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「帰省」



 もうどれくらいライブに出ていなかっただろう。舞台に立つ感覚が鈍っているというよりも、自分が舞台に立っていたことが想像できないような感覚だった。
 中学時代からの友人が、地元の寝屋川で開催する朗読ライブにゲストという形で声をかけてくれたのだが、必要なものは全部分かっているのにそれが一つも手の中に無いような心理状況で、何から始めればいいのか順番さえ選べずにいた。

 だからといって感覚を戻すために、今さら中野や下北のインディーズライブにお願いして出演させて貰う訳にもいかない。皆んなが漫才やコントを披露する中で僕が突然いい感じのBGMを流しながら朗読を始めて、もしそれが結構ウケてしまったりなんかしたら、「自分攻めてて結構おもろかったやん」と飲みに誘われてしまうかもしれない。
 なので僕はとりあえず色んなことを思い出してみることにした。小さな雑居ビルの一室にある、舞台というにはあまり低い板の上で披露した漫才や、自分達の劇場で大勢のお客さんの前で演じたコントや、舞台袖から飛び出した瞬間に聞こえる拍手や照明の眩しさなんかを。

 その時に気づいたのだけれど、不思議と舞台に立つことへの不安や怖さはなかった。毎日ネタを作って、まだやってるんですか?と言われるくらい稽古をして、正しくはなかったかもしれないけど、まがりなりにも積み重ねてきたものがちゃんと自分の中にもあるんだなぁとセンチメンタルな気分になったりもした。まぁ面白いもん書けばなんとかなるかと考えると、すとんと心が整理された。
 僕の出演時間は10分程度と聞いていたので、5分ほどで朗読できるエッセイを2本用意して本番に臨んだ。

 大阪のライブなので前乗りすることも出来たが、僕は前日にバーの営業があったのでライブ当日の新幹線で寝屋川に向かった。
 新幹線の座席に座ると、わずかな出番であっても仕事に向かうという感覚があり、これは楽屋に入ったらめちゃくちゃ緊張するやつやなぁと直感した。しかし僕の直感は外れ、楽屋どころか京都に着いた頃にはすでに緊張していた。という話を舞台に呼び込まれ最初の挨拶でしたのだが、本当は名古屋からもう緊張していた。

 寝屋川市駅に到着すると大きく何かが変わっているわけではなかったが、街を流れる空気が僕の生活していた頃とは少し違っている気がした。目に映る風景もあの頃のように鮮明ではなくて、あれだけの時を過ごしたこの場所に当たり前のように馴染めていないことを少し寂しく感じた。
 駅前の大きな商店街には変わらぬ店も変わってしまった店も混在していて、記憶と答え合わせをしながら通り抜け会場に向った。

 会場に着くとスタッフさんがすぐに楽屋に案内してくれて、本日のスケジュールですと香盤表を手渡された。今日のライブの流れを確認がてら見ていると、僕の朗読の前に友人との20分のトークがあることが分かった。
 名古屋から抱えていた緊張はここでピークを迎え、積み重ねてきたはずのものは崩壊して、急に時計の針が速く進みだした。当時なら20分くらいのトークなど何でもなかった記憶は残っているのだが、今の僕には長く見積もって5分20秒が限界に感じた。
 とりあえず友人の楽屋に向ったが誰もおらず、スタッフさんに聞いたらどこか喫茶店に行ってるみたいですと笑顔で答えた。壁に掛けられた時計に目をやると、開演まで2時間近く残っていた時間は、あっという間にあと1時間になっていた。

 開演まで残り40分ほどで友人が楽屋に戻って来ると、僕はイライラした気持ちを抑えなるべく平静を装いながら、「トーク二人で20分くらいあるみたいやけど、どうする〜?」と声をかけた。
 友人は「まぁ、寝屋川の話とか?」とそっけなく答えた。
「 いやいや分かるよ、俺も当時ならそれくらいの感じでいけたけど、今は事情が違うからさぁ」などと食い下がるのもカッコ悪いので、「せやな、りょ〜か〜い」と言って足を震わせながら自分の楽屋に戻った。

 ライブが始まると、友人のオープニングトークや朗読を客席後ろのキャットウォークから見ていた。余計に緊張するかとも思ったが、お客さんを含めたライブの雰囲気を分からぬまま出ていくことの方が怖かったので仕方がなかった。
 ゆっくりと朗読の内容を聞ける余裕はなく、笑いが起こる度にグッと心臓を掴まれる思いで、次くらい一回スベって欲しいなぁと最低なことまで考えたりした。
 しかし久しぶりに生でお客さんの笑い声や反応を聞いていると、ちょっと負けてられへんなぁという、沸々とした熱を自身の中に感じられた。完全に崩れ去ったと思っていたものは、まだ骨組みくらい残っているようだった。

 次の朗読終わりで呼び込みますのでとスタッフさんに声をかけられ、一息吐いてから舞台袖に移動した。そのライブハウスは特殊な造りになっており、呼び込まれると二階にある螺旋階段を下りて舞台に登場する仕組みになっていた。
 とりあえず踏み外して転げ落ちてしまわないことだけを意識して、暗がりの中で足元を確認しながら慎重に階段を下りた。
 舞台に立つとそこから見る風景が懐かしかった。照明の影響でうっすらと白く靄のかかったように見えるお客さんの存在はどことなく現実味がなく、客席からこちらに放たれる拍手だけが浮き彫りとなって僕の皮膚を叩く感覚。地元である寝屋川でライブをしているせいかもしれないが、久しぶりにここへ戻ってきたなぁと感じた。

 トークの調子はうまく掴めずだいぶ序盤で心が折れたが、その分朗読に集中した。マイクから聞こえる声を確認して、よし大丈夫だと思った。暖かく迎えてくれたお客さんのおかげもあって全身に笑い声を浴びることができた。数年ぶりにした笑い待ちの快感は舞台の上でしか味わえない極上のものだった。
 あっという間に僕の出番は終わり、楽屋に戻ると単独ライブの後のように体の中が脈打っていた。

 ライブ後の打ち上げにも参加させてもらい、久しぶりに染み渡る酒を飲んだ。
 二次会では15年以上も顔を合わせていない地元の友人達が、僕が帰って来ていると知って顔を見せに来てくれた。緊張したのは挨拶の時だけで、その後は学生の頃と変わらることなく朝まで飲んで喋り続けた。
 色んなことを難しく考え過ぎていたのかもしれない。とっくに手放したと思っていたものは僕の足元に転がっていて、いつだって拾い上げたらよかったのかもしれない。
 漠然とした負い目を引きずっていたけれど、疑っているのは僕だけだった。

 失ったものは少なからずあって、以前のような形ではなくなってしまうだろうけど、こうしてわずかでも笑顔で迎えてくれる人がいるならば、こうして笑顔で酒を酌み交わせるのならば、戻る理由はそれだけで十分過ぎる気がした。
 今回のような予定が今あるわけではないけれど、もう心が重くなることもない。僕が懸命に生きていた場所は誰にも損なわれたりしないから。
 だから今度戻る時には、ちゃんと連絡をしてから帰ろうと思います。
 
 

 

 


 

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