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会食恐怖症と安心の場(「作りたい女と食べたい女」ドラマから)

NHKプラスで見ていた
ドラマ「作りたい女と食べたい女」。

あらすじは省略しますが
登場人物がみんな自分の人生にちゃんと向き合い
相手のこともありのまま尊重しつつ
思いを素直に表現しあう関係性が心地よくて
いいドラマだったなあ。


主人公のふたり
「作りたい女」と「食べたい女」
のお隣さんに
会食恐怖症の南雲さんという女性が登場したのが
今シーズン。


会食恐怖症は
「誰かと一緒に(人前で)食事をするのが(恐怖を感じて)難しい」
症状のことだけど

わたし自身も、
幼稚園に通っていた2年間
その症状があったなあと思い出します。


あまりに幼すぎて、
その原因となった出来事も覚えていないけど

親から話を聴くかぎりは、
入園後はじめてのお弁当の時間に嘔吐したのがきっかけではないかと。

(その嘔吐すらなにきっかけか不明)


そんなわけで幼稚園に通う2年間は
「牛乳コップ一杯」がわたしの昼ご飯でした。


今回、会食恐怖症の南雲さんが
「他の人が食べていても飲み物だけ飲んでみんなで楽しく過ごす」
という時間を幾度となく過ごし

「食べるとか食べないとかどっちでもいい」
「その人の今を尊重してありのままそこにいていい」

と、人に受け入れられる体験をかさね、

ひとくち食べものを食べられるようになった
(でもそれすらもできてもできなくてもいい)
シーンがあってですね。


南雲さんが安心してそこにいられる体験ができて
それでのびのびと本来の姿を取りもどせたのが
良かったなあ、と思うと同時に

そういえばわたしも幼稚園時代、
そうしてもらってたんだなあと改めて思ったんですよね。


最初の頃こそ
「小さいおにぎりだけでも持ってきて、
一口だけでいいから食べられるようがんばりましょう」
みたいな指導があったんですが

そのうち
牛乳が全部飲めればOKとなり
その状態のまま卒園までずっと過ごしていました。


それで先生や友達に何か言われたことはない。
覚えてないだけかもしれないけど。


小学校にあがってなんとなく、
給食は食べるようになったんだけど

きっとそれは
親や先生や友達が
「あの子は今そういう状態なんだね」と
フラットにずっと尊重してくれていたからだったんですよね。


そのおかげで
幼稚園に通うこと自体がイヤになることも
みんなと一緒に過ごすことが苦手になることもなく


お弁当が食べられないことが
「ダメな子」
「できない子」
「劣ってる子」

自分の中で結び付けられることもなく



・・・うーんまあ、
多少あったとは思うけど
強烈な劣等感として意識づけられることもなく、


「ただ、みんなの輪の中でお弁当たべないだけ」

というシンプルな事象をもった人として
過ごせたのかもしれません。


その受け入れられている安心感があったからこそ
何かが回復したのか醸成されたのか
そのタイミングが来た時に
自然と食べられるようになったんだなあと。
ありがたいことでしたね。


植物が、
寒くて栄養がなくて厳しい環境では枯れてしまうように
人だって
「ダメ」「劣ってる」「正しくない」
みたいな雰囲気の中では
本当の姿ってあらわせないですもんね。

ドラマ中に南雲さんが

「人と同じことができない自分はダメなんじゃないかって思った」

みたいなことを言うシーンがあったんですけど

たぶんそれは登場人物みんなが
それぞれの分野で同じように思っていたこと。


そしてドラマだけじゃなくて
リアルを生きるわたしたちも
いろんな分野で、
うっかりそう思っちゃうことがよくあるよなあと思います。

ほんとうは、
「人と同じではない」ことは
「同じでない」というだけで

「ダメ」なことでも
「劣ってる」ことでも
ぜんぜんないんですけどね。


ありのままを受け止めてくれる人が
周りにいるのは幸運なこと。
でももしいなくても、
自分だけはそんな風に自分を見ないであげたいものですよね。


5年前、セルフヒプノセラピーで
当時の吐き気と記憶を癒して
認識をかえた体験の記事。
(症状を治療したい場合は病院等医療機関をおすすめします)


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