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久川颯ちゃんの信頼

 テレビも雑誌もネットも数字ばかり見せてくる。人気アイドルランキングの順位は何位であるか、CDの売り上げ額がどこまでの数に昇ったか、自分のプロモーション動画が何回再生されたか。
 中堅アイドルとして活動している颯はそんな数字の群れをいつも気にしていた。自分がどれだけ他者に好かれているかは数字を見ればわかる。数字が上がれば人気者の座を掴める。だから数字をアップさせたい。
 しかしながらアイドル業界は強者ばかりで、颯のスタッツでは追いつけない領域にいるアイドルがうじゃうじゃいる。そんな上等なアイドルが積み上げる数字と颯自身が出せる数字にはかなりの差があった。だからこそ颯は努力して高い数字を叩き出せるよう、いつも踏ん張っていた。
 それでもなかなかうまくはいかなかった。デビューしたからにはアイドル界のてっぺんに辿り着きたいと颯は常々思っていたが、一気に数字をジャンプアップさせることはできなかった。
 プロデューサーのオフィスでスケジュールの打ち合わせをしていたとき、颯は言ってみた。
「ねえPちゃん、はーのアイドルとしての成績、もっとよくならないかな? CDとかグッズ、いっぱい売れて欲しいけどイマイチじゃん? ヒットチャートもなかなか駆け上がっていけないし。プロモーション動画の再生数も有名な子と比べたら少ないし……」
 プロデューサーは少しの間黙ってから言った。「颯は、できるだけ多くの人に高評価されたいのか?」
「そうだよ。いろんな人が『久川颯っていいアイドル』って言ってくれたら、サイコーじゃん」
 当然だと言わんばかりの颯にプロデューサーはふむふむと頷き、また言った。
「つまり、多数の人から好かれたいと。限られた人が『久川颯はベリーグッドアイドルでーす』と言うんじゃなくて」
「はーとしては、みんなから好かれたらいいなって思うけど……でも、一部の人に評価されたらそれでいいやって人も、いなくはないか」
 好かれるならみんなから好かれたい。でもコアなファンがついてきてくれて、限られた人が熱心に応援してくれるのを好む人もいるだろう。
「独自の世界観を持っているアーティストは、自分を理解する少数のファンがいるだけで良し、と思うこともあるだろうな。昔のロックバンドの一部はそんな感じだったろう。大衆にはウケなくてもいい、自由にサウンドをぶちかますぞ、と」
 自分はそういうタイプじゃないな、と思って颯は言った。
「そういうのもかっこいいけど、はーはやっぱりたくさんの人に見られて、好かれたいよ」
「だったら久川颯というアイドルをたくさんの人に見せればいいんだ。お互いそのためにがんばろうじゃないか」
 たくさんの人って、具体的にどこを探せば見つかるんだろう? そう思いながら颯は打ち合わせの続きを事務的にこなした。

 その数週間後、颯にチャンスが降ってきた。颯の新しいCDを出す企画が立ち上がったとプロデューサーが颯に伝え、颯は狂喜乱舞し、そのCDが複数の曲を集めたミニアルバムとしてリリースされると言われた颯は再度狂喜乱舞し、ミニアルバムのコンセプトが「信頼」であると聞かされた颯はなんとなくかっこいいじゃん、とまたしても狂喜乱舞した。
 ミニアルバムのレコーディング作業が進む中でも颯は狂喜乱舞していたが、心の片隅では、このミニアルバムで高い数字を出せなかったら悲しいだろうな、とも思うのだった。颯がこうしてアイドル活動をしている間にも、当然ほかのアイドルもがんばってライブをしたりサイン会を開いたりテレビに出たりしている。そうしてたくさんの高い数字を生み出し続けている。その流れに、自分はついていきたい、追い越したい、できるかな、と颯は思いつつ自分に与えられた仕事を進めていった。
