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「自然に」の呪縛

Xを眺めていたら、誰かがリンクをポストしていた。

燃え殻さんのファンだ。でも連載の週刊誌は買ったことがなく、作品をまとめられた本しか持っていない。「夜のまたたび」はアーカイブを聴いていたが、radikoのエリアフリーでしか聴けない「BEFORE DAWN」は聴いていない。そんな状態でファンと公言できるのかは疑問だけど、燃え殻さんの文章と、文章から垣間見えるお人柄と、なんといってもあの声が好きなのだ。

引用の記事のエッセイをまず読んでみる。描かれているような体験をしたことがないのに、描かれている心模様はなぜか身に覚えのあることが多い。だからきっと燃え殻さんの文章やご本人に親近感を覚えるのだと思う。

そしてこのコラムの企画。上述のラジオ番組と連携して、ご本人の朗読で本作品が聴けるというなんとも贅沢な企画。

あの、少し眠そうな気だるいトーンかと思いきや、割とハキハキと滑舌もテンポも良い朗読が聞こえてくる。そういえば、ご自身が作品を執筆される時は必ず途中で何度も音読すると仰ってたっけ。こんな調子で音読されてるのかなぁ…などと思いながら聴いた。

ハキハキとしながらも、最初の段落のカップルの会話は、意外なほど淡々としている。「興奮気味に」「唸るように」会話しているはずなのだが。

そこでふと思い出したのが、タイトルの言葉だ。

学生時代、放送班に所属していた私は、毎年夏に行われる某国営放送主催の放送コンテストの朗読の部に出場していた。地方大会の後、全国大会の前にその局のアナウンサーが指導をし講評をするのだが、その時決まって出る言葉。「自然に」読みなさいと。それを聞くたびに「自然に」とは?となったものだ。わかったようでわからない、超絶曖昧な助言に、具体的にどう読めばいいのかついに卒業するまではっきりとした答えは出なかった。

そのアナウンサーはまた、「朗読とは、淡々と読むもの。感情移入しすぎてはいけない」とも助言していた。ともするとついラジオドラマの台詞のように感情移入し過ぎてしまうことが多々あるが、朗読はラジオドラマではない。「自然に」という言葉の裏にはどうやらこの「感情移入し過ぎない」があるのだとはなんとなく意識はしていた。

淡々と。感情移入しない。自然に。まるで呪文のように心に留めながら、何度も練習に励んだことが、燃え殻さんの朗読を聴いていて心に蘇ってきた。

そうか。作品をどう読むかで、読み手のその作品の解釈が伝わってしまう。朗読とは、オーディエンスを伴うものだから、作品はオーディエンスのものであり、オーディエンスが自由に解釈できなければいけない。だから、感情移入し過ぎてはダメなのだ。淡々と自然に、そのままオーディエンスに届くように。

数十年越しで、「自然に」の呪縛から解放されたような気がした。

ところで瓶漬けカルビってそんなに美味しいの?

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