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訥々日記

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タイムカプセルから掘り起こした拙い言葉の詰め合わせ
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#こぼれ話

きらめきも、どよめきも、一切合切

何かを書くのも久々だし、noteを開くことも久々で、そうこうしているうちに今年も残り1か月を切っていて、まるで玉手箱を開けてしまった浦島太郎のような気持ちでいます。やぁやぁ、ご無沙汰です。 読んでくれている人がいるのか甚だ疑問ではあるのですが、そんななか提供している写真を使ってくださる方が多いのでこの場を借りて、お礼申し上げます! 通知を見るたびに『snapmartみたいに換金されれば助かるのにな…』なんて密やかにゲスイいことを考えちゃったりもしますが(てへ)とはいえ

やがて、ぜんぶ大丈夫になる

下書きにいれたままなんとなく公開させれなかったこのnoteを、ようやく手放せそう。 現実はまだまだ現状回復とは言い難いけれど、 溢れてくるいろんな感情のどれもが本物で わたしは、それらを見逃さないようにひとつひとつじっくり観察している途中なのだ。 ・・・ 苦しいからこそなにひとつ書けないんだけれど、苦しくて書けないというときほど書かなきゃいけないような気がしている。 そんなことは決してないよ、とやさしい誰かは言ってくれるだろう。 「自分を大切にして」「ゆっくり休んで

そしてわたしは言葉で恋をする。

写真や絵が好きな人が目で恋をするのだとしたら、音楽が好きな人はきっと耳で恋をするのだろう。食べ物が好きな人は匂いで恋をして、スポーツが好きな人は身体で恋をする。映画が好きな人はリズム感で恋をして、本が好きな人は言葉で恋をしているのかもしれない。 ・・・ 「めんどくさい」と自分自身が思うとき、きっと相手にも「めんどくさい」と思われてるんだろう、ということも同時に思う。 そばにいてほしいと願いながらも、傷つけたくないし傷付きたくもないから「会いたくない」という相反する気持ち

夜を行き交う人たち

真夜中、どうにも眠れなくなっていたタイミングで偶然にも友達からのLINEがきた。 どうしようもなく消え入りたい気持ちを引き換えにして投げかけたLINEの内容は、今となっては微塵も覚えていないけれど「嫌われちゃうかもな、そしたら嫌だな悲しいな」と思いながら、行き場のない想いをただ聞いてほしくて吐露せずにはいられなかった。 お酒で浮かれてしまった夜も、居心地の良さに甘んじる夜も、すべてを台無しにしてしまいそうなほどひとりぼっちを自覚させられる。どうやらわたしの体は、お酒に溺れる

もう後戻りできないから どうか光のなかに立っていてね

人間を太陽と月に分けるとするなら、きっとわたしは月側の人間だな。太陽の光がなければ光ることすらままならないから。 あの頃、本気でそう思っていた。 誰かに「そんなことないよ」と言って欲しかったわけじゃなくて、本心で、なんなら無邪気に、むしろほんのすこし、そう思うことが誇りにさえ思っていた節があった。わたし、自分のことよく分かってるでしょって。 そんな高校生だったわたしに、当時バイト先の仲のよかった大学生の男の先輩が「きみも、誰かにとっての太陽なんだよ」と言ってくれたことを、

ごめんねばかりでいつもごめんね

いまだに好きになれないバンドの曲を、彼らが解散してずいぶん経つというのに今になってヘビロテしている。 どうも好きになれないとかなんとか言いながら、繰り返し聴いてしまうのはなぜなんだろう。執拗に「ごめんね」と歌う声が耳の奥でこだまする。 あなたのことは好きになれなくても、あなたたちの作ったこの歌は意味が分からないからこそ美しく煌めいていて好きだ。 このところのわたしは、すぐに気持ちが溢れてしまうから「ごめんね」と言いながら笑って、「ありがとう」と言いながら泣いてばかりいる。

やがて届く波紋

こんなにも誰かとずっと一緒に居ながら、 泣いて笑った日々は今までになかったと思う。 「友達以外の誰かが、そばに居ることはやっぱりいいよ」って親友に言われたときは実感なんてまだまだなかった。 あれから、まるで半年ほどあった空白の期間を埋めるかのように 何かから逃れるようなスピードで 冷えた指の先を暖め合うような感覚を持ち寄ってできるだけ一緒にいた。 だからなのか、こんな気持ちになるなんて思わなかった。 数年前に綴った言葉がまた巡ってきている。 かつては同じ屋根の下で

とりこぼしてはいけないもの

恋人が「会いに来て」って言ってくれるのを待ちきれずに、「会いに行っていい?」と聞いたら「大量のおでんを作ったよ」と写真付きの返事がきた。自分ひとりだったら考えられないような大量の具材が投下されたおでん鍋の写真を見て、彼らしいな、と思わず笑う。 一夜では食べきれそうにないアツアツのおでんを、ふたりしてハフハフしながら口いっぱいに頬張る。 「おでん作ったから会いに来てって言おうとしていたら、『会いに行っていい?』って連絡が先にきたんだよね」と彼が湯気と一緒につぶやいた。 ・・

言葉が生まれるときはいつだってひとり

強気と弱気をいったりきたりしている。 「こんなわたしだって、幸せになっていいはずだ。」という強気と、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という弱気と。 こんな気持ちについて誰かに説明できるはずもなく、所在が無い。こんな感情と一生付き合っていかなくちゃならないのか、と溜息をついた。わかってる、自分の責任を自分で取るということはそういうめんどくさいことを受け入れるということだ。 自分にとっての大切なものだけを選んだときに発生する「失くさなくてもよかったもの」の可能性に対して傷