事な居場所。 自分が愛着障害だと気付き進んできた場所。 私の居場所と成長過程。 ひっそりとやってきたけど ありがたく繋がりも増えてきたときに 私の内側を踏むだけ踏んでいく人も出てきた。 自分の内側を見せるってとても勇気がいるし 人の内側って神聖な場所だと私は思う。 簡単に踏みにじってはいけない。 私の内側を簡単に拾われてたまるか。 ここは私の

          人の感覚、内側と言うもの

          辛いと言えないことが辛い

          自分がめんどくさい。 とてつもなく 自分がめんどくさい。 ここ最近 辛いと言えないことが辛い。 別に言えばいいんだけど。 最悪なところまで落ちていたり 何か起こったりすれば それに対して吐き出しが出来るけど 別に何もない。 何もないのに 相変わらず急に不安はくるし 夜は闇に引き込まれそうになるし かるーい感じで 死にたいなーと思うときもある。 別に落ち込んでるわけじゃない。 これがベースになっただけ。 消えない思いや感情を把握しただけ。 でもこん

          辛いと言えないことが辛い

          誕生日に怯えるここ数年

          明日、また一つ歳を重ねる。 でも年々 「誕生日」というものの重さが 私にはのしかかる。 実家を出て10年くらいか。 誕生日のお祝い連絡は 家を出てからもあったけど、 一昨年初めておめでとうがなかった。 一昨年は 私が母親を突き放した年。 その次の年には… あったかな? ちょっと他の用事で どうしても会わなきゃいけなかったり 連絡取ってたりしてたから。 私が許したと思って おめでとうを言ってきた 確か。 まぁでも そもそもあまり祝われた記憶がない。

          誕生日に怯えるここ数年

          「私」がいた夜

          夜が好きだった。 夕方から家を出て そのまま朝まで 居酒屋バイトの学生時代。 バイト終わりにはみんなでボーリング。 オールじゃない時はそのまま夜の海へ。 バイトじゃない日も 夜中に窓から家を抜け出しカラオケに。 家を抜け出して 自由になれる時間が好きだった。 「私」でいさせてくれた夜が好きだった。 だから たまに夜に生きたくなる。 あの時間はかけがえのない大事な時間。 あの時間のおかげで「私」が生きていた。 夜が好き。 ありがとう。 「私」を生きさ

          「私」がいた夜