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パターナリズムを振りかざす頭のよろしくない人々

 数十年生きてきたが,脳みそを正しく使いこなせずパターナリズムを振りかざす人間がこの世にはあまりにも多いと感じる機会が多いため,今回は,頭のよろしくない人間について論じたい。

パターナリズム

 お節介な人はいる。お節介は,たまにであれば心が温まることもあるが,親や学校の先生・上司がお節介な場合はどうだろう。気にかけてくれる程度ならかわいいものだが,こちらの感情を考慮しないお節介をされたり,あまつさえ,感情を考慮しないで決定権を奪われたりすると憤りすら湧いてくる。
 パターナリズムpaternalismという言葉がある。手もとの辞典には

パターナリズム【paternalism】被支配者に対して,本人の意向にかかわりなく,生活や行動に干渉し制限を加えることはその利益になるとして正当化する考え方。親と子,上司と部下,医者と患者,国家と個人との関係などに見られる。温情主義。

新村出『広辞苑 第7版』(岩波書店) 2018

という語義が載っている。つまり,上位者のお節介を意味する。その上,下位者の意向は無視される
 かなり自分勝手である。こんなことが許されるのか。自由主義の立場から言えば,許される条件がただひとつ存在する。イギリスの哲学者ジョン゠ステュアート゠ミルJohn Stuart Millは主著の『自由論On Liberty』でこう述べた。

The only purpose for which power can be rightfully exercised over any member of a civilised community, against his will, is to prevent harm to others. His own good, either physical or moral, is not a sufficient warrant. He cannot rightfully be compelled to do or forbear because it will be better for him to do so, because it will make him happier, because, in the opinion of others, to do so would be wise, or even right... The only part of the conduct of anyone, for which he is amenable to society, is that which concerns others. In the part which merely concerns himself, his independence is, of right, absolute. Over himself, over his own body and mind, the individual is sovereign.

文明社会のいかなる構成員に対して,その者の意に反して正当に権力を行使できる唯一の目的は,他者への危害を防止することである。肉体的であれ道徳的であれ,その者自身の利益は十分な根拠にはならない。そうした方が彼のためになるから・その方が彼の幸福に繋がるから・他人の意見によればそうした方が賢いから・あるいは正しいからなどの理由で,その者が,行動や我慢を強制させられたりすることは正当な手段によってはあり得ない。いかなる者の,社会に対して従順であるべき行為は他人に関係する部分のみである。単に自分自身に関わる部分については,その者の独立性は当然ながら絶対である。自分自身に対して・自分の心身に対して個人は主権者である。

Mill, J. S. (1859) On Liberty. United Kingdom

その許される条件とは,他者への危害を防止することである。この論を根拠にすれば,文明社会の我々は,他人に危害を加えない限りお節介を被る義理はない。そして,お節介は他人への危害となる。他人の危害は防止すべきである。パターナリズムは排除される必要がある

ではなぜパターナリズムはなくならないか

 『自由論』は1859年に出版された。パターナリズムの有害性は160年以上も前に哲学者により論じられているのにも関わらず,なぜ未だにパターナリズムは蔓延はびこっているのか。答えは単純で,頭のよろしくない人が世の中には多すぎるからだ。頭のよろしくない人(以下「バカ」という。)は,パターナリズムという言葉をまず知らないに違いない。それどころか,大半のバカはミルの名すら知らないだろう。他人へのお節介が哲学的ないし倫理的に問題であるか否かを考えたことすら当然ない。とにかく思慮が浅い。
 かくいう私も,哲学や倫理に関しては,到底知っているとは言い難いほどに無知であるが,それでもパターナリズムという言葉は知っているし,他人へのお節介の是非について考えたこともある点,そんなバカたちよりは考えが及んでいるのは事実だ。
 バカがバカである所以はまだある。パターナリズムを振りかざす者は自分より上の立場であることが多く,そういう者は年上なことが多い。年上であるくせに,年下の私よりも無知なのである。一体どういう人生を送ったらその年齢でそこまで無知でいられるのか。

バカたちの地獄―世界

 世界のいたる所にゴキブリのようにパターナリズムは存在する。それだけバカも存在する。世界はバカで埋め尽くされる。バカのための世界が構成される。世界はバカたちの地獄になる。ものを考える人は,生きているのがバカらしくなり,地獄の門の外に出ようとする。考えない人は地獄の門の中に,考える人は地獄の門の外にいる

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