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麦畑の家... / 原風景 その5 湖畔の親戚


父と母の実家は、共に霞ヶ浦湖畔に在った。
母の実家は、霞ヶ浦の北の入江の奥にある高浜という街で常陸の国、府中と繋がりがある歴史あるところである。小さいながら商店街があり、常磐線の小さな駅もある。鉄道が出来るその昔は高瀬舟が寄る港もあった。

父の実家も霞ヶ浦の出島の先端にある小さい集落で田伏と言った。
だからお互いの実家へ行くときは、昔は手漕ぎ船で行ったと母から聞いたことがあった。向う岸に見えるので、陸路より船の方が早いのだ。
この湖水地方では自動車や乗り合いバス以前は、船が重要なの交通手段だった。
父親からも子供の頃(昭和初期)、お爺ちゃんと、銚子まで手漕ぎ船で、お参りに泊まり込みで行ったと言う話を聞いたことがある。
夏休みになると、母と父の実家に泊まりに行くのが恒例だった。一人っ子の自分にとって、従兄弟がいるそれらの親戚の家は特別な場所だった。高浜の母の実家には、MちゃんとTちゃんが居たし、田伏にはFちゃんとR子が居た。R子以外は年上で、兄、姉の様な気がした。Fちゃんは今でも毎週のように遊びに来る。

田伏の家の後から2,3分歩いていくと、霞ヶ浦の湖面が広がっていた。湖底が透き通って見える綺麗な湖で、夏は1日中湖で遊んだ。今のように、堤防もなく、歩いていくとそのまま湖水に入って行けた。動いていない砂利採取船に登り、そこから湖に飛び込んだり、魚釣りをしていた。そうするとあっという間に昼になり、家に戻り、昼飯を食べ、昼寝をし、午後また湖畔に遊びに行った。1週間はあっという間に過ぎた。

高浜の従兄弟たちは、歳が離れていて二人共既に働いていた。だから、泊まりに行くと、一人で遊んでいた。家の中庭に湖水と繋がっていた池あり、そこでザリガニ釣りをしていた。自分でしたいと言ったのか、それともさせられたは覚えていない。しかし、スルメを竿の先に付けて、ザリガニの居そうな、水中の石壁の前に置くと、隙間からしずしずと彼らが出てくる。ハサミでスルメを捕まえた瞬間に釣り上げるのだが、面白くて1日じゅうやっていた。ただ釣り上げたザリガニは、畑に捨てられたが…。
ある夏、近くの神社で夏祭りがあり、3人で出かけた。自分の家や田伏とは違った歴史が有ることは、子どもの自分にも分かっていたし、夜店や屋台が出ていて、大勢の人たちが来ていて賑わっていた。
この街は、鹿島神宮から常陸の国の国府へ行く、経路にあり、昔から栄えていた事を知るが、それは遥か古のことである。
いずれこのことは、詳しく書きたい。

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