 プロデューサーから共有したいことがあるから事務所まで来てくれ、と連絡があったのはミニアルバムがほぼ出来上がった頃だった。なんの話だろうと颯はプロデューサーのオフィスへ赴いた。オフィスの中に入るとプロデューサーは机に置かれたパソコンをじっと見つめていた。颯は言った。
「Pちゃん、お疲れ様です。なんかあったの?」
「おう颯、お疲れ様。これを見てほしいんだ」
 と言ってプロデューサーは目の前のパソコンを示した。颯はプロデューサーの隣に置かれた椅子に座り、並んで机の上のパソコンの画面を見た。表示されているのはウェブサイトのようだった。白を基調としたカラーリングのサイトで、小さなフォントの文字とアルファベットと数字が並んでいる。なんだろうと颯が思っていると、プロデューサーが説明した。
「最近オープンしたこのサイトはアイドルのデータを集めて評価するものなんだ。評価の基準となるデータの内容は多岐にわたる。アイドルがリリースした曲の売り上げやSNS上での評判もデータの構成要素だが、全国のCDショップやアイドルのグッズを販売している店舗に備え付けられたカメラやセンサーで得られた情報もデータとなっている。お店に入って来た人をカメラで見て性別や年齢層のデータが得られるし、服装とか親子連れであるか否かもデータ化される。例えば高校の制服を着ている子がCDを手に取ったから高校生にウケるCDなんだな、とかね。あるいはお客さんの視線をセンサーで追跡することで、人の目に止まりやすいパッケージのデザインデータがわかる、らしい」
 颯はパソコンの画面をじっくり見た。アイドルの名前が書いてあって、その下にパラメータが示されている。歌唱力はAランク、ヴィジュアル面ではBプラスランク、二十代の男性からの人気はAランク、などなど。プロデューサーがいま言ったデータをもとにはじき出したパラメータだった。ヒットチャートの順位やCDの売り上げも当然書いてある。これまでどんなジャンルの歌を唄ってきたか、どの程度の規模のライブをやったことがあるかなどもデータ化されている。
 たくさんの人のデータが集まっているここを見れば、世の中の人が久川颯をどう思っているかわかるわけだと颯は思った。ここで高いランクや数字を出せれば自分は大人気アイドルとして胸を張れる。
 プロデューサーは言った。
「ここのデータを参考にしてアイドルが活動していけば、そのアイドルの人気は上がっていくだろう。どうしたら売れるか、というデータが揃っているわけだからな。売れるようデータを分析して、もしラブソングがウケそうだと思ったらラブソングを作る。それが飽きられてしまったら、もう一度データをチェックして、今度は恋ではなく友情を讃える歌を作ろうとか、メタ視点を持って曲が作れる。データを参照すればヒット曲を連発できるようになるのかもしれん」
 颯はもうすぐ完成するミニアルバムのことを考えた。自分の歌は、どんなデータを作るのか。

 ミニアルバムがリリースされて一週間経った。颯はスマホでプロデューサーが教えてくれたアイドルのデータをまとめたサイトを覗いてみた。
 自分はどう評価されているのだろう? 緊張しながら颯は画面を見つめる。
 やがてスマホに表示された颯のパラメータは、全ての要素においてBプラスランクだった。新譜であるミニアルバムに関する詳細なデータ欄があったのでそれをチェックしてみても、良くも悪くもない平均的な評価が並んでいた。
 悪くない評価には安心したが、特別に好評ではないというのは悔しかった。がんばってミニアルバムを作ったのに、評価が並であるのは寂しい。高い数字はまた遠のいていく。この評価が正しいとして、自分はどうしたらいいんだろう。久川颯はなにをやっても中堅クラスで終わるアイドルなのだろうか。大してお客さんの興味をひかないアイドルのままなんだろうか。
 冬にしてはよく晴れて暖かいその日、颯はレッスンスタジオでダンスの練習をした。次のライブが近づいてきているのだった。音楽に合わせて身体を動かすのは気持ちよかった。一通り動きを確認して、苦手な部分を絞り込み、対策をメモして練習を終えた。
