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みちのく潮風トレイル冒険録20:3月11日、越喜来、潮目の出会い(甫嶺駅→吉浜駅→釜石駅)

 昨年の3月11日は、石巻市の雄勝半島のトレイルを歩いた。それから1年かけてトレイルを北上してきて、冒険の舞台は宮城県から岩手県へと移った。そして、今年の3月11日は大船渡市三陸町を歩くことになった。これが、私にとっては思いがけない出会いの旅となった。
 ちなみに今回の旅は同行者がいる。弟を誘って一緒に歩くことにしたのだ。いつもは一人で黙々と足を前に運ぶだけの旅だが、弟とおしゃべりしながら歩けばいつもとは違った楽しみも生まれるだろう。


Day31:甫嶺駅→三陸駅→吉浜駅

2023年3月11日(土)
 今回の旅では、「鉄道開業 150 年記念ファイナル JR東日本パス」というJR東日本管内の鉄道が3日間乗り放題になる期間限定の切符を使って移動する(青春18きっぷと異なり新幹線にも追加料金なしで乗れるし、三陸鉄道にも乗ることができとてもお得)。乗り放題切符の期間内であるおかげなのか、新花巻駅から乗り換えた釜石線快速はまゆりは満員で、釜石駅から乗車した三陸鉄道は座ることもできないほど混雑していた。もちろん、私のような単なる観光客だけでなく、震災で大切な人を亡くしてから13回忌という節目の命日に被災地を訪れた人も多いことだろう。
 甫嶺駅で下車して、北に向かって歩き始める。前回の旅であちこちで見かけた謎のオブジェクトと似たようなカラーリングの看板が、かつてここに泊区という集落があったことを伝えている。

 小さな峠を越えると、旧三陸町の町役場があった越喜来という集落に入る。越喜来の中心駅である三陸駅に向かって歩いていくと、これまで点在していたオブジェクトと同じ奇抜なカラーリングの建物が見えてくる。この場所こそがトレイル沿線屈指のハイカーの聖地、越喜来の「潮目」だ。

 建物の中から、一人の男性が煙草をふかしながら手招きしている。この人こそ、この「潮目」とトレイル沿線に点在していた色鮮やかなオブジェクトを作り上げた人であり、おそらくみちのく潮風トレイル沿線で屈指の著名なトレイルエンジェルである片山和一良さん、通称「わいちさん」だ。
 「潮目」はわいちさんが震災ガレキを集めて作り上げた震災資料館で、彼の活動は多くの人を惹きつけ、その活動をまとめた写真集も出版されているそうだ。手招かれるままに建物の中に入り、コーヒーをご馳走になりながら相馬からトレイルを歩いてきたことを話す。わいちさんはこの「潮目」で日がな煙草をくゆらせながら、訪れる人をもてなしているのだという。「潮目」の中の壁には、これまで訪れたたくさんの人々の写真が貼ってある。

 わいちさんとのんびりお話しをしていると、ザックを背負ったハイカー姿の二人組が訪れた。聞けば、そのお二人は八戸からみちのく潮風トレイルから歩いてきたハイカーさんだそうだ。ずっと、いつかどこかで北からトレイルを歩いてきたハイカーさんとすれ違ってお話を聞いてみたいと思っていたが、初めてのハイカーさんとの出会いがここ「潮目」で訪れることとなった。実は、いつかハイカーさんと出会った時に自己紹介するためにこのnoteのURLを記した名刺を持ち歩いていたのだが、はじめて名刺を渡すことができ、これから訪れる北の難所についての情報を教えていただくこともできた。旅の「潮目」になるような、出会いのひとときだった。
 14時46分が迫っている。わいちさんにはわいちさんの14時46分の迎え方があるだろう。わいちさんに別れを告げ、海に向かって歩く。越喜来の海が見渡せる防潮堤の上に立つと、どこからともなく人が集まってくる。あの地震が起こってからちょうど12年が経ったことを知らせる14時46分のサイレンに合わせ、海に向かって静かに黙祷を捧げた。

