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訥々日記

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タイムカプセルから掘り起こした拙い言葉の詰め合わせ
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2019年4月の記事一覧

さよなら、この気持ち「平成」に置いていくね

まだわたしのなかでぬかるんでいるままの気持ちたち。話しているうちにまた今日みたいな雨が降ってきて、足を取られてしまうこともあるかもしれない。それでも相変わらずとりとめのないことを、いつものままで気取らず書こうと思う。いつかの自分への手紙として。 ・・・ あと数時間で元号が変わるね。 ギリギリ平成元年に生まれた私だから、令和元年に入籍とか出産とかしたい人生だったな、と少しミーハーなことを思ったりもする。 というのも先日、友人の『平成最後の結婚式』ってやつに行ってきて、考え

不安そのものに対峙する前に

言わないでおこうと内に秘めていたはずの気持ちを、自分の弱さにかまけて容易く吐露した結果、恋人に不安な気持ちを伝染させてしまった。 前にも書いたけど、 こんなとき、漫画『凪のお暇』に出てきた台詞を思い出す。 男女間の悲劇の引き金はいつだって”言葉足らず” 確かに彼は言葉足らずに違いないけど、きっとわたしは伝えすぎるのだろう。感情過多の情報過多。 言葉はいつだって、おしゃべりだ。 とはいえ、言わずとして察してもらうなんて傲慢なこともしたくない。 こんなとき、一体どんな

やがて届く波紋

こんなにも誰かとずっと一緒に居ながら、 泣いて笑った日々は今までになかったと思う。 「友達以外の誰かが、そばに居ることはやっぱりいいよ」って親友に言われたときは実感なんてまだまだなかった。 あれから、まるで半年ほどあった空白の期間を埋めるかのように 何かから逃れるようなスピードで 冷えた指の先を暖め合うような感覚を持ち寄ってできるだけ一緒にいた。 だからなのか、こんな気持ちになるなんて思わなかった。 数年前に綴った言葉がまた巡ってきている。 かつては同じ屋根の下で

とりこぼしてはいけないもの

恋人が「会いに来て」って言ってくれるのを待ちきれずに、「会いに行っていい?」と聞いたら「大量のおでんを作ったよ」と写真付きの返事がきた。自分ひとりだったら考えられないような大量の具材が投下されたおでん鍋の写真を見て、彼らしいな、と思わず笑う。 一夜では食べきれそうにないアツアツのおでんを、ふたりしてハフハフしながら口いっぱいに頬張る。 「おでん作ったから会いに来てって言おうとしていたら、『会いに行っていい?』って連絡が先にきたんだよね」と彼が湯気と一緒につぶやいた。 ・・

言葉が生まれるときはいつだってひとり

強気と弱気をいったりきたりしている。 「こんなわたしだって、幸せになっていいはずだ。」という強気と、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という弱気と。 こんな気持ちについて誰かに説明できるはずもなく、所在が無い。こんな感情と一生付き合っていかなくちゃならないのか、と溜息をついた。わかってる、自分の責任を自分で取るということはそういうめんどくさいことを受け入れるということだ。 自分にとっての大切なものだけを選んだときに発生する「失くさなくてもよかったもの」の可能性に対して傷

ただいまおかえりが聞こえない部屋で

一緒に暮らしていた犬の夢をみて目が覚めた。 暴力すぎるほど眩しい朝の白い光に晒されて見開いた世界は、絶望的な気持ちを助長するかのような平和さで、それだけが唯一の救いにも思えた。 わたしがいてもいなくても変わらない世界はなんだか安心感すらある。 寝る前にわたしが大阪で一人暮らししていた時の写真を見てしまったことが、その夢をみさせた原因だということに理解が追いつくにはすこし時間がかかった。 かつて実家で一緒に暮らしていた愛犬は、住み慣れた大阪を出て一人暮らししようが、再び大

人生に、よりみちを。

2015年くらいからはじめたnoteのIDをTwitterなどと統一させたくて、イチからスタートすることにした。 過去のログを完全に消してしまうのは少しもったいない気がするので、再編集して載せたり載せなかったりしようかと思っている。(ID変更で一番もったいなかったのは購入・購読していたマガジンや、フォローを消さなくてはいけなかったことだなあ) 過去に書いたものを隠したり消したところで、なかったことにはならないし、そんなことで簡単にリスタートできるもんじゃないってくらいに、