aalto yuki

シェルティ2頭とフランス🇫🇷娘と同居して、楽しい日々を過ごしおります。

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最近の記事

伊勢神宮詣で 伊勢、東名阪自動車道にて.../紀行 その5

念願の伊勢神宮詣でも済ませ、一路雨の伊勢自動車道>東名阪自動車道を一路当夜の宿がある名古屋・栄に向かう。 ここで、書いておきたいのは、その経路で見た運転マナーの悪いドライバー2例について。 亀山JCT付近で分岐する際に、3車線の真ん中を制限速度で走っていたら、強い雨の中、追越車線を多分130km/h以上は出ていたと思う軽自動車が前の同じく軽を煽って走って行くのを見た。そんなアホは何処にでもいるのだと、改めて認識した。交通事故の悲惨なニュースを日々耳にするにも関わらずである。

    • 伊勢神宮詣で 内宮にて.../紀行 その4

      いよいよ内宮へ。 流石に内宮は駐車場から混んでおり、五十鈴川沿いの河川敷駐車場へ誘導されました。 内宮おかげ参道地下道から参道へ。人混みが、お祭り状態でした。コロナ禍以降最大の混雑を経験しました。帰る人々かつ買い物客が多く、普通の日曜日でこの人出は凄いなと、そう言えばマスクをしている人はほぼ居なかった。 歩きながら、参道や鳥居、境内を経て神宮へ辿るこの導線が神聖な空間には重要な要素だと考えつつ、宇治橋へ。 この長い参道を歩きながら考えていた。どうして人は、この場所・空間で神

      • 伊勢神宮詣で 外宮にて.../紀行 その3

        伊勢神宮詣での2日目。今回もだらだら長いので、お急ぎで無い方と余裕のある方、どうぞ。 ホテルの部屋から見上げる空はどんより雨模様だっった。どうも私は雨男らしい。旅先で晴れることよりも、雨の記憶が多い。 フェリーは9時なので、朝食後直ぐに伊勢湾をフェリー伊良湖岬を目指す。豊橋から伊良湖岬まではバイパスと下道だが、やはり雰囲気が海辺の土地特有の明るさがある。 8時過ぎには、フェリー乗車の車列に並ぶ。小一時間、待合室で時間調整。 フェリーに乗るのは、2001年に北海道・室蘭行き

        • 伊勢神宮詣で 伊勢湾渡り前のこと.../紀行 その2

          伊勢神宮詣での1日目(4/20)の事を書く前に、今回の詣では、知多半島から鳥羽へ海路で行くと当初から考えていました。古から禊に倣い、伊勢湾をフェリーで渡るために、日程を組みました。 朝5時に自宅を出発、7時にワンズを市原の実家に預け、東京湾アクアライン>湾岸線>横浜IC>新保土ヶ谷IC>横浜町田ICを通過しひたすら西へ。第2東名の直線道をひた走り。車中は期待と睡魔が混合した空気が…。 10時頃には、駿河湾沼津SAで休憩を取り、ここでドライバーは姫(長女)へ交代。 以前から運

        伊勢神宮詣で 伊勢、東名阪自動車道にて.../紀行 その5

        マガジン

        • 気まぐれなフランス娘との生活
          8本
        • 麦畑の家.../原風景
          5本
        • 自宅の本棚から
          6本
        • 建築探訪
          2本
        • X-Pro1
          0本
        • ロードバイクの旅とツーリング
          5本

        記事

          伊勢神宮詣で /紀行 その1

          4/20(土)から22(月)まで、家族で伊勢神宮に参拝してきました。そのことを少し書いていこうと思います。 何せ初めての伊勢神宮詣、そしてコロナ禍始めての遠距離旅行で宿の予約は1月にするという力の入れようだった。その甲斐あって想い出深い旅になった。順を追って、書いていきます。 4/19(金) 旅の前日、数日前からスーツケースに詰め込み始めていた。コロナ禍明け始めての旅なので、力は自然に入る。今回は家族四人でネコバス(C5Aircross)で行くので、念入りに洗車をする。翌早

          伊勢神宮詣で /紀行 その1

          旅行中で、掲載は来週火曜日からに。

          ご訪問ありがとうございます。旅行中につき、掲載は、来週火曜日からになります。 またのご来場お待ちしてます。

          旅行中で、掲載は来週火曜日からに。

          自転しながら公転する/山本文緒 図書館の書架から その1

          2020年9月刊行。図書館から借りて、半分まで読んだ。この本については、2点書きたい。 1点目。最後まで読めなかった件について。多分、読む気が無くなったのは、主人公の都のつき合っている回転寿司店員が、解雇された下りで、先が見えて来て、読書欲が低下したからと思われる。この本は、この主人公の視点で常に描かれているので、この主人公に共感し、分身化出来れば、最後まで読めると思う。古希手前のGGには、その点厳しかった。 2点目。これまで借りた図書館の本としては、一番読まれていた本だ

          自転しながら公転する/山本文緒 図書館の書架から その1

          気まぐれなフランス娘との生活 その9 近況報告 最近ご機嫌です。

          フランス娘(ネコバスと呼ばれてます)は、最近ご機嫌です。当家においでになった頃の、あの気まぐれさはすっかり消えて、最近では素直ないい娘に変身しております。良妻賢母の雰囲気さえします、どうしたのでしょうか? 先日も、ボルボのオフ会場の埼スタへ往路は下道、帰路は常磐道を快走し、フライングカーペット的乗り心地で燃費も15km/Lオーバーと。ボル友さんに、タツーを入れてもらったからか… 週末の中部のオフ会参加も、このネコバスで行きますので、ハブらないでください…。

