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アオキロックTシャツと0から1を創る話 アオキロックTシャツ受注開始

先月のタイ大会でマイキームスメシさんに「アオキロック」を極められた際、アオキロックが技名とポジションの呼称として世界的なスタンダードに使用されていることを肌で感じて、聞いてはいたし知ってはいたのですが、世界で自分の名前を使ってくれることに感謝でしかありません。

せっかくだから何かと考えた安直な落とし所が「アオキロックTシャツ」ということで、この時期に合わせて厚手のロングTシャツで受注販売をスタートしました。我々が想定していた数の遥か上をいく注文を土日で頂いて、感謝感激と共に市場予測をまったくできていなかった自分に苦笑いです。僕は厳しく見積もる傾向があって、その分失敗はしないのかもしれないが、慎重になるがあまりに機会を逃していることは多々あると感じるので、もう少し緩めてもいいような気もしています。まあそれはそれとして。

※受注期間は12月2日までとなっております。まだ期間はありますので、受注いただけたら嬉しいです。青木真也自ら丁寧に発送作業をします。

2010年7月10日に極めた踵を出して極めるアキレス腱固め「アオキロック」は試行錯誤の中で生まれた技です。13年経った今は当時のアオキロックから何度もアップデートが繰り返されていって、青木真也自らが極められる技になっているし、むしろ僕の手から離れたところで練りに練られることで技の精度を練り上げています。

僕が今回「アオキロックTシャツ」を作ろうと思った気持ちに僕は0から1を作るのが好き得意であって、1から10とか10から100にする作業はできなくもないけれど好きでもないのが正直なところで、0から1の創造の原点に帰る意味でTシャツを作ったところがあります。

競技化と資本が集まることで表現と創作の隙間が生まれ難くなっていて、老害と言われるのがわかった上で、僕が嘆いている「今の格闘技はスタイルが似通って面白くない」というのは、競技化と資本の流入で競い合いが激化することで、そのルールの中で勝つことに躍起になった結果、似通ったスタイルになっていって、最後は素質とフィジカルに行き着くからです。混沌としている頃のほうが創造はやりやすいし、実際に創造する隙間があったように思うし、今の選手という言い方は老害と捉えられるかもしれないけれども、格闘技が今よりもずっとおもしろかったと思います。

同じようなことを中田英寿とトッティで話していて、どこも同じことが起こっているし、サッカーはよりその傾向が強いのだと思います。せっかくなので貼り付けておきますが、27分過ぎからのやりとりは響きます。

僕の場合は30歳以降はとにかく積み上げる作業を徹底してやってきました。そのためにグランドで上から攻めるスタイルを徹底したし、グランドでは殴ることを意識してやってきたので、いつもどこかにもっと格闘技は自由であったし、もっと楽しかったような記憶がありました。若い選手が下になることを厭わなかったり、足関節をMMAで極める姿を見ているとどこかしらに羨ましさがあったように思います。

プロ格闘技選手としては文章だったり、映像だったり、立ち居振る舞いだったりと手を替え品を替えやってきましたが、それは0から1ではなく10を100なのか100を1000にする作業であって、0から1の人だし0から1が面白いし好きだと改めて思いました。

僕がアオキロックに関して思うことは僕は0から1を創る人であって、創造することが好きであって、10から100に積み上げていく作業もできなくはないけれど、好きで大事にしているのは0から1であることをTシャツに込めました。あくまでも僕は創り手であって自分が創る人なのだと改めて。

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