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プライドを捨てて・・・というけれど。

「あの人はプライドが高いから・・・」という会話になったときに、必ずひっかかることがある。

プライドって何??

プライド・・・自慢、得意、満足、自尊心、誇り、プライド、うぬぼれ、高慢、思い上がり、自慢のたね ※Weblio辞書より

この辞書による、自尊心や誇りを「プライド」と呼ぶのであれば、誰でも持っていたほうが良いもののような気がするがどうなんだろう?

自己評価としての「プライド」なのか?
他者評価としての「プライド」なのか?

このどちらかによって、全く性質が変わってくるような気がする。
自己評価の「プライド」は、自分の誇りや得意分野を自分の中で持つことだとしたら、当然あったほうがいいし、私たちのような30代にもなって自分の得意なところも見つからないほうが、どうかと思う部分もある。

じゃあ、他者評価としての「プライド」は?

周囲にいる人たちが、自分のことを「宮下さんはプライドが高いからね」と言う場合は、そのほとんどが好意的ではなく、悪意まではいかなくても若干「扱いずらい人間」として言われているのがわかる。

つまり、「わたし」という個人の人間が、自分の凝り固まった性質から離れられない融通の利かない人間だというイメージなのだろう。


話は変わるが、実はわたしは「プライドが高いね」とは言われたことがない。まあ正直、邪魔になるくらいの「プライド」なんて持っていたらわたしのような小さな、しかも無名の化粧品メーカーの販売の仕事なんてやってられない。

他人からみて「尊敬されたい、良くみられたい」という気持ちが勝るようなやり方では結果が出ないからだ。それくらいバラエティショップで、小さい小さいメーカー販売員が売り上げを上げるのは困難だということでもある。

いや、でもきっと、これも「プライド」なのだろう。

プライドがないのではなく、「プライドを捨てる」という考えそのものが、プライドを抱えて生きているということなのだ。

世の中の女性をキレイにしたい
日本の女性の肌を健康にしたい

わたしは、根本はそれしかないのだから。きっとそれが、わたしの持つ「プライド」なんだ。


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