宗教とワクチンと私。

宗教は個人であるか。

アラフィフ、昭和から平成、令和を生き、時代の変化も多く経験している我々世代は、置かれている状況や環境により、考え方にとてつもない差があると気づく。

どちらが良い悪いではなく、時代の変化をどう受けて生きているかの違いであり、結果的に私は同世代との距離に1枚のフィルターが生まれてしまった。

最初にそれに気づいたのは、コロナ禍でのワクチン接種問題。

仕事などで指示指定されていない限りは、打つ、打たないが個人の判断に任され、ここで考え方の違いが顕著に現れた。

これは、考え方の違いだけでなく、なにを信じているか、どれほど情報を得ているか、などにより俗に言う信者と言われる程に相対することに。

わかりやすく言うと、新聞やテレビなどを情報源の主として生きている層と、ネットなどでより多くの声や情報を得ている層の違いである。正確にはその情報の取り方となるのだが。

この違いに、境界線のように存在しているのが40代〜50代の我々世代と思う。

これこそ環境によるが、当たり前や常識のアップデートをしているかの差を感じるのである。

若干、偏った話しになるが、日本は戦前から操られているという陰謀論系の話しもあり、そこでは日本という国はTVなどのメディアに洗脳され、人形家畜のように育てられているなどの話しが良く出てくる。

これには納得せざるを得ない内容と現実があり、私はどちらかというと指摘は正しいと思っている。

アメリカの属国としてだけでなく、天皇陛下もある時から純日本人ではなくなり、官僚もみな朝鮮系ばかりで構成。

そして、娯楽としてエンターテインメントを昇華した中に、国民を巧みに誘導する洗脳方法で、常識や良識を思惑通りに植え付けることに成功。

その結果が現在の日本の堕落に現れている。

元来、日本人というのは能力に秀で、優秀な人種だと言われていた。
それを恐れた権力が、リミッターをかける目的で国全体を洗脳。

ネットの一部を遮断、真実を隠され、それが当たり前となっている中国や朝鮮の国民、だが実は、それ以上に操られているのが日本国民なのである。

英語という世界共通言語を学ぶことすら抑制されたような、ただ言われたことだけを黙々と作業する働きアリのような奴隷国家が出来上がった。

この直撃世代が今の40〜50代以上である。

現在、ネットなどに情報は溢れ、なんでも調べればわかる時代となっている。

ここで間違ってはいけないのが、情報は誰の目の前にもあるが、それを自分で手に取らないといけないということ。

与えられるものの中で生きてきた我々世代は、自分から情報を得ようと動くことができない層がほとんどだ。
なぜなら、そんな行動への必要性を感じていないし、そもそもそんな考えや発想が出てこないよう洗脳されてきたから。

情報は与えられるものではなく、自ら選び取るものなのである。

少し調べれば真実がそこにあるのに、与えられる情報だけを信じ、疑問を感じたとしても声に出そうともせず、毒といわれるワクチンを打つ。

世界であれだけ止められ、危険性を暴露されていたにも関わらず、それらを一切報道しないテレビなど、メディアからの抑制された情報だけで生きているから、言われるがままにワクチンを打つ。

考えることを知らない、しない、止める層がとても多いことに気づく。

本題からずれるのでワクチン自体の問題についてはここで止めるが、私はこの時に強く感じたのである。

なにを信じて生きているか、これはもう宗教と同じだなと。

それがその人にとっての世界の真実であり人生なのであれば、そこに口出しするのは戦争と同じだ。
こちらが相手に思うことは、相手も同じようにこちらへ思っている。

だからこそ、その人にとっての常識外のことは陰謀論だなんだと言われるのである。

それでもワクチン問題の際、様々な情報の渦中で、都市伝説や陰謀論などの話題もSNSで多く見られることとなり、結果的にそこで意識を変えられた者も多かったと思う。
ワクチン後遺症の件もわりと問題になっていたのも後押し。

さて、どうしても自分の考えへ偏った文章になってしまうが、決して相手を攻撃するつもりはない。

信じているものの違い、生き方の違いなのだから。
これでどちらかを説得できるようなら世の中に戦争は生まれない。

ま、戦争自体が筋書き通りの出来事とも言われているが。。

だから最初のワクチンの後、友人と会う際に「ワクチン問題はタブーね、どっちでもいいじゃん」と話題に出さないようお願いした。今考えるとこれも気持ち悪い提案だな。
それても、信じているものや常識の差で、友達という関係性に影響を及ぼされたくなかったからだ。

ワクチンによる結果、こっちが死んでも、相手が死んでも、どちらでもいい。
信じているものを最後まで信じて死ぬならいいじゃないかと、諦めにも近い感覚で、ドライに生きることにした。

神仏はあるのに無宗教とされる日本人の弊害か、結局信じてるのは自分の世界だけであり、その人自体が宗教だなと感じたのである。

私は、単純に宇宙人や幽霊、ディープステートやイルミナティなど都市伝説系の話題が面白いから好きであり、そこから自分が信じれるものをピックアップし、自分教として生きているだけである。

その人が幸せならそれでいい。
でも、その幸せ、与えられたものか、自分でゼロから選び掴んだものか、私は後者でありたいと思っているだけ。

今の若い世代は、多様性といわれるよう、生き方を自分で判断する時代になっているのは、少なからず希望だと期待したい。

Wake up japanese.
Fuck the babylon system.

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