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鷺沢文香さんの流れ

 文香とプロデューサーは事務所の一室で向かい合って座っていた。プロデューサーはとてもうれしそうだった。
「鷺沢さんが作詞を担当した曲の第四作目がリリースされて一週間経ちました! その評判をまとめてみました! ざっくり言うと売り上げはとっても好調、評価も高い! これはすごい!」
 ハイテンションに喜びを爆発させるプロデューサーの横で、文香は机の上に置かれた小型のノートパソコンを見ていた。画面には文香が作詞した曲、その四番目のものの売れ行きとリスナーの評価をまとめたものが映っていた。文香は言った。
「これは、喜ばしいことですね」
「とても喜ばしいことですよ。鷺沢さんは作詞の才能がありますよ、これは!」
 文香は弱い笑みを浮かべた。少し緊張していたのだった。画面に並ぶコメントや数字は好意的に受け取れるものばかりだ。しかしあの批評家は文香の作詞をどう思うだろう。
 そんな文香の心情をよそに、プロデューサーは元気一杯で言う。
「第五弾も企画中ですよ! このまま流れに乗って鷺沢さんをトップアイドルの座に運びましょう!」
「そ、そうですね。私も作詞をがんばります」
「はい、がんばりましょう!」
 そのあとも文香はプロデューサーの賞賛を受け、文香がいかに活躍しているかを確認し、今後の予定を話し合って、ふたりは別れた。
 部屋を出て、事務所の廊下の隅で文香はスマホを取り出し、ぽちぽちと操作してあの批評家のブログを開いた。文香の曲を論じた記事を探してみると、すぐに見つかった。文香はブログを読み始める。

【鷺沢文香が作詞した曲の第四作目である。大雑把にいうと、これまでと同じ鷺沢文香である。内気な主人公がいて、それを救済するヒーローであったりイベントであったりアイテムがどこからともなく現れ、主人公を、つまり聞き手を癒してハッピーにする、という流れの詩であり、またそのネタかと思ってしまう。受動的な主人公しか描けないのであろうか、鷺沢文香は。ただ待っているだけで外部から救済の手が差し伸べられ救われる、それで人は本当に救われるのか。そうではない。ときにはオフェンシブに行動することで幸せを掴まなければならない状況はいくらでもあるのだ。鷺沢文香の詩に欠けているのは能動的な態度、積極的な態度、他人を追い抜いて走る態度、適切に暴力的な態度だ。その態度を得ない限り、鷺沢文香の詩はつまらない。少なくとも僕はつまらないと断言し続けるだろう。受動的であるほうが楽かもしれないが、その状態で救済をチョイスするのは怠惰なだけだ。よりアグレッシブな詩を書かなければ、鷺沢文香の評価はいずれ落ちていくだろう】

 そんなふうに書かれたブログを読み切って、文香は思ったより大きいダメージを受けた。自分はベストを尽くして詩を書いたが、マンネリでつまらないものだと言われてしまったのが悲しいし、苛立ちも感じる。
 この批評家はブログ上で小説や漫画、映画、テレビドラマ、アニメなどのストーリー構成を批評するほか、流行している音楽についても触れる批評家なのだが、文香の作詞した曲に対しては第一作目から一貫して否定的な評価をしていた。
 低い評価を無視することもできるだろう。実際、さっきプロデューサーが見せた文香の曲のまとめにこの批評家の言葉は含まれていなかった。プロデューサーも低評価の声を省いたのかもしれない。自分に都合のいい情報を手に取っていったほうが楽しくなれるだろうから。
 だが文香としては自身が手がけた詩の評価が低いのはおもしろくない。文香の詩の展開を分析されて欠点を挙げられるのも嫌なことだ。しかしこの批評は正確なところをついていると文香は思う。
 文香自身は少しでも良い詩を作ろうとがんばってきたが、テーマが「他者から救済される私」に入りがちなのは自分でもなんとかしたいと思っているところだった。それを克服するために能動的な詩を、勇敢で孤独な詩を描いていきたいと思うものの、その方向に向くと途端にアイデアが消えてしまう。
 こうして他人からきついことを言われてしまうのは辛い。ではどうしたらいいか。もっといい詩を書けばいい、という回答があるが、それは文香にとってあまり簡単なことではない。批評を無視することもできるが、文香は無視したくない。
 じゃあ自分はこの批評に怯え続けるのだろうか。そう思うと、文香はこの批評をどう受け止めるかわからない。

