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直撃・青木真也! 証言!『DREAM』(20)「『UFC』に『俺も行くから』」

 2011年、東日本大震災に見舞われた日本列島。結果的にその年の『DREAM』は5月まで大会が開催できないまま。そして迎えた『DREAM JAPAN GP』だったが、困ったことに青木真也の対戦相手は二転三転する。厳しさ満載の『DREAM』に“バカサバイバー”は何を見たのか!?(聞き手◉“Show”大谷泰顕)


みすぼらしい大会

――“バカサバイバー”、今回は『DREAM JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント-』(2011年5月29日、さいたまスーパーアリーナ)です。
青木 ああ、あの大会だ。懐かしいなー(しみじみ)。
――懐かしいといえば懐かしい。
青木 あの、たまアリの一番小さいバージョンですよね。
――そうでした、そうでした。
青木 (東日本大)震災のあった後の大会でね。
――そうそうそう。
青木 地獄みたいな規模だった。
――凄い表現ですね(笑)。
青木 そうじゃなかったですか?
――確かに、あきらかなスケールダウン感は否めなかったですけどね。
青木 あれは会場に行って驚きましたよ。
――驚いた?
青木 みすぼらしさに。
――うわあ!
青木 それとあの大会、公開計量をやったりするホテルが新宿のワシントンホテルだったんですよね。
――そうだったんですね。
青木 言っちゃ悪いけど、そこまで落ちたかと思った。
――あ、こじんまりしたホテルだった?
青木 あれは寂しかったなー。
――実際、その年は大晦日以来あった、最初の大会でした。
青木 ほぼ半年、大会がなかったんですよね。
――そうでした。
青木 寂しさしか感じなかったですね。
――あのー、実はあの大会、“バカサバイバー”の対戦相手は二転三転したんですよね。
青木 そうそうそう。

※当初はヴィラミー・シケリムと対戦する予定だったが、シケリムのパスポート切れで試合は消滅。その後、ジェイミー・ヴァーナーとの対戦見込みが立っていたが消滅したと言われている。

――最初の会見が5月9日に行なわれて、その際も、予定していた相手が発表できずに、中途半端な会見になっていました。
青木 そうなんですよね。
――会見では「日本で一番の(実績のある)選手でも、こういう扱いだというのが今の現状」とコメントしています。
青木 ああ……。でも、そういう心理じゃないですか。こっちからすれば。
――「金で解決できることがあるけど、その金が今はないから」とも。
青木 結構、ズバッと言っていますね。

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