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ゴミ拾いはSDGsなのか?――求められるのは「物語」

SDGsは免罪符?――ウォッシュ問題

SDGsという言葉を毎日のように耳にするようになりました。個人のみならず企業もこれに取り組まねばならない、という機運は高まっており、会社・組織の公式ページにロゴを掲出したり、バッジを身につけているビジネスパーソンも見かけるようになりました(Amazonでも売ってますが、ロゴやマークの使用は国連のガイドラインを守る必要があります)。

しかし、実際にその取り組みを聞くと「?」となることも少なくありません。例えばあるイベントでは、リサイクル原料を用いた商品のプレゼンテーションの前に、参加者たちは近くのゴミ拾いをしたそうです。これは果たしてSDGsなのでしょうか?

SDGs とは Sustainable Development Goals つまり持続可能な開発目標であり、各項目には具体的な目標数値が掲げられており、国や企業などが事業をを展開する際の指針・指標の集合体です。単なるエコ、環境保護活動、慈善事業とは根本的に発想が異なるものです。

例えばSDGsの8番目の目標「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」については、以下のような目標が掲げられています(全12項目のうち冒頭の5項目を引用。太字強調は筆者)。

  1. 各国の状況に応じて、一人当たり経済成長率を持続させる。特に後発開発途上国は少なくとも年率7パーセント (%) の成長率を保つ

  2. 高付加価値セクターや労働集約型セクターに重点を置くことなどにより、多様化、技術向上および技術革新を通じた高いレベルの経済生産性を達成する。

  3. 生産活動や適切な雇用創出、起業、創造性、および技術革新を支援する開発重視型の政策を促進するとともに、金融サービスへのアクセス改善などを通じて中小零細企業の設立や成長を奨励する。

  4. 2030年までに、世界の消費と生産における資源効率を漸進的に改善させ、先進国主導の下、持続可能な消費と生産に関する10カ年計画枠組みに従い、経済成長と環境悪化の分断を図る

  5. 2030年までに、若者や障害者を含むすべての男性および女性の、完全かつ生産的で働きがいのある人間らしい雇用、ならびに同一労働同一賃金を達成する。

17の目標の中身(169の達成基準項目)を見ていくと、2030年までに具体的に達成しなければならない項目が列挙されており、「地球に優しい生活を」といった抽象的な表現は徹底的に排除されていることが分かります。いわばSDGsバッジを身につけている経営者は2030年までに同一労働同一賃金を実現し、環境負荷の高い事業から方針転換を図りながらも、従来通りの成長を達成する、と宣言していることになります。必然的に「本当にできるのか?」「具体的にいまどんな取り組みに着手しているのか?」が問われることになるのです。

ゴミ拾いは「ゴミを減らそう」という意識醸成には役立つかも知れませんが、具体的にゴミの排出、すなわちその処理に必要な環境負荷の削減には直結していません。場合によっては本来そのゴミを拾うことで生計を立てている人の生活を脅かすことになるかも知れません。リサイクル原料を用いての商品生産も、かえって再生工程が環境負荷が高いものになっていないかトータルで検討が必要です。

そういった検討・検証抜きに環境問題に取り組んでます、という見かけ上の姿勢だけを取ることは「グリーンウォッシュ」と呼ばれ批判されます。SDGsについては目標と期限が具体的なだけにより化けの皮が剥がれやすいとも言えるでしょう。

利益相反の構造を「物語」で共有する

環境に負荷を掛ければ、開発は飛躍的に進む――この数世紀、人類はそうやって進歩してきた訳ですが、SDGsはその流れを反転させつつも、引き続き豊かさも広く享受できる仕組みを構築しようというかなり意欲的な取り組みです。したがってSDGsに取り組めば「あちらを立てるとこちらが立たない」という利益相反に必ず直面することになります。

ここ新潟も大きな利益相反を抱えています。地方では生活の足として自動車が欠かせませんが、その電動化が待ったなしの状況です。電気自動車は電気を必要としますが、原発が動いておらず、火力発電に依存している現状では、発電量を増やそうとするとCO2排出量も増えてしまうということになってしまいます。

東北電力ホームページ(https://www.tohoku-epco.co.jp/power_plant/thermal.html)より引用

わたしが勤めている大学からは、隣町の火力発電所の煙突がもくもくと煙を吐いている様子がよく見えます。それを見ながら学生に「あそこからの電気で、この教室の照明も多くが賄われている。でもそれはCO2を排出し続けていることを意味する。それを減らすために柏崎刈羽にあるような原発を稼働させなければならないとしたら、反対か賛成か」と問うと、皆一様に困惑した表情を見せます。CO2削減も大事だが、原発再稼働は怖い、反対だというわけです。このような利益相反をどう理解し、解決を図れば良いのか、想像力と課題解決力が求められる場面ですが、そのような訓練を受けていない人は、立ちすくんでしまいます。

しかし地球温暖化による破壊的な影響を回避するには、もう猶予は10年を切っているとされます。意識醸成や議論に用いることができる時間はもうほとんど残されていません。だからこそ、SDGsの達成基準項目も多くが2030年までに、という期限を切り、具体的な行動が求められている、と理解するべきでしょう。

学生や地域の人々と話していて痛感するのは、上に述べたようなSDGsのある意味厳しい実像と共に、私たちが抱える利益相反の具体的な構造や、それを放置するとどのようなダメージを被ることになるのか、どのように問題を一つずつ解決しなければならないのか、というイメージが必要だがその材料が圧倒的に不足しているということです。もちろん、個々人の想像力と課題解決能力も大切なのですが、そもそもこれらのイメージが十分に共有されていない、ということを思い知らされます。人間は物語として現実認識を図る生き物ですが、SDGsのような私たちの未来についてのイメージ共有においても物語が有効ではないかと考えるようになりました。

これもまた迂遠な取り組みではないか、という批判も頂くかも知れないのですが、そんな背景もあり、昨年に続き今年度も開催している小説創作イベント「阿賀北ノベルジャム」ではSDGsを意識したテーマを設定し、6作品が先ほど完成しました。12月24日には各種電子書店でも販売となりますので、よろしければご関心を頂ければ幸いです。(※下記リリース記事にある「けんご大賞」を受賞された綾崎隼先生による講演は終了しています)

※この記事は日経媒体で配信するニュースをキュレーションするCOMEMOキーオピニオンリーダー(KOL)契約のもと寄稿しており日経各誌の記事も紹介します。詳しくはこちらをご参照ください。



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