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親しき仲にも礼儀あり、の礼儀は、思いやり

少し前、高校時代の友達とごはんに行ったとき、ちょっと嫌なことがあった(あとから考えると、ちょっとではなくかなりだったけど)。

そのとき私は、友達の言ったことに対して、え?ってなったけど、悪気はないのが分かっていたから、私のこと仲良いと思ってるからやろうなあって思った。

友達は多分、なにも気がついていない。
なにしろ今彼女は幸せのど真ん中。
彼女の話を聞いて、いろいろと思ってしまう自分はなんて心が狭いんだろうと思った。
なんとなくもやもやしたまま、その日は別れた。

後日、別件でlineがきたとき。
どうも彼女とうまく会話が噛み合わない。今までもあったことだけど、彼女と私はたぶん少し価値観が違う。それをうまく伝えられない。今まではもう彼女に合わせていたこともあったけど、今回ばかりはそれができなくて。

高校時代の別の、その子のこともよく知っている友達にlineをした(彼女とは本当に仲が良いけど、ふだんは特に用事以外でlineのやりとりをすることはない)。こんなことがあったんやけど、と送ると、電話をかけてきてくれた。大丈夫?と。

私は、え?となったけど、その瞬間に涙が溢れた。

ああ、私はやっぱり言われたくないことを言われて傷付いていたんだなと、そのときに気が付いた。
いや、気付いていたけれど、蓋をしていたのかもしれない。仲の良い友達にそんなことを思ってはいけないと。
最近仕事でもいいことないし心が荒んでるかも、とか、人の幸せをよく思えないなんてだめだ、とか、そんなことばっかり思っていた。
この友達の、大丈夫?と、私だったらlineするのさえしんどくなってると思う!の言葉に、ああ嫌って思ってよかったんだって思えた。


仲の良い友達だから、なにを言ってもいい、ではないんだと思う。
仲が良いからわかってくれるだろう、これくらいいいだろう、は話し手の感情。
コミュニケーションは、受け手が全てだ。
受け手が嫌な思いをしないかを考えて話すことは、どんな相手にも必要なことなのだと思う。

そんなことを言ってたら、みんなに気を遣わないといけないってこと?楽だから友達なのに?と思うけど、たぶん気を配ると気を遣うは違うんだと思う。
相手に対して思いやりをもっているかどうかなのかなと思った。
楽な関係とか、心地いい関係は、そういうものの上に成り立っているんだと思う。

今回のことがあって、私自身が今までどうだったのかを考えると、少しこわくなった。
大事な友達を傷付けてこなかったか?不快な思いをさせてこなかったか?と。
実際、それはわからない。
これからの自分で、周りの人を大事にしていこう。
それはきっと、気を遣う関係とは違う。

#ひとりごと #友達 #人間関係 #思いやり

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