見出し画像

カナダ留学日記93 アルバイト探し③

さて、前回に引き続きアルバイト探しの記事である。トロントでアルバイトを探すのは本当に大変だ。前々から聞いてはいたが、実際に探してみるとその大変さが実感できる。
私は5日間全てカレッジの講義で埋まっていて週末しか働けないくせに、土曜日に日本語学校のボランティアをしているので、さらに働ける時間が少ない。でも、ボランティアをやめようとは今のところ思っていない。去年、語学学校時代から築き上げた大切な関係である。もちろんお金にはならないが、「日本語を教える」現場に携われるのはとても面白い。また、日本人学生さんたちと話したり愚痴を言い合える時間はとても楽しい。
私の担当しているクラスのボランティア学生は、私を含めて4人。私以外の3人はワーキングホリデーで来ていて、全員アルバイト探し中である。ので、「仕事がみつからないね〜!」という話で毎週盛り上がっている。

ちなみに共通するのが「応募しても返事が返ってこない!」である。学生Mさんは、メールを送っても打率が悪いから、実際にレジュメを配りに行っているらしい。私はまだレジュメ配りが一度もできていないので尊敬する。
今回のアルバイト探しにおいての発見の一つなのだが、私は「店にレジュメを配りに行く」という行為がめちゃくちゃ苦手だったようである。自分ではそれくらい誰でもやってるし、仕事探しの常識だし、全然できる!と思っていたのだが、仕事探しを始めて1ヶ月経ってるのに「次の週末にしよ」「風邪ひいてるから延期しよ」とわかりやすい言い訳で先延ばしにしまくって、返信率の悪いメールでの応募を繰り返している。タスクの難易度は極めて「簡単」である。店に入って、店員さんに「今仕事を探してるんですが、募集してますか?」と聞き、返答がYesにしろNoにしろ、「私のレジュメを置いていくので、マネージャーさんに渡してもらえませんか?」とお願いするだけである。仕事を探している学生はみんな当たり前にやっている。何故それができないのか?自分でも不思議だったので、そのことについてちゃんと考えてみた。

①人に話しかけるのが苦手
私はカナダに来ていろんな人と話しているが、振り返ってみると、自分から話しかけたことは皆無だったのではないだろうか!?みんな向こうから話しかけてきて、私が返答していただけである。そう、私は自分からは話しかけられないタイプの人間だったのだ!これには驚いた。いや、自分で何を言っているんだと思うが、改めて振り返ると、日本でも私は自分から人(通行人など知らない人)に話しかけたことはほぼない。道を聞かれれば笑顔で対応するが、自分が道に迷ったた時、「人に尋ねる」という経験が皆無なのである。でも、駅員さんには尋ねられる。それが駅員さんの職務に含まれている(よね?)し、駅員さんに道を尋ねるのは当たり前のことだからと私が認識しているからだ。
飲食店で自分が「客」ならば、店員さんにいくらでも話しかけられる。それが当たり前のことだからだ。カレッジで自分が「学生」なら、他の学生にも教授にも話しかけられる。やはりそれが当たり前だからだ。しかし、「求職者」として店に入って、店員さんに話しかけるというのは私にとってかなりハードルが高かったようである。私には誰かの時間を止める(話しかける)大義名分が必要なのだ。
突き詰めれば私は、話しかけて無視をされたり、「なんだこいつ」と思われたくないわけである。店員さんも駅員さんもお客さんが質問してきてもなんとも思わないが、ストレンジャーがレジュメを配りにきたら「なんだこいつ」「迷惑だな」と思うんじゃないか・・・そういうことが頭を駆け巡ってしまってなかなか話しかけられないのである。「相手から返答が期待できる」状態じゃないと話しかけられないのだ。
こんなこと書いていると落ち込んでいるように見えてくるが、どちらかというと「驚き」の方が大きい。私は自分のことを「どこでも積極的に話しかけられるタイプ」だと思い込んでいたので、(周りからも「物怖じしないタイプだよね〜!」とよく言われる)これは発見である。心理学に「ジョハリの窓」というものがある。人間の自己は4「開放の窓」「盲点の窓」「秘密の窓」「未知の窓」があると言われている。ざっくり言うと、「開放の窓」は自分からも他人からも見えている、「盲点の窓」は自分では自覚していないが、他人からは見えている、「秘密の窓」は自分では自覚しているが、隠しているので他人には見えていない、「未知の窓」は自分も他人も把握できていないキャラクターと言った感じだ。今回実感した「ストレンジャーとして話しかけるのが苦手」というのは、私にとっての「盲点の窓」(私の周りの人には知られていた場合)、もしくは「未知の窓」であった。

