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執着を手放すではなく、執着が生まれない考え方☆


想像してみる。

今のこの現実がずっと続いて、

仮に夢も望みも叶わないとしたら・・・


「そんなの嫌っ!!! 幸せじゃない!!!」

とっさにでてきた思いは、

「そんなの幸せではない」だった。



私は、「幸せ」とは状況や環境ではなく、「幸せだと感じる瞬間」のことであると考えていた。

でも、なんと・・・

それは頭の中だけの話だった、ということに気が付いた。



例えば他人から見る幸せや、承認を得る事には昔から興味がなく、比較もそんなにしてこなかったので、自分の幸せは自分で決めるということはできていた。


でも、

自分の夢や望みが叶うことを幸せの絶対条件に入れてしまっていることには今日の今日まで気が付かなかった。


夢の実現に「執着」していたんだ!!!


「幸せとは“感じる一瞬”」ということすらも、夢を実現する目的にしてきたんじゃないだろうか。

ものすごく奥の奥のほうで。



今まで感じてきた幸せの一瞬一瞬は、事実だし真実ではあるけれど、

夢の実現にともなう、「歓喜」「満足」「驚喜」という大きな刺激を得るためにはどうしたらいいんだと、意識できないところで脳はサーチし続けてきたんだと思う。


たとえこのまま現実が変わらなくても、仮に今より(一般的に)よくない状況になったとしても、自分はどう過ごせば納得なのか。


そして、どんな行動を、どんな気持ちで、どんな風に日々を見れば、「今」を愛することができるのか。


自分の外側の世界がどうであっても、変わらない「自分の納得」という絶対をベースに今を生きればいい。


それに気づいた瞬間に、とてつもなくふか~い安堵・安心感が訪れた。

言葉にしてしまうととっても薄っぺらくてもどかしいけれど・・・!!!

感じたことのないほど自分が解放された。

軽くなった!


そして思った!


「自分の納得」をベースとするならば、夢の実現も、目標の達成も、ちょっとした望みも、全部、ただの楽しいゲームじゃないか!!!


叶っても叶わなくても、うまくいってもいかなくても、私はこの絶対的な納得と安心のなかにいられるんだもん。


外の世界がどうであっても、自分の基準で行動し続けることは自分だけで簡単にできるから、「私のこの深い安心感と納得」に差し障ることはないんだもん。


どんどんゲームを楽しめばいい!


ゲームの結果はどうであれ☆


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