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ver.1.0.1 ふたつのヨーロッパ三部作 Part2 大貫妙子編

ver.1.0.1では誤記を修正しています。藤井丈司様、大変失礼いたしました。
 
アラ50なオヤジか大貫妙子さんを知ったのは、ほんの2年前・・正確には"作品を知ったのは"ですが。原田知世さんが歌う『彼と彼女のソネット』。不思議な歌詞に惹きつけられました。スイッチが入った私は、大貫さんを知らずに無駄に?過ごした途方もない時間を挽回しようと、CDや本やweb情報など収集する日々・・。コンサートにも出かけては間に合った!(←失礼・・スミマセン)と、うるうるしてる始末。
 なので、今回の"突然の贈り物"のために急遽年末の予定を変更して参加したのでした。ちなみに先着順定員80名のところ60番目、受付開始時刻ぴったしにはアクセスできず、諦めかけましたが、15分後くらいにサイトに入れて、チケットゲットできました!

 入れなかった関係者も多かったらしい神イベントの会場は、慶應義塾大学 三田キャンパス 北館ホール、ざっと見でキャパ300人位でしょうか。コロナ対策でかなり余裕をもたせた感じでした。客層は50-60代がほとんど女性は2割くらい。やや後ろの方に座っていた研究室のお手伝いの若者10名ほど。私は前から4列目ステージに向かってやや左側に着席。

Part1の加藤和彦さん(大変興味深い内容でした。後日、メモ起こす予定ですが、ちょっと勉強してからじゃないと書ける気がしません・・。すみません。)の後、10分の休憩後、グレーのブレザー、眼鏡姿の大貫妙子さん登場です。

登壇者:
大貫妙子(以後、O)音楽家
牧村憲一(同、M)音楽プロデューサー、アートセンター・訪問所員
藤井丈司(同、F)音楽プロデューサー、アートセンター・訪問所員
粂川麻里生(同、K)アートセンター副所長

ヨーロッパ三部作前

O:聞こえますか?皆様。
F:僕はヨーロッパ3部作というものが『ROMNIQUE』と『VENTURE』と『Cliche』と聞いてるんですが、いいですか?
O:昔のことすごく覚えている人いますよね。私は先のことしか考えてないので、笑。そうですね。そういうことになりますね。
F:この前に『MIGNONNE』というアルバムがあって。(サウンドが)大きく変わる?
O:1stアルバム『Grey Skies』と2ndの『SUNSHOWER』は割と自由に作っていたんですけど、そのあとRVCと契約しました。レコード会社が変わって、社長様がテーブルの前で契約書を交わしてハンコおして。「ひとつ売れるものをつくってください」って言われて・・。どういうものが売れるのかわからない時代なのに。プロデュースは小倉エージさん。かなり私も若かったし、ミュージシャンからしたら評論家は(褒めずに文句ばかり言う)嫌な存在で。評論家がプロデューサーってどういうこと?音楽仲間から大貫妙子どうしたのって言われて。曲も歌詞も何回もダメだしされて書き直しました。でも今それがこんなになってて、皮肉なものですよね。音楽辞めようと思いました。
F:その時、1978年くらいですよね。みんなその当時そのような時期ありましたよね。大瀧さんとか。山下君は売れなくて会社とぶつかって。大貫さんはなんで?
O:自由に音楽作れると思ってて、(音楽をやること自体)大ごとだとは思っていなくて。それなのに、やり直しさせられて。1年半くらいぼーとして茅ケ崎の方にUFO見に行ったりしているうちに牧村さんが「ター坊、最近なにしてんの?」って、「もし音楽まだ続ける気があるんだったら、ちょっと会わない」って。「ター坊は、アメリカじゃなくてヨーロッパがあってるんじゃないの?」って。
M:当時二人の意識として共通してたのは、”ピエールバル”とか”サラヴァ―レーベル”とかのフランス映画や音楽。もっと言えば1stの『Grey Skies』でも製作者の末端にいたんだけど、(筆者注:クレジットでは”協力”の一番最後に確かに牧村さんの名前が~。『SUNSHOWER』にもいました~。)そのときから山下君とは違う音楽性を持っているんだと思っていた。
もともとプロデューサーは避けていたんだけど、竹内まりやのプロデュースをして、やってみようかと大貫さんに声をかけた。売り方も(その時には)イメージがあった。声の出し方も変えた。張るシーンが多かった。全部の曲じゃないんだけど、こういう音楽をやるには空気が入っているような声で、と依頼したことがある。