 喉が渇いたので休憩室に行って水分をとることにした。休憩室の入り口に近づくと、中から同僚の話し声が聞こえてきた。水本ゆかりと池袋晶葉の声だ。
「元気を出せ、ゆかり。ほら、レモンミルク買ってきたぞ」と晶葉。
「ありがとうございます……お金は自分で払います……」
 ゆかりはメソメソした声を発していた。
 なにかあったのかな、と思って颯は部屋に入り、言った。
「ゆかりちゃん、晶葉ちゃん、どうしたの?」
「あっ、颯ちゃん、お疲れ様です」
 と颯を見たゆかりが言い、晶葉も「颯、お疲れさん」と言って、颯に話を振った。
「颯もアイドルのデータをまとめたサイトのことは知っているよな」
「うん」
 颯は頷き、壁際にある自販機でジュースを買った。
「あのサイトによると、ゆかりの評価が低いのだ。ランクがどれも厳しめでな」
「えっ……そんな、ゆかりちゃんだって歌上手いし、きれいだし、フルートも吹けちゃうのに?」
 並レベルの颯より、ゆかりのパラメータは低いのかもしれない。けれども颯は優越感を持ったりしなかった。ゆかりの実力を考えれば、評価は高いはずだろう。晶葉は隣にいるゆかりの肩をポンと叩いた。
「それでゆかりが元気を失ってぐるぐるしているのだ。私としてはあんなデータ、参考にならんと思うんだがな」
 参考にならない。そう言い切る晶葉に、颯は聞いた。
「晶葉ちゃんのランクは、どんな感じなの?」
「ほぼ全ての要素でAランクだった。だが私の技術はもっと低いレベルだ。あのデータでは測れないレベルだよ」
「あのサイトのデータは、正確じゃないってこと? いろんなところから集めたデータなんでしょ」と颯は自分のランクを思い浮かべつつ言う。
「人間はそんなに正確じゃないだろ。その日の気分によって聞きたい音楽も見たいアイドルの姿も変わる。人間は不安定だ。データ化できるほどわかりやすく行動するものじゃない。データとか数字の後ろにはたくさんの不安定な人々がいる。それでオーケーなんだ」
 不安定な人々がいて、それがオーケーである、と晶葉は言った。颯の出した数字の向こう側には人間がいる。颯を好む人もいるし、ごくたまにしか颯に関心を向けない人だっているだろう。いろんな気持ちを持っていて不安定なのが人間だ。その気持ちを簡単にデータ化しようとするのは、人間を単純に見すぎていることになる。
「ここにいる三人だけを見ても、性格も容姿もバラバラだろう。でも、コミュニケーションは成り立つ。いいじゃないか、そんなもんで」
 と晶葉は言った。
 誰もが違う気持ちを持っているから、自分を応援してくれる人にも出会うし、自分以外を応援する声を聞くこともある。他人をデータの枠の中でしか捉えないのは、ほかの人間を信じていない証拠だ。他人には他人の気持ちがある。それを受け入れることが人を信頼することだろう。
 晶葉はうつむいているゆかりに言った。
「ゆかり自身はアイドルを続けたいんだろ。低評価でもな」
「はい……アイドルは楽しいですから。私としてはもうちょっとがんばりたいです。自分にはまだできることがあると思うので」
 晶葉は笑った。
「アイドル側もファン側も不安定だよな。人間だからだ」
 ゆかりと同じく自分もアイドルを続けたいと颯は思った。アイドルは楽しい、というのはその通りだ。
「ね、ゆかりちゃん、晶葉ちゃん。このあと時間ある? カラオケに行って思いっきり歌おうよ」
 と颯が言うと、ゆかりは顔を上げた。
「いいですね! いまは心の底から歌いたい気分です」
 晶葉はニヤリと笑った。「かまわんぞ。天才の美声を聴けば、ゆかりの元気も回復するかもな」
 颯もニコニコして言った。
「みんなで歌ったり聴いたりしよう! はい決定っ!」
 冷たいジュースを飲んだ颯たち三人はおしゃべりをしながら最寄りのカラオケへと向かった。気分はだいぶ晴れていた。

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