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あかね噺-第103席・緊緩-感想

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毎回、最初のこの部分に、世間で話題になってる事とか、他の漫画の感想なんかを書いているのですが、この部分は落語で言うマクラみたいに考えていて、流れるように本編の感想に入れるような文章が書ければいいなと書いています。感想の最初にあらすじを入れているのは、どんな話の感想かが分かる方が、遡って読んだ時に分かりやすいように入れてます。
なんでこんな話をしてるかと言いますと、ネタが無い時にこの話を書こうと決めていたからで、今回はそういう事だったと言う訳で、感想に行きます。

◆あらすじ


週刊少年ジャンプ 2024年3月25日発売 16号

泰全は緊緩を活かした落語で、笑いを取る。「修行とは不条理に耐えること」苦しみが足りないと自分に課してきた泰全だが、志ん太の言葉で目覚める。

◆感想


笑いを取るタイプじゃないと思ってたけど、緊張と緩和でしっかり笑いを取るタイプだったみたいですね。サイレント図書館・お葬式での失敗など、笑ってはいけない空気だからこそ、笑えてしまう。きっちり笑いを取る落語家で良かったなと思いました。
今回は、自分に正直・修業とは、について書いていきます。

自分に正直
ワガママを自分に正直という言い換えは、ずるいと思いました。
ただ、自分に正直でも良い人もいる訳で、自分に正直=ワガママでは無いという事は、騙されちゃいけないと思います。

しかし、落語において「仁」というのは自分の中身を見せる事でもあるので、自分に正直、言葉に嘘がないというのは大きな強みであると感じます。
例えば、桂ざこばさん、典型的な意固地なおっさんで、女性蔑視みたいなことも平気で言うし、好きな噺は「動物いじめ」。すぐに怒って喚き散らす、近くにいる人は大変だろうなって思うんですけど、言葉に嘘がなく、いつも本音で喋ってて、涙もろくて一生懸命で不器用で、なんだかんだ、みんなから愛されてる落語家も居ます。

今の時代は、空気を読めないとダメですが、昔は空気を読まない芸人は沢山いました。テレビは正しいという幻想のために、テレビに出る人は清廉潔白であり、正しい事しか言わない、人を傷つけることはしない事を求められ、そういう芸人は減っていきました。
今、空気を読まないのは「ビートたけし」と「大田光」ぐらいじゃないかな。ジャニーズに媚びてたくせに、問題を起こせば叩きまくる。松本人志の番組を作ってるのに、文春の報道を受けてテレビに出さない。
みんなが右という中で、左を向くのは許されない世の中になりつつあります。

安倍さんが亡くなって、統一教会で大騒ぎして、信教の自由や思想の自由をまるっきり無視して、安倍タタキでメディアのお祭りの中で、太田光だけが、統一教会は問題があるけど、信教の自由をないがしろにするのはおかしいと言って、めちゃくちゃ叩かれてたけど、空気を読んで前言撤回して謝罪とかはしなかったのは、すごいと思った。
そんな大田が尊敬してた立川談志も、空気を読まない人で、TPOに構わず面白いと思った言葉は、放送禁止用語だろうが、平気で口にする人でした。
談志にそれが出来たのは、テレビに媚びてなかったから、テレビに出れなくなっても、落語をやれば客が来て食うには困らないから、自由にワガママに本音で生きられた。

全生の媚びない、嫌われることを恐れない、本音でワガママで居るというのも、ある種の自信の裏付けがあるんだろうなと思うと、途端に大きく見えてきました。
私なんかは嫌われたくないと思う人なので、逆に誰からも好かれないみたいな部分もあるだけに、こういう自分を持ってる人には憧れますね。

修業とは
「修業とは不条理に耐えること」と泰全が思い出していましたが、実際の落語界にも似た言葉があります。
それは「修業とは矛盾に耐えること」といういのがあります。
これは立川談春の書いた「赤めだか」で出てくる言葉で、談志が弟子入りした新弟子に最初に教える言葉だそうです。

修行と修業、似た言葉ですけど、修業は業の字から分かるように、業を身につけることです。
それを身につける方法はいろいろあると思うのですが、やっぱり言われたとおりに見様見真似でやるのが、一番確実だと思います。
一見、矛盾したような事でも、それが業を身につけるために大事なことだったりするので、とりあえず師匠の言ったことは、何も考えずそのままやれという事です。

一昔前に、ホリエモンが寿司なんか専門学校で習えば半年で握れるようになる。十年とかの修業は意味がないって話がありました。
最近、ホリエモンがその話をしてたんですけど、最近少し考え方が変わったらしく、そういう修業というのもあるのかもしれないと語っていました。
頭の良い人や要領の良い人は半年で覚えられるのかもしれないけど、不器用な人は、何も考えずにひたすら師匠のマネをやり続けるしか無い。
それは時間がかかるけど、最低限、師匠に似たレベルまでは出来るようになるから、そういう根気があれば確実に身につけられるシステムというのも悪くないのかもしれないみたいなニュアンスでした。

落語家の修業も、コレを聞いて似た部分もあるのかもしれないと思いました。
談志の弟子は、相当大変だったらしく、談志の弟子が務まるなら、どんな会社でも務まると言われたほどでした。
弟子は、談志の無茶振りに耐えて、その中で落語に必要な間を覚えていくという事だそうです。
以前見た、談志のドキュメンタリーで、弟子に舐めていた飴玉を預け、次の日に続きを舐めるから出せと言われて、専用の飴袋から、談志に昨日の飴を渡すシーンがあって、談志も弟子も凄すぎて笑ってしまいました。
弟子も大変だと思うのですが、弟子はどこかの舞台で、このエピソードトークをすれば、笑いを一つ取れるわけで、談志の無茶振りもある意味、弟子の財産と言えるのかもしれません。
矛盾や不条理を感じ、それは出来ないと突っぱねた先には、何も残らないのです。

師匠の様になるというのは、弟子として真っ当なわけで、周りにどう思われようが、だんまりを決め込んで楽屋にこもってるのも、泰全と全生は感じがずいぶん違うけど、似てる部分があると感じました。
師匠のワガママに習って好きにさせてもらうって落ちも完璧でした。
全生が泰全のワガママにどう対応するかも楽しみです。


最後に回想が入って終わりなんですが、これはこのまま過去編に行く流れでもおかしくないような気もするけど、エピソードをちょろっと書いて終わりな気もする。出来れば、あかねが2つ目になる前に、朝志隊の3人の物語をガッツリ書いても良いんじゃないかと思うけど、どうなんでしょうか?
来週どうなるか楽しみにしたいと思います。でわでわ。


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