ROMANTIQUE

F:ここで『若き日の望楼』を聴いてみましょう。

O:恥ずかしい・・笑。
M:絶妙なテンポだね。今聴いても。
F:どれだけ朝までパンとワインで熱く語り合いたかったか、笑。どれだけ知り合いの貧しい画家に子供が生まれたら、祝い酒を囲みたいと思ったか。
M:今思うと若い大貫さんに、難しい曲を書かせてしまったと思います。(筆者注:『ROMANTIQUE』は1980/7/21リリースで当時大貫さん26歳。坂本美雨さん誕生は同年5月1日。同アルバムには『新しいシャツ』も収録・・ふむふむ。)
O:曲を書いても半分は歌わなくなってしまう。歌詞にエターナル性がないと。~ダメダメこのままーで♪とか今は歌えないですよ今、笑。(筆者注:『MIGNINNE』収録、『言い出せなくて』の1節。歌って欲しい気持ちも少々、笑)
M:安井(かずみ)さんも大貫さんの詞をすごく褒めていたの。彼女は『雨の夜明け』がお気に入りで。
O:加藤さんの家に呼ばれて・・カチカチに緊張して。ター坊ちゃんの歌詞は素晴らしいからず~っと音楽続けなさいって言われて・・「はいっ!」って。
M:安井さんは両方できて、割り切ってヒット曲のためにつくった歌詞とこだわりを持って書くものがあって。こだわってるものが大貫さんと引っ掛かりがあったんじゃないかと思う。僕もその話をZUZU(筆者注:安井かずみさんの愛称)から直接聞いたし。
F:安井さんと大貫さんの書く歌詞は全然違うようだけど。
M:それはコンセプトありきでそれに合わせた歌詞を書く安井さんは、本籍も足をつけている土地も日本の中から物語を紡いでいく大貫さんの世界とは違って気楽なアプローチだから。
F:粂川さん、その辺どうですか?
K:今日は平常心を保つことができなくて、笑。大貫さんの大ファンで。『ROMANTIQUE』出たときは高校3年生で、受験に失敗して一人暮らしになって。お金がなくてステレオでは聴けなくてエアチェックがメインだったんですが、『ROMANTIQUE』はカセットデッキで聴くためにテープ買いました。アルバムの世界のような生活をしようと思って、貧しい絵描きの友達ができたら、さあ、朝までパンとワインで飲もうとか。
F:同じですね、笑。
K:大貫さんの歌詞は、遠いところから振り返るような視点が多いですね。
O:そう言われてみるとそうかな?なんかでも・・若い人が書く歌詞じゃないような。多いですね。こういう振り返ってというのが。
M:(大貫さん曲にも)ラジオ番組にもあった『懐かしい未来』は誰が名付けたんですか?しっくり来てました?

O:(ラジオ)番組が用意した言葉なんですが、どういう風にもとらえられる言葉で。深くは考えていなかったんですが不思議な感じで面白いなって。
M:過去の話なんだけど近未来でも起こりえる。
O:今は・・全部過去のことなので(笑)、書けない歌詞ですね。若いころはロマンティックな気持ちがあるので書けた歌詞なんでしょうね。

