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短歌「読んで」みた 2021/09/19 No.15

海港のごとくあるべし高校生千五百名のカウンセラーわれは
 伊藤一彦『伊藤一彦自選歌集-宮崎に生きる-』(宮崎南印刷 2021年)

育ちゆく子供に対して、どうあればいいのだろう。
何も出来ず、100%人の力を頼る状態から子供はスタートする。よく言われる「○○歳になれば楽になるから」とはその頼られ度合いの変化のタイミングをさす。一人で座り、歩き出し、やがて一人で食事を取れるようになり、物理的なアシストの必要は減っていく。心も成長する。頼る大人無しではいられなかったものが、少しずつ自分の世界を作っていくのだ。

その中にあって、言動を問われるのは関わる大人の方である。親、教師、習い事の先生などなど、大人はどれほどの加減で在るべきなのか。放任でも助け過ぎてもいけないし、立場によってその立ち位置は変わっていく。

スクールカウンセラーとして、たくさんの子供達を受け持つ心持ちを詠んだこの歌。船を受け入れる港のように、高校生1500名を受け止める存在であろうとする意気が静かでありつつしっかりと届くのは、言葉の構成の具合の良さに懸かっている。初句と2句/3句目と4句目から5句目の句またがり/最後の「われは」と3つに区切られる。倒置せず、もっと平坦に言い表すことも出来るとは思う。しかし最も心に置いておきたいものを先頭に宣言し、最後を「われは」と配されていることで、決意でありつつ覚悟とも言える意気が、よりはっきりとした輪郭を持って読むこちらに伝わってくる。

 *  *

この歌を読んで、子を持つ親の一人である私は少し勇気づけられた。だんだん成長していく子らと暮らすのは楽しいものではあるが、同時にどうしても心配が生まれる。新しい生活に移る時は特にそうで、毎度心配に気を揉んだ。干渉しすぎてはいけないけど必要な手助けはしたい。というか、今までこんなに頼ってきていて離れて一人でやれるの?!と堂々巡りをしたものである。

ある日、船についてのテレビ番組を見ていてふと思った。船は航海に出て、港に戻りまた出ていく。そうだ、毎日出てはここに帰ってくる子。子が船としてまた戻ってくる港が親、家ではないか。妙に腑に落ちた。そういうものだとして寄り添えば良いのか、と。
調べると、このひらめきは私のオリジナルではなく、とっくに沢山の人が言っていることで教育関係でよく見かけられるものだった。
子は少しずつ大きな船となり航海の距離を伸ばしていく。帰ってくるごとに次の航海に必要なものを港は提供しなくてはいけない。与え過ぎれば沈むし、足りなければ遠くまで行けない。確固たる基準はないものだから加減は難しい。しかし港になれるのは親だけではない。こうして1500人もの子供を受け止める寄港地であろうとしてくれる人がいてくれる。ただそれだけで迷いがちな親子にとって、船や港に安心を与えてくれる航路の明かりのように感じられるものである。

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