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麦畑の家... / 原風景 その4 砂塵と泥地

そこは関東ローム層を覆う黒ボク土が開墾された新治台地が広がっていた。北側を見ると筑波山系の南端の雪入山が見えるが、他は見渡すかぎり平地で、乾燥すると砂埃、雨が降ると泥地になるという今では想像も出来ない日常があった。

越してきて、春一番が吹いた時のことです。
朝起きると布団の周りのたたみが、じゃりじゃりするのです。よく見ると、畳の上に薄っすらと細かい砂が積もっていた。
今の住宅のアルミサッシと違いガラス窓は木製です。建付けも悪く、隙間も多いので、そこから畑の舞い上がった砂が入り込むのです。現代のアルミサッシの性能からすると、信じられ無いことですが、昭和38年当時は、それが当たり前でした。
だから、風の強い日は、昼間でもガラス窓だけでなく雨戸も閉めていました。それでも砂は容赦なく家の中に入ってきましたが。

梅雨になると、家の前の砂利道や、周囲の畑に雨が降り積もり、水たまりがあちらこちらにできます。しかも前の道は畑に砂利を敷いていたので、敷地よりも高くなっており、道路で溢れた水が敷地に入ってくるのです。父親が、雨合羽を着て濡れながら道路と敷地の境に、排水の溝を、掘っていたのを思い出します。

ある梅雨の日の午後、家から30m程離れた村道を傘を差しながら歩いていた私は、ふと道沿いの作付されていない空き地を歩いて近道をしたらどうかなと考えた。大体無鉄砲な私は、なんの躊躇もなく、長靴でどかどか入り始めた。するとだんだんと長靴が沈み始めるではないか…面白くなって、そのまま、どんどんと奥へ足を進めた…だが、長靴が段々と抜けにくく成り、そして等々空き地の真ん中で、足が抜けなくなり、立ち往生…。
困った。
しょうが無く、大声で家にいるお手伝いのお婆さんを呼んだ。
直ぐに彼女が来てくれたが、彼女もまた、泥に嵌まり、身動きが取れない状態に。二人で四苦八苦すること、30分以上…。
漸く、抜け出した頃には、ふたりとも泥だらけに..。

家に帰って来た父親が、怒ること、怒ること…。
終いには、お手伝いのお婆さんにまで、怒ってました。彼女は何も悪いことは無いのに…。

二人がハマった場所は数年後に、宅地に成り住宅が建ちました。そうして私達の家の周りは少しづつ変わっていった。


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