F:次の曲は『CARNAVAL』です。

M:この曲はYMOのメンバーが参加しているんですけど、当時は人気絶頂期で。(筆者注:武道館4日連続公演の年。)人気に乗っかってるって思われたくて、なるべくやらないようにしていた。(筆者注:とは言っても、YMO結成してレコーディング開始したころ、既に大貫さんは3人とレコーディングしてるんですよね。『MIGNONNE』収録の『あこがれ』はYMO全員参加で瀬尾一三さん編曲!)
ロスの兄弟バンドで”スパークス”っていたんだけど、曲を聴かせて、こういうテクノがあって、歌詞を日常的じゃないものにすれば大貫さんらしくなるって・・ってコンセプトを話をして書いてもらいました。
M:1曲目になりましたが、なぜかというと、並べて聴いたら反応が強かったから。楽しく聴いてもらっているけど坂本さん、なんどもやり直してました。
F:シンセソロ3回あるのが珍しい。
M:坂本さんがこだわって、何度も取り直しました。
F:転調がすごいと思いました。
O:音楽的にっていうよりは生理的にそこに行きたいと思うから転調するのであって。『CARNAVAL』に関してはこういったアイディアでやるならアレンジは坂本さんにおまかせしようと思って。転調も含めて。
曲は書いてあったのっで、後は詞を乗っけるだけで坂本さんは100%歌詞に興味がないので、どんな言葉を書いても聴いてなかった。それよりもシンセが気になってて。ず~とそうで、今でもそうです。(筆者注:大貫さんがどんなに”待つ女”や、”去った男”の歌詞を書いても動じなかったのは100%聞いてなかったからなのか~!?いやいや、そんなことはなく、大貫さんに対する反省の弁をちらほらと目にするので、99%くらいかな~。)
F :こういう歪のシンセソロがハマったのって『CARNAVAL』が最初じゃないですか?
O:でも今聴くとちょっと恥ずかしくないですか?本人は恥ずかしいと思ってると思いますよ。超えていくものなので。あの時はこうだったけど、それよりもカッコいいものを、となっていくわけじゃないですか。特にサウンドクリエーターにとってはどんどん新しい機材も出てくるし。そうすると、ものすごくアナログに聞こえるんですよね。
M:付け加えるtと大貫さんは自分の言葉があって、小説的なもの。お題を与えて職人的作詞家としてに作れる人。この『CARNAVAL』の歌詞を聴いた時、この人は言葉を操れる人だって分かった。そのことが大きな収穫だった。おおざっぱなテーマを与える。難しいことが書いてあるイズムの本を与えたら出てきた。そこからこういう詩を生み出しているってことがスゴイ。処理能力が高い。

K:ヨーロッパ三部作は二つの”ボヘミアン”が分離しないで両方ある
。ボヘミアンと(いきなり)言ってしまいましたが、一つはジプシー(ロマ)のこと。もう一つは芸術作家の人たちで自分の生き方を決めないでなるべく自由に生きていく人のこと。大貫さんの作品の中では二つのボヘミアンが生き生きと融合している。ボヘミアンと言ったらヨーロッパの印象ですが、とは言いながら無国籍なカルチャー。流浪する人のイメージはどこから出ているんですか?
O:曲先でアレンジ終わっているところに作詞する。できている曲にちゃんと収まる言葉がでてくるので。浮かんでくるまで待ちます。物語はあるのでそれは崩さずに。
F:曲を書いた時に物語のイメージはありますか?
O:ない!アレンジで世界がガラッと変わってしまうので。ピアノにするかギターにするかでも(全然違う)。
F:矢野さん、坂本さんたちは曲がで来た時に言いたい(表現したい)ことは終わってる。歌詞をつけるのが苦痛だってきいたことがあって。
O:歌手である以上、歌わないと伝わらなくて、歌詞がないと歌えないんです。

AVANTURE

F :次、もう一曲。アルバム『AVANTURE』から『愛の行方』です。

~写真を投げつけ とび~♪ (フェイドアウト)
O:~とび~出して♪ のその次が良いんですよ。
(会場:大笑。曲の続きをかけ直して・・。)
F:とびだして♪(の高音メロですか?大貫さん?)
O:歌詞に関しては、愛を試してはいけないってことを歌いたかったんです!そこでフェイドアウトするんだもの。
F:『CARNAVAL』の時は怒られなかったのに、笑。
O:『CARNAVAL』はいいんです。こういう曲はね(ダメよ)。
F:作家ぽい歌詞ですよね。
O:一作作るごとに学んでいくことがあるんです。歌詞を短くしても、省いても何が言いたいのか分かればよい。
M:『ROMANTIQUE』からの2作目としては映画からのヒントが多くなってるんです。
O:プログラムってまだあるんですか?あれが良いんです。
M:プロデューサーには2つの仕事があって、良い作品を作ることと売ることです。前作では作ることはできて成功したけど、大成功ではなかったんです。そこで、より分かりやすく、より広められるように”映画度”ってのを強くしました。
F:より映像音楽度が高くなったんですね。
M:だから器楽的な『アヴァンチュリエール』って曲も詞をちゃんと聴くと、巨大な広さの青い海が浮かぶように詞がちゃんとできているんです!
(筆者注:これは凄いです!確かに、1分の長いイントロの後、~誰もが憧れる島♪ ってとこでサウンドと相まって青い大きな海が浮かびますね!)
F:聴いてみましょう。『アヴァンチュリエール』。

F:こういう風に地名がでてくるのって珍しくないですか?
M:そうですね。好きだ嫌いだではなく他のところに行きたかった。という意識が関わった全員にあったんでしょう。

