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短歌「読んで」みた 2021/09/03 No.13

ひとりでみてしまうひとりでみてしまうひとりでデジタル時計のぞろ目
 穂村  弘『ラインマーカーズ』(小学館 2003年)

ぞろ目こと、同じ数字が並ぶのは気になるもの。験担ぎになったり都市伝説があったり、どこか謎めいた現象に感じる。どうやらその瞬間を一人で目撃することになりそうだと、この歌の中の人は気づいてしまった。肝試しの論理だろうか。複数でならわいわいと楽しく共有できるものを、1人となると話は別。
初句から「ひとりでみてしまう」が2回繰り返される。「一人で見てしまう」ではなく全てひらがなであり、句またがりであることが息継ぎ無しにそう呟いているようにも、頭の中で繰り返しているようにも感じられ、期待とも恐怖とも感じられる切迫感をより鮮明に表している。3回目は「ひとりで」で断たれ「デジタル時計のぞろ目」に続く。その途切れ具合から想定される結果は想像に難くない。

 *  *

ぞろ目について、学生時代のまだ地元にいた頃、賭け事に使う言葉だから下品だと祖母に言われたような気がする。上の世代の人にとってはこんな認識で、知っていても使うに一般的な言葉ではなかったようだ。

同じ数字が並ぶことを意識されるようになったのは割と近世のことだと思う。断言は出来ないがデジタル表示のものが増加したことにあるのではないか。特別な資格を持つ人が覗き込む計器などではなく、日常の中に同じ数字が並ぶ姿は人々の目に新鮮に映ったに違いない。

これを書いている私の幼い頃がその始まりの時期のように感じている。家の中に唯一あった、パタパタ時計という数字が書かれた板を機械で回転させて時刻を表示する時計。それ以外、身の回りにはデジタル表示のものがなかった。目覚まし時計として寝室にあり、動いているのかいないのか、待てない幼児にとって長い時間が経って、やがて飽きてくる頃にパタッと入れ替わる。同じ数字が揃ったり10:10や12:12など、誰もいない寝室に辛抱強く待って目撃すると何かいいことがあったような気がしたものである。

小学生の時、こんな噂があった。「理科室の鏡を4時44分に見ると死後の世界に連れて行かれる」というもの。似たことはたくさんあった。学生時代は授業中にふと時計を見ると同じ数字並びばかり、と怖がっているクラスメイト。世はオカルトブームで、そこにそういう意味を見出そうとする人もいた。その数年前にある数字が3つ並ぶ、悪魔の数字なるものをテーマにした映画があったせいか同じ数字並びを怖がる人もいて、自分が特に何も考えていなくてもそれはそういうことという意識を植えられるのに十分な空気があった。

スロットマシーンの777はパチンコ・スロットが普及する前から結構知られていたと思う。しかしそれも同じ数字並び、と始めは言っていた。同じ数字並びはいつからぞろ目、と言われるようになったのだろう。今ではもう普通に使われる言葉になっている。

気がついたらそうなっていることというのは、実はたくさんあるのかもしれない。それもまた不可思議領域の話の内のように思える。この歌はそういう土台からの、その時代の一面・一端を表しているものに感じられた。





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