見出し画像

コロナにつける薬 vol.14 生きる詩人に

過日行われたアメリカ大統領就任式でのアマンダ・ゴーマンの詩「The Hill We Climb」の朗読を聞いただろうか?
まだの人は以下のリンクからぜひ聞いてほしい。


弱冠22歳の、黒人の女性詩人。フラッシュイエローのコートと大きなリングがとてもよく似合っている。意思を感じるよくとおる声。自分の住む国をどうしたいのかという思いが伝わってくる。彼女がここに上るまでにどんなことがあったのか、私でなくても気になることだろう。Vogueの記事に彼女へのインタビューがあった。ファッションのことを中心に、彼女がなぜバイデン新大統領の就任式の詩を読むことになったのかが書いてある。

図書館で偶然、バイデン夫人の目に留まったことが幸運だった、と思う人はよもやいないだろう。そもそも、詩を書き始めるのに「いつか大統領就任式で詩を読んでやる」ということを目標に始める人はいない(いや、いるかもしれないけど)。彼女はそれこそ10歳で詩を書き始めた時から、政治的な立場を明らかにしながらものを書くということをしてきたから、今、あの場にいるのだ。Facebookで彼女の詩について書いたら、友人が彼女がTEDに登壇した時の動画を送ってくれたが、それもまたすごい。

TEDの日本語訳もなかなかいいのでこっちも貼っておく↑

3年前の11月ということなので、彼女はまだ20歳かな?大統領就任式の映像よりすこしあどけなさを感じる。でも、すでにハッキリと旗色を示して話す態度は堂々として、私はこちらの映像に、よりショックを受けた。

「まず最初に二つ質問があります。あなたは誰の肩に乗っているのか?そして何を支持するのか」冒頭、こう語りかけるアマンダ。これを観客に問いながら、自分の答えを披露することで緊張を解く、まじないのように自分に言い聞かせる。その呪文はこう。「私は、黒人作家の娘で、鎖を切って、自由を手に入れるために戦った人たちの末裔。彼らが私に語り掛ける」。

アメリカの社会において黒人であるということは、すなわち「鎖を切って自由を手に入れるために戦った人たちの末裔」である。生まれ落ちた時から、その存在は政治的な要素をはらむ。後半で彼女は「私に詩を書いてくれと依頼しながら、それが政治的にならないようにと頼んでくる人がいるが、それは例えば車をつくれ、ただし乗り物でないものを。といっているようなもの」と言う。すべての言葉と表現は、政治的であると彼女は20歳にして悟っており、全世界の同世代に語り掛けている。

20歳の頃、日本人であることは極東の島国の非英語圏の人間であり、言語的に世界のなかでは孤立しているのだということを知った。その頃、日本は経済的には世界に存在感を示していて、ニューヨークでもどこでもPanasonicの看板を見たし、走る車はTOYOTAだった。その反面、言語的には自慢できる種は乏しかった。この国で生きていくためには、言葉によって自分のアイデンティティを示せなければいけないのだと知ったのだ。ミュージカルの舞台に立っている俳優の誰もがそれを持っていたし、詩人でなくても、それこそ路上生活者にもそれはあった。

私にはなかった。それを心のどこかでいつも、少し正当化して生きていたのだと思う。夏目漱石が英国で感じた絶対的孤独の内容、今なら少しわかるがしかし、あの頃の自分にはとうてい、思いも及ばなかった。

兎にも角にも、アマンダのスピーチは自分を言説乞食だった自分に引き戻してくれるようだ。借りてくるのでも、誰かから恵んでもらうのでもなく、自分自身がアイデンティティを表明するための、どこにいるのかを明確にするための、ただコミュニティと繋がるために使うのではなく、橋をかけられる言葉を、獲得したくて私は創作をしていたのではなかったか。

いつの間にか、少しその矛先が鈍った気がしていた。それを、彼女のスピーチは遠回りではなく、直截的に、突きつけてきた。痛いけど、今まだその言葉が刺さるだけのスペースが自分の心にあったことが嬉しかった。同時に、いつの間にか狭くしてきてしまったその部分を、もう少し広げる作業に入らなければと強く思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?