Cliche

F:3枚目の『Cliche』ではフランス録音している。それはどういう理由で?
O:ヨーロッパは広いので、どこ?となった時、フランス映画(の影響)もあったし、ここまできたらフランスでって流れで。
M:もう一つは大貫さんに対する”ありがとう”です。想像力の中で作ってきたヨーロッパ路線を今度は現地でと。そもそも”MIGNONNE”という名前を付けた宮田君が提案してきた。(筆者注:のちのプロデューサー宮田茂樹氏。『NIGNNONE』でのクレジットはrecording director。)
ヨーロッパ三部作では、アルバムを二つに分けて、半分は坂本さん、半分は加藤さんだったりムーンライダーズだったりいろいろと。このアルバムは半分フランス録音にした。フランスのアレンジは Jean Musy 氏。
O:すごく気にってくれて、「フランス人よりフランスらしい。」と言われたり。憧れとかは素敵なものに対する思いは通じるんだなと。
M:それと僕が忘れられないのは、ピアノと歌だけで先に録ったんです。なんでって聞いたら、歌が生きるレコーディングじゃないと意味がないって言われて。ドラマーは歌聴きながら叩いたので大変だった。Juan はこういうスタイルだったので頼まれたミュージシャンは諦めるしかなかった、笑。
O:フランス録音はそのあともそこでやった。大きいスタジオで天井も高くてオーケストラも結構入った。デジタルになってきてそこも維持できなくなって。どこでレコーディングすればいいのって状況になってきてる。そのようなスタジオがどんどんなくなって、残念です。

F :最後に聴くのは、『風の道』です。

O:この歌も Juan のアレンジです。
M:何かの時にね、坂本さんが自分のアレンジと誤解した曲。「僕じゃなかったけ」って。
O:ラジって女の子に書いた曲。
M:この時点ではセルフカバーなんです。
F:粂川さんはこの曲は?
K:謎めいた歌詞で。誰なんだろう?別れた人は?自転車はなんでさびているんだろう。大きくなった人は?ひとつヒントをいただいたのは、曲(歌?)が先だったということで、そのことを念頭に置いてこれからも味合わせていただこうと思います。
O:アレンジが大事で。思った通りにならないことも2割くらいあります。いいアレンジをいただければ言葉はついてきます。そこから、もわ~っと出てくる。ある日、パソコン見てるといい人と出会ったこともある。リリキューブ(筆者注:アルバム『aTTracTion』で編曲を担当)も車運転しているとき偶然見つけました。帰ってから何時何分にJ-WAVEでかかった曲を調べてもらって。自分のアンテナがあります。網羅はしていなくて受け取れる範囲ですが。スマホもほとんど見ないので。
M:先週(2022/12/4)のコンサートでは豪華絢爛キーボード・ピアノが3人でした。重要な出会いをした3人なんでしょうね。
O:網守さんは自分で若造だといってました、笑。彼の作る和音が良いです。Cのコードがあったとしてドミソでじゃーんと弾く人は誰もいないわけで。(筆者:汗)。そこにテンションが加わる。コード感が良くて、坂本さんもそうだけど音楽的に優れていると思って。網守さんとはこれから始めようとしているところで、どうなるかわからないけれども。

K:今日は、長いことわからなかったことを教えていただきました。でも分からないことがあっても、ちっとも不満じゃないんですね。なんだろうと思うけど、わからないけどその曲がただただ沁み入ってくる。
私はファンでもありますが70年代の終わりから80年代にかけて、日本が思想や文化に関してどのように曲がったのか。優れた表現者の作品を振り返りながら、大学として考えていきたい。

最後に

 本人から語られる数々のエピソードのインパクトは強烈でした!それは大貫さんだけでなく、牧村さんのコメントもそうでした。一般人があまり目にすることはない音楽以外の制作に関する貴重な裏話。アーティストと少し違った着眼点が斬新でもっと知りたいなって思いました。・・ので「牧村憲一発言集成1976-2021」を購入してしまいました。ははは。

 とにかく、 間に合ってよかった~。これからも大貫さんを聴き続けますね~♪ 大阪行きます~。はあ、好きすぎる~。

おまけ 

(になってるか?)

蛇足:
質問コーナーあったら、この曲(歌詞)が出来たきっかけ、誰が犯人?か聞きたかったな~。古参の方々は知ってるのかな?

かつてこんなツイートをしてました・・汗。

おしまい。