 数週間後、文香が気にしている例の批評家がネット上でボコボコに叩かれる事件が生じた。批評家はこのところ人気を集めているライトノベルについての記事を書き、それがライトノベルファンの怒りを買い、批評家を非難する声があちこちで高まった。
 それでも批評家は「僕は自分の意見を撤回するつもりはない」とブログで宣言し、ファンはさらに怒った。
 ネットに過激な言動が飛び交う中、文香はどれほどのことが書かれているのだろうと批評家のブログにアクセスし、ライトノベルを取り扱った記事を読んだ。

【このライトノベルのあらすじを紹介すると、現代日本に住む主人公である男子高校生がマジカルな力のある異世界にワープし、その異世界で「エナジーアーマー」という巨大人型ロボットのパイロットとなり、巨大で邪悪な怪獣とバトルを繰り広げるというもの。一方で、主人公のもとに集まる美少女たちが、それぞれ主人公との交流を深めていき、主人公に愛情を向けるようになるというストーリーが並行して展開する。この作品の問題は敵対者が出てこないということにある。主人公たちが邪悪な怪獣と戦闘して勝利し、美少女に慕われるというラインはあるものの、怪獣側は単に世界を破壊するものとしか描かれず、主人公たちはただ怪獣と戦い、撃破して、また怪獣が攻めてきたから戦う……の繰り返しである。これでは怪獣は敵対者でもなんでもなくただ主人公の邪魔をするキャラクターにすぎない。敵側になんのドラマもなく、主人公側も勇ましく戦うものの、怪獣についてなにか理解しようとはしない。そして怪獣には個性も心もない。そんな無個性な邪魔者を駆除し続け、主人公が美少女に囲まれて賛美される本作がおもしろいわけがない。バトルを描くのであれば主人公が絶対に乗り越えなければならない存在として敵対者を出すのが普通のことである。主人公本人にとって、なんとしてでもこいつを倒さねば、と思える要素を備えた敵対者がこの作品にはまるで出てこない。これでは物語として成立しない。ただの文章の集まりである】

 という内容のブログを見た文香は自分でもこのライトノベルを買って読んでみようと思い、書店へ向かった。
 到着した書店のライトノベルコーナーには豪華なイラストと長いタイトルが表紙に配された文庫が大量に並んでいる。文香は目的のライトノベルの第一巻を手に取った。
 そこでついでになにか本が欲しいなと思う。ライトノベルなら読了まで大して時間はかからないだろうから、その次に読む一冊を持っておきたいと読書好きな文香はつい考えてしまった。
 あまり自分が読んでこなかったジャンルのものがいいな、と思ううち、いつの間にか文香はミリタリー関係の書物のコーナーに来ていた。平積みされている大きな本が目に入る。第二次世界大戦の最中にヨーロッパの国々が開発した兵器を紹介するものだった。少し高い書籍だったがこれにしようと文香は思い、その本とライトノベルを持ってレジに向かった。

 書店から自室に戻ると、文香はライトノベルを読み始め、そのうちに確かにあの批評家が言っていることは割と正しい、と文香は思った。巨大な怪獣と人型兵器が力強く、激しく戦うシーンは疾走感に溢れ、映画を見ているような迫力があるが、内容的には淡白で、バトルシーンと女の子と交流する場面の繰り返しだった。両手をあげて賞賛はできなかった。
 このライトノベルについて書くことで、批評家は周囲を敵に回した。なぜそんな周りから叩かれるリスクがあることをしたのだろう。どうしてこいつは批評を続けるのだろう、文香はそう思った。
 その答えは意外とすぐに分かることだった。批評したい創作物がそこに転がっているから批評するのだ。
 文香の詩にしろ、このライトノベルにしろ、なにか創作物という対象があるから批評は動き出す。対象となるものがなければ批評は成立しない。
 創作物にはエネルギーがある、というのは文香にもわかっていることだった。紙の上やスクリーンに描かれた物事が、頭に入ってきていろいろなことを想起する。その想起を産むエネルギーを、たいていの創作物は持っている。
 そのエネルギーを受けて語るのが批評なのだろう。厳しい言葉を並べられても、それは批評者がエネルギーを作品から取り出して自分の考えを言っただけであって、酷評されているとは言い切れない。
 なら批評に怯えることもない。エネルギーを自分の言葉に変換して発するのは悪いことではない。それはエネルギーが広がっていく過程なのだ。

