いちねんせい

※旅の高揚ついでに書いておりますのであしからず(3/9)

なんやかんや1年遅れの1年生が終わろうとしています。あっという間でした。

4月。私はまだ2年生(本来の?同級生)に嫉妬している頃。なんとか1年生と関わろうとするも、嫉妬心が根底にあるのでそれが滲み出ていたのでしょう。あまり上手くいかず。なんとか話す子はいるものの、単独行動が開始しました。

そしてこれは11月くらいまで引きずります。

私はプライドが嫌な感じに高い人間だと思っています。大学で2年生を見ては嫉妬、羨望。

しかし12月にはグループに所属するみたいな感じでは無いですが、単独行動が激減します。

何があったのでしょう。
正直私にも分かりません。

でも同時に2年生に嫉妬することは減ったような気がします。

いい意味で諦められたのかもしれません。
この事実はもうどうしようもないし、かといって浪人しない道を選べてやれていたかと問われればNOです。
私はもう「大学1年生」でしかないのだ。それはどうしようもないし、既に2年生とは専門分野に関する知識差が開いている。
結局受け入れるのに(諦めるのに)7か月もかかりました。


そしてきっとこの嫉妬心は2年後に復活すると思います。2年生の卒業式ですね。
その時の私がどんなに精神的に成長出来ているのか。頑張ります。

あと辛かったのはやはり体力、筋力不足。
最初の頃は大学内を歩くだけでもヘロヘロ。
授業を受けるための体力というのもあるのでしょうか。授業で座っているだけでもヘロヘロ。
そして会話をする能力の退化。
自宅療養中は家族と高3の時の担任とくらいしか会話をしていなかった私は圧倒的にコミュニケーション能力がおちていました。
咄嗟に言葉が出てこなくて吃る。そもそも語彙が思い浮かばない。元々滑舌が悪いのもあいまって6月くらいまでは何を言ってるか分からなかったと思います……笑
聞く力も落ちており、咄嗟に漢字に変換ができず理解が遅い、聞き取れないなどもありました。
社会と関わらない、学校という場から離れるというのはこういうことも起こり得るんだと実感した1年でした。

でも楽しい1年でした。
先生方に恵まれて?、ゆっくり私のペースで頑張ることが出来ました。
やりたかったことも沢山出来ました。
幸せです。

親は私がじっとしていない(日中はほとんど家にいない)ので心配しつつも、「他人に迷惑をかけないのなら好きなことをやりなさい。好きなものをとことん追いかけてみなさい。」と送り出してくれます。ありがたいですね。

そして私も元気になってきたこの頃は、親があの時思っていたことを呑んだついでに話してくれます。いくら治ると言われてもずっと怖かったし、今も少しは怖い。移植入院前に私が家で文字通り?倒れた日は嫌なことが頭をよぎった。毎晩毎晩何度も私の部屋を訪れて私の様子を見ないと親自身が不安で寝れない夜があった。今でも予測変換にはすぐに病名が出てくる。と。

私もまだ精神的に子どもなので親が多少ウザくなる時があるようなクソガキですが、やはり両親の元に生まれてこれて良かったとそう思います。


さて今日からは2年生です。(4/3)
専門基礎教育もあらかた終わり、いよいよ専門教育の幕開けです。
より実践的なことが増えていきます。
初心を忘れず、病院で泣いていたあの頃も受験勉強をしながら泣いていたあの頃も忘れず、日々邁進していきたいと思います。


【メモ】
・移植後2年経過。GVHDはなし。
免疫抑制剤服用終了。血球数は基準値下限で横ばい。
・移植に伴う卵巣機能低下&骨密度低下。
女性ホルモン値あまり改善無し。様子見。
・乳幼児期に推奨?される予防接種・ワクチンの接種スタート
毎度痛みと腫れはあるが何とか大丈夫。
インフルエンザワクチンで40℃を超える発熱。
・肋骨の痛み▶︎未だ謎
・筋力低下
4月 歩き方が変。走れない。
1年後 歩き方は少し改善。ジョギング程度なら可能。

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