 越喜来の集落の片隅にある「三陸大王杉」。わいちさんがおすすめのスポットだというので、訪れてみた。わいちさん曰く樹齢7,000年、本州では一番古い杉だそうだ。それが本当かどうかはともかく、古木は神秘的な雰囲気に包まれている。

 越喜来からは、隣の吉浜集落まで羅生峠という峠を越える道となる。この峠道の随所にも、わいちさんの作ったオブジェクトが仕込まれており、旅人を飽きさせない。

 標高234mの峠のピークを過ぎると「奥四ヶ浜」の3つ目の集落「吉浜」だ。ここ吉浜村は、明治の三陸津波を経験したのちに住宅の高台移転を徹底させたことで東日本大震災ではほとんど犠牲者を出さなかったことから、「奇跡の集落」と呼ばれており、住宅の高台移転を徹底させた先人を顕彰する石碑が建っている。

 吉浜の集落には震災の被害を逃れた歴史を感じさせる街並みが残っており、昭和の時代に使われていたレトロな雰囲気の郵便局の局舎も建っている。

 吉浜駅で本日の行程を終え、三陸鉄道で釜石に戻り宿泊した。三陸鉄道の車内アナウンスが、ここ吉浜名産のアワビは吉浜鮑(キッピンアワビ)という名で最高級品として取引されていることを教えてくれる。この日は甫嶺駅から吉浜駅まで、13.13kmを約5時間で歩いた。

 余談だが、釜石駅からホテルまで歩いていると、スポーツマン風のガタイのいい外国人の集団と遭遇した。調べてみると、明日は釜石市にある鵜住居復興スタジアムで釜石シーウェイブスのラグビーの試合があるようなので、恐らく対戦相手のチームの選手だろう。鉄とラグビーの街として知られる釜石、2019年にはラグビーワールドカップの舞台ともなったスタジアムのある鵜住居の集落に訪れるのは、もう少し先のことになる。

Day32:吉浜駅→釜石駅

2023年3月12日(日)
 釜石駅から始発列車に乗り、吉浜駅から歩き始める。今日は、一日で2つの峠を越える少々ハードな行程となる。吉浜村と、「奥四ヶ浜」の北端の村である唐丹村を隔てる鍬台峠は、現在は大船渡市と釜石市の境界となっているが、峠の北の唐丹村も江戸時代は伊達藩に属していた。鍬台峠には石畳道なども残り、古い街道の雰囲気がある。

 鍬台峠のピークは432mと結構な標高がある。

 峠道をくだっていくと、唐丹(とうに)の集落に入る。

 唐丹の集落は吉浜とは違って震災の被害があったようで、防潮堤の内側に真新しい復興住宅が建っている。これまで歩いてきた漁村で見てきたお馴染みの風景だが、その風景をお馴染みと感じてしまうほどに、これまで震災に襲われたたくさんの村々を歩いてきたということだ。

 唐丹村の東側の本郷という地区には、星座石という石碑がある。伊能忠敬が測量の旅の途上で唐丹村に訪れたことを顕彰するために建立された石碑だという。一介の地理オタクとして、地理学史上に名を遺す偉大な先人の足跡に触れることができ感慨深い。海岸を延々と歩くみちのく潮風トレイルの旅は、測量のために全国を歩いて旅した伊能忠敬の旅にも通じるものがある。

 本郷地区のはずれから、いよいよ石塚峠の登りに差し掛かる。登りの途中には江戸時代に作られた七里塚も残されている。石が転がりガレ場っぽくなっている峠道を、えっちらおっちら登っていく。