 数日後、文香はバラエティ番組に出演し、そこそこに楽しいトークを展開し、それなりに華やかな笑顔を見せ、番組を盛り上げた。
 番組の収録が終わり、文香は控え室に戻った。プロデューサーとここで落ち合う約束になっていたが、なにやら番組スタッフと話があるらしく、文香は控え室の中でポツンと座ってプロデューサーを待つこととなった。
 暇なので本でも読もうと、文香は自分のカバンから先日ライトノベルと一緒に買った二次大戦期のヨーロッパの兵器を紹介する本を取り出した。最初に紹介されていたのはイギリス軍の兵器だった。
 やがて控え室のドアが開き、プロデューサーが姿を見せた。文香は本から目を上げる。プロデューサーが言った。
「お待たせしてすいません、鷺沢さん。少し番組の今後について話をしておりました」
 文香は本を閉じて答えた。
「そう謝らなくてもいいですよ。では、いったん事務所に戻りますか?」
「はい、そうします。ん、鷺沢さん、ミリタリーに興味があるのですか?」
 プロデューサーは文香が持つ本の表紙を見ていた。文香は本をプロデューサーに向ける。
「ええ、ふと手に取った一冊なのですが、読んでみると興味深いですね」
「第二次世界大戦の頃の兵器ですか。欧州の。となるとやっぱりドイツ軍が一番独創的ですよね」
 プロデューサーは表紙をしげしげと眺めて言った。
「プロデューサーさん、そのあたりの知識があるのですか?」
「私はメカが結構好きなんです。だから車両とか飛行機についても興味がありまして、戦車や戦闘機にも惹かれるところがあります。だからミリタリー関係にも少しながら知識があるんですよ」
「なるほど……」
 プロデューサーは本を開き、ページをペラペラめくりながら言った。
「ティーガーはかっこいいですよね。主砲はアハトアハト、装甲も分厚い。でもこんなに強くする必要はなかった」
 戦車の写真とそれについたキャプションをプロデューサーは読みながら言う。文香はプロデューサーに聞いた。
「兵器は強いほうがいいのでは?」
「実際に戦うと、ここまでスペックを盛らずとも敵軍を撃破できちゃうんですよ。オーバーキルですね。強くしすぎる。こんなに高性能な兵器をコストをかけて用意せずとも、そこそこ強い兵器を大量に生産したほうが戦いには勝ちやすい。でもしまいにはヤークトティーガーみたいな強いけどよくわからない兵器まで作っちゃう。火力や機動力を強化しまくればいいってわけでもないんですけどね」
「そうですか……兵器の強さはいろいろな視点で見なければならないんですね」
 文香がそう言うと、プロデューサーは本を閉じて文香に返した。
「兵器に限った話でもありませんがね。それじゃ、事務所に行きましょう」

 後日、プロデューサーは次の仕事を持ってきた。
「鷺沢さん、歌詞の審査員をやってみませんか?」
 事務所の部屋の中、プロデューサーは文香にそう言った。
「審査員というと、歌詞の出来栄えを評価したりするわけですか」
 そう返した文香にプロデューサーは大きく頷いた。
「そうですね。プロダクション内で新人アイドルを活躍させようという企画が立ち上がりまして、その新人さんたちが唄う歌の歌詞を決めるのですが、できるだけ質の良い歌詞を用意したい。それで、詩を厳選するわけですよ。作詞家を複数集めて歌詞を作ってもらって、それを審査していい歌詞を選ぶ。そこで経験のあるアイドルの声を参考にしたい、ということで鷺沢さんに審査員をやっていただきたいと、そういう話であります」
 つまり歌詞の批評をしてみろということだろうか、と文香は解釈した。歌詞という創作物に潜むエネルギー、それを見ろと。
 審査すべきエネルギーとはなんだろう。それは兵器の宿した性能のようなものかもしれない、そう文香は連想した。威力が高い。速く動ける。装甲が厚くて丈夫。射程が長い。などなどの性能。
 例えば世界中のみんながあなたを嫌っても、私はあなたが好き、という歌詞を見てみたらどうだろう。火力はありそうだ。しかし航続距離はどうだろうか。寒冷地でも存分に働いてくれるだろうか。
 あなたと一緒に月の上を歩きたい、という歌詞はどうか。ちょっと変わった設計だ。それが前線の兵士たちにどう評価されるだろうか。メンテナンスしやすいだろうか。
 友情は永遠ではないけれど永遠のものに近づけることはできる、という歌詞だったらどうか。頑丈だろうか、脆いだろうか。エンジンの出力はどうだろう。
「――鷺沢さん、なにかおかしかったですか?」
 不意にプロデューサーの声が降りかかり、文香はハッとなった。
「すいません、ちょっと考え事をしていて」
「そうですか? その割には笑顔を浮かべていましたが」
「えっ、笑っていましたか、私……」
「素敵な笑顔でしたねえ。で、この審査員役、やってもらえます?」
「はい、やってみます」
 文香は強く言った。

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