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霊柩車に、Jump!

昨年6月、父が亡くなった。
2年ほど前にがんが見つかり、闘病の末だった。
 
私は父のことを、あまり社交的ではないが、話すと面白い、ちょっと変わった人だと思っていた。
お酒が入ると饒舌にしゃべるが、普段はひと言ふた言、短く話す。
本、映画、車など、好きなものがたくさんあって多趣味だったが、特に音楽が好きだった。
ジャンルもその時々でクラシック、ジャズ、ロック、ラテン、サザン(ジャンルじゃないか)……といろいろだ。
 
母が女の子にはピアノを習わせたいと憧れていたので、私は4歳からピアノを始めた。
ピアノを弾けることは楽しかったけれど、練習が嫌いだったから、しょっちゅう母にピアノをやめたいと言ってはダメだと叱られて、泣いて、暴れて、大変だった。
3歳下の弟は、毎日夕方の5時から私がピアノの練習をしている横でテレビアニメを観ていて、「なんで私ばっかり」という気持ちが強かったように思う。
ピアノをやらせているのはあくまで母で、父は私のピアノには興味がないと思っていた。そこで、いつも母に訴えて返り討ちにされる、”ピアノやめたいチャレンジ”を父にぶつけてみた。
小学2年生の夏のある日曜日、燦燦と日の差す昼下がりのこと。
どんな風にやめたいと言ったか覚えていないが、父から酷くぶたれて、畳に鼻血が飛び散った。
母が驚いて飛んできて、怒る父をなだめて、大泣きで鼻血ブーの私を手当てした……気がする。
なぜあれほど怒ったのかは、いまだに分からない。
でもその後、父からほかのことで怒られてもぶたれることはなかった。
自分が手を上げたせいで、小2の小さな女子が鼻血まみれになった現場には、父もさすがにビビったのだろう。
 
そんなことがあったものの、父と私は割と仲が良かった。
中学以降は毎週日曜の午後がピアノのレッスンだったが、私の地元である秋田は車社会。
ピアノの先生のご自宅まで車で片道40分、毎週送り迎えしてくれた。
車中はその時々で父の中で流行っている曲がかかっていた。サザン、アリス、松山千春の時もあれば、レッドツェッペリンやヴァン・ヘイレン、バナナラマ、ある一時期はM.C.ハマーの虜だった。
クラシックや、よく分からないペルーの音楽にハマっていた時期もあったから、ジャンルにこだわりはないようだった。
 
父とよくやっていた遊びがある。
「アルビノーニのアダージョ」はオルガンと弦楽器が奏でる切なく感傷的な旋律が有名だが、これが車の中で流れると、
父 「実は……お前は橋の下で拾った子なんだよ、うぅぅ(泣きまね)」
私 「お父さん、やっぱりそうだったのね……」
と、本当の親子ではないごっこをしなければならない。
飽きもせず、私が高校生になってもたまにやっていた。
 
大学進学で上京し、東京で就職してからも、今はダイアナ・クラールが好きだの、上原ひろみがいいだのと、たまにCDを贈り合った。
東京で初めてミスチルのコンサートに行ったときに、秋田に来ることのなかったビッグアーティストを生で観られることに感動し、私は東京って最高! と思った。
その後も私は頻繁にコンサートに行くようになり、毎年夏には日本最大の野外ロックフェスティバルであるFUJIROCK FESTIVALに行き、星野源の東京ドームには2日とも参戦する人になった。
 
そして、都内のジャズクラブBlue Note Tokyoの会員にもなったので、父を70歳のお祝いに招待した。
表参道駅のA5出口で待合せをした父は、「暇つぶしに一度BlueNoteまで散歩してきた」と謎の行動をするほどのはしゃぎぶり。その後改めて会場へ向かい、ペアシートで赤ワインをボトルで頼んで、目の前で繰り広げられるパワフルなセッションを楽しんだ。
最後はスタンディングオベーションで拍手をし、「こりゃ、癖になっちゃいそうだな」とご満悦。
新型コロナウィルスの世の中になる少し前、2020年の1月のことだ。
 
また一緒に行きたいと思っていたのに、コロナ時代突入とその後のがんで、それは叶わなくなった。
2023年のお正月は一緒に食事に出かけたが、3月頃から父の容体は悪化し、入院したまま家に帰ることはなかった。
私は何度も、飛行機に乗って秋田の病院にお見舞いに行った。ゴールデンウィークには、もう長くないだろうと私の夫も連れて行った。
病室でラジオを聴きたいと言って、母にSONYの小型のラジオを買ってきてもらったけど、力が入らなくて自分で電源を入れられず、ほぼ聴くことはなかった。
 
6月下旬のある日、もう呼吸が弱くなっているからと呼ばれて急いで秋田に向かった。
死ぬまで耳は聴こえているらしいと何かで知っていたので、私は飛行機の中で、父に聴かせるためのプレイリストを作った。
父から教えてもらったジャズのTakeFiveも、ビートルズのBlackbirdも入れた。
秋田空港でタクシーに乗って、運転手さんに病院までと伝えると、察したのか急いで車を走らせてくださった。でも、私が着く10分前に父は息を引き取った。
 
「プレイリスト、作ってきたのにな……」とつぶやいたら、私と同年代の主治医の先生が「魂はまだ近くにいるから聴こえているはずですよ。かけてあげてください」と言うので、亡骸の枕元にiPhoneを置いて小さな音で流した。
 
葬儀は実家で、家族だけで行った。
葬儀会社の人から、着せたい服や、棺に入れるものを決めておいてくださいと言われて、葬儀前夜に、父が好きだったであろう本を弟と探してワイワイと選んだ。
出棺の時に何か音楽をかけてもいいかと聞いたらOKだったので、これも弟と案を出し合って、一丁派手なやつで送ってやろうと、よく車で流れていたヴァン・ヘイレンに決めた。
 
葬儀の日。読経が終わっていよいよ出棺という頃に、霊柩車が我が家に到着。
霊柩車仕様の白のメルセデス! (そんなものがあるとは!!)
父が最後に乗る車、めちゃくちゃ良いではないか。
そして男性陣が棺を担ぐ横で私はタイミングを見計らい、その時は、来た。
静かな秋田の住宅街に不釣り合いに大音量で流れるヴァン・ヘイレンのJump!
華々しいシンセサイザーのイントロとシャウト!!
6月の薄曇りの空の下、父の棺はJumpのノリノリのビートに乗って、ピカピカのメルセデスに収まった。
ファーンという上品なクラクションで火葬場に向けて出発。完璧だった。
 
葬儀が済んで数日後。
改めてお世話になった病院の主治医の先生や看護師さん達にご挨拶に行ったら、一人の看護師さんが私にこれだけは言いたかったとそばに来てくれた。
「あなた、ずいぶんお父さんに似た人と結婚したのね」
一度病室に連れて行っただけなのによくお気づきで。看護師さんはよく人を見ている。
そう。私は、あまり社交的ではないが、話すと面白い、ちょっと変わった人を結婚相手に選んだのだ。

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