          気まぐれなフランス娘との生活 その9 近況報告 最近ご機嫌です。

          コソ練@2024.04.14

          日曜日(4/14)にペアでコソ練に行って来た。天気は快晴、風も微風。沿道の菜の花も盛りだった。 今迄よりも若干距離を伸ばし、市役所の霞ヶ浦庁舎近くのセブン・イレブンで休憩、折り返しコースだった。前回ショートコースより約30分走行時間が伸びて1時間30分、22km。 それにしても、12年前は一日、100km走っていたのが、嘘のような今の状態…ちょほほ。 今季の目標として、歩崎のかすみがうらライドクエスト往復ということになった。およそ30km、2時間半ですね。 酷暑になる前に走

          コソ練@2024.04.14

          映画「オッペンハイマー」を考える /映画館にて その2

          最初に結論を書くが、私はこの映画については、否定的である。 一番問題なのは、広島・長崎が受けた悲惨さについて、表現していないことである。一度でも広島・長崎を訪れた人なら、あの原子爆弾が如何に非人間的なものであるか、そしてそれを開発し、投下したアメリカやその関係者が非人道的であるかを理解できるではずである。たとえこの映画が、オッペンハイマーのそういった内部矛盾を表現したかったとしてもである。 広島市民の友人が二人いる。6年前にも、訪れて原爆資料館にも足を運んだ。この映画を好

          映画「オッペンハイマー」を考える /映画館にて その2

          男子校に9年間いると...

          先日も中学時代のことを少し書いたが、私立の男子中学だった。今は共学になっている。当時でも県内に唯一無二の男子中学だったので、県内各地から生徒は通学していた。 よくも悪くも、思春期の3年間に女性と話が出来ない、しない環境が良かったのか、そうじゃなかったのかというと、自分的には残念ながら後者だと思う。 還暦も過ぎて言うのも、白々しいが、未だに女性との間が取りにくい時がある。今でのそれなので、高校に行っても、1,2年次のクラスでは男子ばかりで、3年で漸く、クラスに女子が5名居た。そ

          男子校に9年間いると...

          麦畑の家... / 原風景 その5 湖畔の親戚

          父と母の実家は、共に霞ヶ浦湖畔に在った。 母の実家は、霞ヶ浦の北の入江の奥にある高浜という街で常陸の国、府中と繋がりがある歴史あるところである。小さいながら商店街があり、常磐線の小さな駅もある。鉄道が出来るその昔は高瀬舟が寄る港もあった。 父の実家も霞ヶ浦の出島の先端にある小さい集落で田伏と言った。 だからお互いの実家へ行くときは、昔は手漕ぎ船で行ったと母から聞いたことがあった。向う岸に見えるので、陸路より船の方が早いのだ。 この湖水地方では自動車や乗り合いバス以前は、船が

          麦畑の家... / 原風景 その5 湖畔の親戚

          麦畑の家... / 原風景 その4 砂塵と泥地

          そこは関東ローム層を覆う黒ボク土が開墾された新治台地が広がっていた。北側を見ると筑波山系の南端の雪入山が見えるが、他は見渡すかぎり平地で、乾燥すると砂埃、雨が降ると泥地になるという今では想像も出来ない日常があった。 越してきて、春一番が吹いた時のことです。 朝起きると布団の周りのたたみが、じゃりじゃりするのです。よく見ると、畳の上に薄っすらと細かい砂が積もっていた。 今の住宅のアルミサッシと違いガラス窓は木製です。建付けも悪く、隙間も多いので、そこから畑の舞い上がった砂が入

          麦畑の家... / 原風景 その4 砂塵と泥地

          麦畑の家... / 原風景 その2

          その家に急いで引っ越してきたのは理由があった。その4月に私がその地区の小学校へ入学する予定だったからだ。慌ただしい引っ越しの数日後、小学校の入学式の前日母に連れられ歩いて行った。子どもの足で歩いて20分のところに学校は在った。 通学する道は、畑の中を通る新光開拓通りで、それを北へ向かって歩くと赤松林があり、その林の中の薄暗い小道の先に小学校はあった。 母と一緒に歩くのは、好きだった。元々色々なことを話してくれたり、私の質問に丁寧に答えてくれるので、話しながら一緒に歩く時間は

          麦畑の家... / 原風景 その2

          麦畑の家... / 原風景 その1

          今住んでいる所に、家族3人で引越してきたのは、1964年東京オリンピックの前年の春だった。その周りは一面の麦畑と梨畑が広がる田園で、周囲の農家が数軒点在するだけだった。家の東西と南には、黄色く色づいた麦畑が広がり、北側は唯一梨畑だった。南方向には、民家は遠くに2,3軒見えたが遥か彼方のように思えた。夜は静かで、時々鉄道を走る機関車の汽笛が聞こえた。 新築の家はまだ完成していなく、電気も水道も無く、電気は一番近いと言っても、100m程離れた農家から仮設で引いてきたし、水は井戸を

          麦畑の家... / 原風景 その1

          麦畑の家... / 原風景 その3 新光開拓通り

          新しい家は、戦後開拓農家が入植して開発された地域にある麦畑や梨畑の真ん中に建てられた。 そこには、新光開拓通りと呼ばれる道が旧水戸街道の宿場から南南東の方向に伸び、私達が通う小学校を経由し、常磐線の小さな駅とその駅前商店街へと続いていた。 その地域は新治(にいはり)台地と呼ばれ、そのため畑や果樹園が多かったが、少ない低地には水田もあり、そこへ農業用水路が繋がり、そこに霞ヶ浦から機上で揚水した豊富な水が流れていた。 私達が越してきた昭和30^40年初期には、稲作が始まる初春から

          麦畑の家... / 原風景 その3 新光開拓通り