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さようならシェイマス・ベグリー/Rest in Peace the Bold Kerryman, Mr. Seamus Begley.

シェイマス・べグリーが死んでしまった。古き良きアイルランド西部の伝統音楽を継承する数少ないシンガー兼アコーディオン奏者。73歳とはあまりに、あまりに早すぎる。現地でも追悼のニュースが流れている。

アイルランド独自の言葉や音楽の文化は、イギリスによる植民地化や近代化によって20世紀中盤までに急速に衰退した。その衰退はアイルランド島東岸の首都ダブリンから同心円状に広がっていったが、その同心円の一番果てに位置する島の北西や南西の地域には、20世紀後半になっても古い文化が色濃く残っていた。シェイマス・べグリーが生まれたのは、まさにそのアイルランドの南西の果てのケリー州。ダブリンから中心都市のキラーニーまでは直線距離で約250km離れている。シェイマス(Seamus/正しくはeの上にアポストロフィが付く)という名前はアイルランドにはよくある名前で、英語ではジェイムス(James)に相当する。

シェイマスは、そのケリーの音楽一家に生まれた。音楽と生活の距離が非常に近いアイルランドの、しかも音楽一家に生まれるということは、つまり当たり前のように、息をするかのように歌い演奏しながら成長したということだろう。国全体で見れば絶滅レベルだったアイルランド語の話し手も、シェイマスが生まれ育った頃のケリーにはまだまだたくさんいたはずだ。実際、シェイマス自身もアイルランド語を話し、アイルランド語で歌うことを得意としていた。大柄でいかついようにも見えるが、この動画のように、その歌声はひたすら柔らかく伸びやかだった。

こんなふうに聴衆を美しさで引きつける反面、伝統的なダンスチューンをアコーディオンで演奏する時はアグレッシブに観る人を釘付けにした。特に、ギタリストのスティーヴ・クーニーとのデュオは強力だった。スティーヴの切れ味鋭いカッティングと、細かいフレージングでそのカッティングに呼応するシェイマスのアコーディオン。そのプレイに、何度聴いても心拍数が上がった。頭皮を動かす秘技を持っていて、アコーディオンを弾きまくりながら髪の毛をヒクヒクさせて観る人を笑わせた(下の動画でも1'00"ぐらいのところでやっている)。

たしか1997年、ダブリンでベグリー&クーニーのライブを観た。どういう流れでそうなったのか覚えていないけれど、2人のステージに引き上げられ、1曲歌わされた。歌ったのはおそらく「知床旅情」だ。アイルランドの伝統歌に通じる牧歌的な響きがある。アイルランド人に聞かせたらどう感じるのだろうと以前から思っていた。その時の写真がある。歌う僕の脇でシェイマスもマイクを持っている。即興でハモリをつけてくれていたのだろうか。だとしたら、アイルランドの歌と「知床旅情」の調和を彼は感じてくれたのかもしれない。

日付が1994年になってますがおそらく1997年です

翌1998年、シェイマスは東京でライブをしている。滞在中、彼のアテンドを任せてもらった。空いた時間、家電や楽器を見たいという彼を秋葉原や御茶ノ水に連れて行った。自動改札機が飲み込み吐き出す切符の速さに目を丸くし、横断歩道を渡る人の多さをケリーの羊の行列に例えて笑わせてくれた。Sence of Humourという言葉がぴったりの人だった。

残念ながら一緒に写真を撮ったりはしなかったけれど、彼がかつて出したレコードにサインをしてもらった。1973年にお姉さんのモイア(英語名でメアリーにあたる)との連名で発表した、彼の初めての録音作品。サインをしてくれとこれを差し出すと、シェイマスは「なぜ日本人のお前がこれを…?」という顔で驚いた。これはあくまで想像だけれど、いいとこ1,000枚程度のプレスだったのではないだろうか。

サインは、彼にとっては当たり前だったのかもしれないが、アイルランド名で入れてくれた。アイルランド名では「シェイマス」と「ベグリー」の間に「O(オ)」が入る。これは、ベグリー家の「息子」であることを意味している。

ちなみにこのレコードは、1996年にアイルランドを訪ねた時にダブリンのレコードショップで買った中古盤。表記はすべてアイルランド語なので何が書いてあるのかわからないけれど(今はGoogle翻訳がアイルランド語にも対応しているのでおおまかなことはわかったけれど精度は英語に比べてまだまだ低そうだ)、ジャケットの内面には誰かの手書きで、シェイマスがどういうミュージシャンであるかが英語で書いてある。この書き主が誰かのために買い贈ったものらしく、書き主のサインと1982年の日付も書かれている。その時代、すでにアイルランド語は一般には理解のできない言葉になっていたことの一つの証でもある。

その後、僕はアイルランド音楽を紹介する世界から離れてしまい、結局それから一度も彼に会うことはなかった。それでも時々、彼の歌を聴きたくなって、CDを引っ張り出してはその声に浸っていた。客演での録音はあるものの自分の作品を出すことがほとんどなかった彼が2016年にソロアルバム『The Bold Kerryman』を発表した時は本当にうれしかった。サブスクリプションでも聴けるので、一度でいいのでぜひ耳を傾けていただけたらうれしい。

訃報を伝えるアイルランドの新聞『Irish Times』の記事には、「彼は音楽とトラクターの運転を愛した」と書かれている。彼に限らず、多くのアイルランドの音楽家にとって、音楽は決して特別なものでも、肩肘を張るものでもなく、生活の中に当たり前のようにあるものだ。彼の歌や演奏を聴けば、彼が一生を通してそのスタンスを貫き、その人生を愛していたことがわかる。音楽とのそんな向き合い方への憧れが、ソスイレコードの理念にもつながっている。

今度電車に乗る時は、スマホをポケットにしまい、切符を買って改札を通ろう。そして、目を丸くして驚いたあの日のシェイマスの顔を思い出して、一人でふっと笑って彼を送りたい。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役