静岡から帰るのが辛かった話。18で上京するときの気持ちと一緒だ。

静岡から東京に戻る新幹線でnoteを書き始めました。
静岡品川間の55分では書き終わらないように思います。そのくらい今はエモーショナルな状態です。でも書き終えるかな。

試合が終わって張り詰めていたものが緩みました。そこで東京の独りの部屋にいても、いい方向にいかないし、焦るだけなので実家に帰りました。練習できない環境に無理矢理に置くことで身体を休ませる目的が主ですが、僕は心のメンテナンスに行ったような気がします。

本当は日曜日に行って、木曜日の夜の会食に合わせて帰ってこようと思っていたのですが、居心地の良さと退屈さに耐えきれずに火曜日の最終に近い新幹線で戻っています。

18歳で東京に上京するときのようなさみしさを抱えて新幹線に乗っています。
こんな感情はずっとなかったです。自分では瞬間理解できない感情でした。

なぜにこのような感情が出たのかと考えてみることにします。

僕はずっと孤独に追い込んで闘ってきました。
家庭の形があったときも独りのときもずっとそうです。理解されるとか、受け容れられるような状況がなく、いつも孤独でした。ここのところで青木ファミリーができたのは人生の支えとして、自分の人生を踏みとどまれました。感謝しています。

帰省してから母は食事を作ってくれました。恥ずかしい話に家庭でご飯が出てきたのは思い出すのが難しいほど昔のことです。味噌汁と生野菜が美味しかったし、たいして詳しくもない栄養の知識で野菜を食べろと言ってきます。うるせえよ。

父とは言い争いもする犬猿の仲だけれども今回は言い争いをしませんでした。
今の僕の近況を納得はしないけれども、理解をしてくれて話してくれていたように感じます。ありがとう。色々と助かった。

家族で食卓を囲んだことは思い出せないくらいで、食卓で会話があることが素直に楽しかったです。貴重な時間をありがとう。

両親とうまくいかなかった時期もあって。それは僕が家庭を壊した時期とも重なっています。両親としてはかわいい孫たちと会えなくなる辛さや怖さを感じていたんだろうし、僕は僕でなぜ理解してくれないのかと思っていたのだと思います。孫達に会えなくなってしまったことは申し訳ないと思っているし、彼らの老後の豊かな人生を削って申し訳ないと感じています。一度見せてしまった豊かな人生だからこそ余計に申し訳ないです。それは子供達にも同じことが言えます。申し訳ない。

両親はいつしか観念したように思います。それからはいい関係が築けているし、仲良くやれています。

親はいつまでも親なんだと思います。
彼らは僕の味方でずっとあってくれた。36歳で家庭を壊して、好き勝手やっている息子の味方だ。結局はオレの一番の理解者でありファンなのだろう。オレがあげた服ばっかり着てるしな。

2日間愛されたら、ずっと静岡にいるのが怖くなった。だって、またあの独りの部屋に戻らなくちゃいけないんだから。朝起きてパンを焼いて、一人で暮らす生活にまた戻るんだ。もう少し静岡にいたらもう戻れなくなると思った。だから僕は帰るよ。

今は情緒不安定でメンタルがおかしいのかもしれない。
でも今回は助けられたんだ。ありがとう。

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青木真也 shinya aoki

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