パターナリズムを振りかざす頭のよろしくない人々
数十年生きてきたが,脳みそを正しく使いこなせずパターナリズムを振りかざす人間がこの世にはあまりにも多いと感じる機会が多いため,今回は,頭のよろしくない人間について論じたい。
パターナリズム
お節介な人はいる。お節介は,たまにであれば心が温まることもあるが,親や学校の先生・上司がお節介な場合はどうだろう。気にかけてくれる程度ならかわいいものだが,こちらの感情を考慮しないお節介をされたり,あまつさえ,感情を考慮しないで決定権を奪われたりすると憤りすら湧いてくる。
パターナリズムという言葉がある。手許の辞典には
という語義が載っている。つまり,上位者のお節介を意味する。その上,下位者の意向は無視される。
かなり自分勝手である。こんなことが許されるのか。自由主義の立場から言えば,許される条件がただひとつ存在する。イギリスの哲学者ジョン゠ステュアート゠ミルは主著の『自由論』でこう述べた。
その許される条件とは,他者への危害を防止することである。この論を根拠にすれば,文明社会の我々は,他人に危害を加えない限りお節介を被る義理はない。そして,お節介は他人への危害となる。他人の危害は防止すべきである。パターナリズムは排除される必要がある。
ではなぜパターナリズムはなくならないか
『自由論』は1859年に出版された。パターナリズムの有害性は160年以上も前に哲学者により論じられているのにも関わらず,なぜ未だにパターナリズムは蔓延っているのか。答えは単純で,頭のよろしくない人が世の中には多すぎるからだ。頭のよろしくない人(以下「バカ」という。)は,パターナリズムという言葉をまず知らないに違いない。それどころか,大半のバカはミルの名すら知らないだろう。他人へのお節介が哲学的ないし倫理的に問題であるか否かを考えたことすら当然ない。とにかく思慮が浅い。
かくいう私も,哲学や倫理に関しては,到底知っているとは言い難いほどに無知であるが,それでもパターナリズムという言葉は知っているし,他人へのお節介の是非について考えたこともある点,そんなバカたちよりは考えが及んでいるのは事実だ。
バカがバカである所以はまだある。パターナリズムを振りかざす者は自分より上の立場であることが多く,そういう者は年上なことが多い。年上であるくせに,年下の私よりも無知なのである。一体どういう人生を送ったらその年齢でそこまで無知でいられるのか。
バカたちの地獄―世界
世界のいたる所にゴキブリのようにパターナリズムは存在する。それだけバカも存在する。世界はバカで埋め尽くされる。バカのための世界が構成される。世界はバカたちの地獄になる。ものを考える人は,生きているのがバカらしくなり,地獄の門の外に出ようとする。考えない人は地獄の門の中に,考える人は地獄の門の外にいる。
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