 ピークは309m、この峠が江戸時代は伊達藩と南部藩の境界であった。白幡のいちょうで相馬藩と伊達藩の境を越えてからひたすら歩いてきた伊達藩も石塚峠で終わり、この峠から北はゴールの八戸までずっと、かつて「三日月の丸くなるまで南部領」ともうたわれた南部家が治めた領土となる。
 江戸時代、庶民が藩の境界を越えることは厳しく規制されていた。この石塚峠にも南北に番所があり、峠を越える者を見張っていたという。幕末の嘉永6年(1853年)、三閉伊一揆という一揆が南部藩で起こった。南部藩の悪政に耐えかねた農民たちが、警備の厳しい石塚峠を避けて西側の山中を進んで伊達藩の唐丹村に押し寄せ、自分たちを伊達藩の領民にしてくれるように訴えたそうだ。庶民の移動が制限されていた時代に隣の藩への直訴という大胆な行動に訴えるなど、農民たちがどれだけ追い詰められた末の行動だったのだろうか。肩に息をしながら伊達と南部の境の峠道を登っていると、そんな農民の苦しみの歴史をちょっとは感じることができるかもしれない。唐丹村が釜石市と合併した現在では、この峠は釜石市内の唐丹と平田の地区を隔てる静かな里山になっている。

 さすがに一日に2つの峠を越えるとへとへとになる。峠のピークでザックを地面におろし、しばし休憩していると、子犬を連れた男性ハイカーが南から峠を登ってきた。ザックにはみちのく潮風トレイルのシンボルを象ったストラップがぶらさがっている。またしてもハイカー仲間との遭遇だ。話を聞くと、彼は相馬からここまで50日ほどかけて歩いてきたという。私は今日で32日目なので、彼は私よりも小刻みにセクションを刻んで、犬を連れながら歩いてきたということだろう。同じ南から北へのセクションハイクでも、人それぞれの歩き方がある。彼は、すっかりバテて休憩している私たちを尻目に颯爽と北へ進んでいった。
 峠を下った平田の集落にはローソンがあるのでここで昼食とする。ここまで同行した弟はここでギブアップ、平田駅から三陸鉄道で釜石に戻るという。平田駅には、地方ローカル線の駅にたまに見られる、訪れた人がメッセージを残す「駅ノート」が置いてあった。ふと思いつき、ローソンで購入したマスキングテープを使ってハイカー名刺を駅ノートに貼り付け、「海老名参上」というような旨のメッセージを残してみた。これからも行く先々で駅ノートを見つけたら、私が訪れた証を残していくことにしよう。

 弟といったん別れ、平田から釜石までの道を、帰りの釜石線の時間に間に合わせるために早足で駆け抜ける。鉄とラグビーの街として知られる釜石の街並みには、今も操業する製鉄所の煙突が大きな存在感を放っている。

 無事に列車の時間に間に合うように釜石駅に到着し、弟とふたたび合流。新花巻駅で新幹線に乗り換えて帰途についた。この日は23.95kmを、約8時間かけて歩いた。

 さて、これで福島県相馬市から岩手県釜石市まで634kmの道のりを一筆に歩き切った(通行止めで歩けなかった石巻市渡波から女川町浦宿までの区間は、通行止めが解除された後にDay33として歩いた)。約2年をかけてみちのく潮風トレイル全線1,053㎞のうち60.3%を踏破したことになる。
 ここまで順調に歩みを進めてきたみちのく潮風トレイルの冒険だが、ちょうどいい区切りなのでここ釜石でいったん冒険を中断することにしようと思う。実は、歩くこととは別な冒険に挑戦することを計画していて、しばらくはその準備のために時間を割きたいのだ。
 この冒険録もいったん中断することになるが、これから新しい冒険に挑む中で苦しいことがあっても、これまでみちのく潮風トレイルの冒険を通して歩いて出会った絶景たち、白銀崎からのぞむ金華山、田束山から見渡す気仙沼湾、亀山から溶けかけた雪だるまと一緒に見た龍舞崎、綾里崎からのぼる朝日、などの景色や、出会った人々にかけていただいたあたたかい親切を思い出せば、きっと頑張れると信じて、いったん筆をおくことにしよう。

 南側のセクションは↓

 北側のセクションは未踏破!
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