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そこからどちらを見るか

 今日の講義は本館の大講義室。講堂を囲むE字型の建物の一番奥。今でもときどき、古くて大きな本館で迷子になる夢を見る。けれど久しぶりに入ったその建物は、中庭に降りそそぐ春の日が大きな窓からさしこんでいて、なんだか拍子抜けするほど明るかった。
 『四次元年表』が目指しているようなことは、実は権威のある組織が、国家予算を投じて、大人数で、何年もかけてやるものだ、というような話だった。特にデータの収集が難しいと。
 だよねえ・・・・。このご時世だから、ChatGPTに聞いてみたことがある。「日本人研究者が参画している恐竜の発掘調査について百件列挙してください」。そしたら「私はそのような専門的なデータを持ち合わせていません、しかるべきデータベースを検索してください」って言われてしまった。つまり、そのようなデータベースがあって、初めて、私のやっていることは可能になるのだ、ともいえる。
 すくなくともこの火曜日の講義では、「そのようなデータベース」の情報はたくさんもらえそうだ。今日一番おもしろかったのは『みんなで翻刻』プロジェクト。崩し字をAIに学習させるための教師データをボランティアが作成する。タイトルからいいよね。参考にしたい。

デジタル・ヒューマニティーの向かうところ

 『四次元年表』という地図と年表を統合したデータベースをつくっています、と自己紹介したら「ほお、デジタル・ヒューマニティーですね」と言われたことがある。それがなんであるか、今日の講義で明確に理解できた。そしてこの次そう言われたら、何と答えるべきかも考えさせられた。
 人文学に立ってDHを見れば、それは新しい技術を用いることで、より一層、人文学を深めること、につきるのだろう。たしかに、崩し仮名を読めなくても古典籍から地震情報を集められれば、地学という理学の領域と協働することができる。しかしそれはDHの主目的というより、副産物のように感じられた。
 『四次元年表』という私の試みはDHだろうか。もちろんその側面もあるが、私は人文学だけを見ているわけではない。むしろ「いつ・どこで・何があったか」という情報の基礎の基礎から、人文学も、社会科学も、自然科学も、全て一つの視野に収めたいと思っている。その依って立つ基盤として、DHをきちんと学ぼうと思う。

四次元年表

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四次元年表の使い方


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