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陸軍省で働いていた祖母のこと②

陸軍省で働いていた祖母のこと① の続きです。

戦争末期の暮らし

なんとか暮らしは成り立っていましたが、戦局が進むほどに苦しいものになっていきます。祖母は義理堅い人で、何十年経とうと当時職務上知り得た極秘事項について、孫の私にすら詳しく話すことは一度もありませんでしたが、「戦争に負けそうなことは早いうちに知っていた」と言っていました。

だんだん、将校さんが減っていく。ある時、部署の女子数人が将校さんのお部屋に招かれ、コーヒーを出されて南方でのお話を聞いたり歓談。最後に「この戦争は負ける」「自分はこれから南方行く。戻ってこないだろう」と話し、上等なお砂糖と刺繍の入った真っ白な麻のハンカチを一人一人いただいたこと。

ひどい空襲にも遭います。あまりにつらくて、自分だけ安全を確保している憲兵に怒鳴りつけられたりして泣きながら道を走り、防空壕まで行くとまたいつものように門前払い。いくつ回っても駄目で、諦めて覚悟してアパートに帰ります。翌朝出勤途中に壕を覗くと全員が昨夜のまま、特に傷もなくみっしりと詰まった状態で死んでいたそうです。その時の祖母の気持ちといえば「ざまあみろとしか思えなかった。私に意地悪し続けて、人を押しのけた結果があれかと思ってしっかり見ておいた」とのこと。ギリギリの状況で思いやる気持ちなどすっかり失っていたようです。

頻繁に空襲されるようになってから、女子職員は寮にまとまって暮らすことになり、アパートを引き払って指定された寮に入ります。そこは陸軍省が接収したところで「女子医専の寮。河田町の、前のフジテレビがあったところ」だそうで、とても粗末なところだったそうです。それまでは潤沢に実家から送られるお米や味噌を食べていたのに、一切禁止。寮母さんの一家があらかた食べた後が寮生の食事で「もやしと味噌のにおいのする薄い汁」ばかりで嫌気が差した、と言っていました。職場も代用食などが出るようになり、だんだん健康を損なっていきます。
ただ、食材の在庫はとてもアンバランスな状況で、職場の食堂では代用食ばかりになっても、うどんと蜜豆の質は最後まで変わらなかったとのこと。何度か大量のバターが職場で配られて、実家に送ったり長野のおばさんに送ったりしていたそうです。ある時、ロシア料理屋をしていた、祖母の父親が昔お世話になった方に頼まれて差し上げるととても喜ばれて、何度も長い行列を飛ばしてスープを食べさせてもらったとか。通りかかるたびに祖母を見つけて食べさせてくれるので申し訳なくて、そこのお店の前は通らないようにしたそうです。

楽しいことも無くなっていきます。不忍池でボートに乗ったり楽しく淡いお付き合いをしていた学生さんは早々に学徒出陣。後に戦死されたとのこと。
東京大空襲は座布団をかぶって寮の部屋の窓から眺めていたそうです。燃える町の明かりで、火を吹きつつ落ちてくる焼夷弾がよく見えたとのこと。
それはここまでは来ないからというものからではなくて、どうせ死ぬ時は死ぬし、逃げても逃げ切れないからやけくそになっていたとのこと。数日後、本所に住んでいたという遠縁の家を見に行くと、もう全く何もなく、見覚えのあるご飯茶碗が灰の中から見えて、ああ死んでしまったんだ、と思ったそうです。その一家は行方不明のままとのこと。

入院

祖母自身もこの辺りから体調を崩し始めます。そもそも太って見えるだけで体が強い方ではないのに、度重なる献血と栄養不足からか、ついに「クループ性肺炎」と診断され、入院してしまいます。
入院と言ってもしてもらえるのは胸に練からしを塗って、ガーゼで覆うだけ。熱は高いのに薬も出ず、医学の知識がない祖母もああ私このまま死ぬんだろうな、と思っていたそうです。

実家に連絡も出来ず、そんな日々を過ごしていた時突然、佐渡の叔母が病院に現れて祖母は驚きます。佐渡の味噌のにおいをプンプンさせて(祖母に食べさせようと米と味噌を背負ってきたものの、汁漏れしていたそうです)、「帰ろう」と言う叔母。その後の経緯は詳しく聞いてませんが、とにかく重篤なのでそのまま佐渡に連れ帰られて、祖母の東京暮らしは終わります。これが昭和20年の春頃のことです。

その後と終戦

この先の話は断片しか聞いていません。佐渡に帰ると祖母は死んだ人になっていて、すでに卒業した女学校では「○○さんは東京でお国のお仕事をして亡くなられました」と追悼されていた模様。回復して、外を歩いていたら突然機銃掃射を受けたことも。「乗っている人と目が合った。笑っていた」と怒っていました。

8月15日は下駄履きで近所のお寺の境内で玉音放送を聞きます。その時のことを「本当に空っぽ。あんなに人が死んだのに。とっくに負けてたのに、と思ったら本当に空っぽの気持ちだった」と言ってます。下駄をカラカラ言わせて、晴れ上がった道を歩いて帰ったとのこと。

祖母の戦争の話はここまでです。

その先の話、疑問点やその他エピソード、私からみた祖母と戦争についてはこちら ↓ に。


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