②単純に「初めてのこと」が苦手
前にジムを利用する記事でも書いたと思うが、私は「初めてのこと」がめちゃくちゃ苦手である。「店に入って自分のレジュメを押し付けて帰ってくる」ということを今までの人生で一度もしたことがないので、二の足を踏んでしまうのだと思う。一度経験してしまえば次からはすぐにできるようになるのだが、この「最初の1回」のハードルが高い。単純。

③英語に自信がない
語学学校にいたときは「英語が喋れないのが当たり前」の環境の中にいたので、「伸び代しかないね」と、前向きにたくさん話すことができた。しかし、カレッジに来てみると当然「英語が話せるのが当たり前」の環境である。今まで気にしていなかった自分の文法ミスだとか、発音だとかがすごく気になるようになってしまって、今までのように咄嗟に言葉が出なくなってしまうことがある。飲食店に「客」として入るならば、どんなに英語が下手でも気にならないのだが、やはり「求職者」としてお願いに行くとなると、自分の英語が伝わらなかったらどうしようという不安が大きいのである。英語話者のオーナーたちとの面接は普通にできているので、多分「全く通じない」ということはないと思うのだが、店員さんに「忙しいのに迷惑だな」とか「その程度の英語力で働く気なの?」と思われるのが嫌なのだろう。①でも書いたが、やはり私には「客です!」「学生です!」「面接に呼ばれました!」というような「大義名分」が必要なのだ。住人に招かれない家の中に入れない吸血鬼みたいだ。

今回は別の内容を書くつもりでいて、レジュメ配りが苦手な件について書くつもりではなかったのだが、書き出すと手が止まらなくなってしまった。ライブ感で当初の予定と全然違うことを書いてしまった。ここまで書いてみると、「なんで配りに行きたくなかったのか」がわかって気分がすっきりした。記事を書きながら気付かされることってあるのだな、と感動する。カウンセリングしているみたいだ。
「よくわからないけどなんか嫌だな〜」の原因がはっきりすると、後はそれの対策をするだけになるので、気持ちが明るくなる。

「よくわからないけどなんか怖いな〜」という現象に対して「妖怪」というフォームが与えられることで、安心することに似ている。もちろん「妖怪」だって怖いのだが、「よくわからない怖いもの」が「妖怪」になることで「対策」が生まれる。昔の人は、暗闇からヒョーヒョーと聞こえてくる不気味な音を怖がった。何か恐ろしいことの前触れかもしれない、と祈祷も行われたらしい。その後、それを「鵺」という妖怪だということにした。(実際にはトラツグミだったらしいが)「なんだ妖怪か、妖怪なら夜にヒョーヒョー言ってても仕方ないな」となったわけである。妖怪よりも幽霊よりも「わからない」ものの方が怖いのである。

稲川淳二の怪談に出てくる「嫌だな〜〜嫌だな〜〜なんか怖いな〜〜」というフレーズが怖いのも「なんかわからないけど怖い」からではないだろうか。
私にとって、レジュメ配りは「嫌だな〜なんか怖いな〜」という対象だったのだが、この記事を書いた今は「人に話しかけるのが苦手でしかも初めての体験で、英語に自信ないんだから怖くて当たり前やな!」という気分である。

「みんなできることなのに、なんで自分はできないんだろう」という不安は私が小学生の時からずっと付き纏ってくる不安要素だった。成長過程の中で、いつでも「みんなが当たり前にできるのに自分だけできないこと」があった。大人になって、「発達障害なんじゃないか?」と思って精神科に行ったのも、「なんかわからないけど怖い」ことが「発達障害でした」ということになれば安心できると思ったからかもしれない。結局私の「できないこと」は発達障害のせいではなくて「ただ私がだらしなかっただけ」という結果だったのだが、その経験を通したことで、「そもそもブラック企業の仕事がブラックすぎて、だらしない私ができるわけなかった」ということに気づけて退職することができた。

今回の留学の「アルバイト探し」という経験を経て、私は自分に対しての解像度がかなり上がったと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?