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自分の当たり前、他人の当たり前

「ラブハート」

お父さんかお母さんが、
普段からそう言っているのだろうか。

小1のKくんは、
ハート型のことを自然に
「ラブハート」と呼ぶ。

なんともロマンチックな呼び方だ。

4枚のカードを用いて
見本と同じ形を作るとき、
見本がハート型になると、

「よしっ!俺、ラブハートに挑戦する!」

意気込む。

隣に座っていた、
Dくんが割と冷静に

「ラブハートってなんだよ・・・」

と突っ込むのだけど、

Kくんにとって
ラブハートは
ラブハート以外のなにものでもない。

なんのこと?という表情だ。

「いぬ」も、 
正しい呼び方を 
教えてもらえないと、
ずっと「わんわん」と呼ぶことになる。

小学生になって、
一人、わんわんと
呼んでいることに
気が付いたとき
恥ずかしい思いをするかもしれない。


ただ、
「ラブハート」。
なんとも素敵な響きだ。


もっと高学年になって
その他大勢がハートと
呼んでいることに気が付いたとき、
Kくんにも

「えっ!これ、
ハートってみんな言ってるの!?
俺、ずっと
ラブハートって呼んでたよ!
恥ずかしい~~~!!」

なんて日がくるのかな?
なんて、
ロマンチックな呼び方だけに
想像してしまう。


他にも、
良い悪いではなく
自分にとっての当たり前が
他人にとっての非常識
ということがままある。

新しい「当たり前」に出会った時、
良い悪いよりも
新たな発見を楽しめるように。


その時のKくんの
驚きと恥ずかしさのある、
楽しそうな笑顔が
目に浮かび、
わくわくしてしまう私なのである。




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