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黒埼ちとせさんの切り返し

 西暦2040年以後、地球で暮らす人々はだんだんとふんわかのんびりまったりした精神を持つようになっていった。「なにごとも気楽にやろう」とか「慌てる必要はないんです」とか「のんびりと仕事を進めていけばいいのよ」とか、そういうノリですべてが進行していった。政治家たちは気楽にお互いの相違点を認め、批判したり争うことをやめていき、世界的な大企業もお気楽にモノやサービスの企画を立て「まったり商売ができればいいよね〜、失敗したら別のプランを作るだけだしね〜」というスタンスで無邪気に事業を展開していった。そうした姿勢が逆にさまざまなイノベーションに繋がっていき、ユニークな商品がたくさん開発された。
 そうしたまったりムードが十分に行き渡ると、人類は他人を傷つけたり殺すことをやめるようになった。争わず、穏やかにやっていければそれでいいんじゃないですかねぇ? とすべての人が認識した結果だった。そして世界から戦争もテロも無くなった。

 ちとせはそんな雰囲気をまとった世界の中でアイドルとして活動していた。音楽の領域も気楽にまったりいこうという精神に支配されていた。歌詞の内容も、焦らずゆっくりがんばっていけばなんとかなるさ、ミスしてもいいじゃない、という意味合いに染まっていき、曲の作りも「こういうやり方があってもいいのでは? 気に入らなかったらゴメン。また別な案を考えればOKですよね」といったアプローチが取り入れられ、例えばプログレと演歌が合体したような楽曲がヒットチャートをかき回した。
 そういう考え方にちとせは少し疑問を持っていた。気楽に行こうとか、失敗してもいいから力を抜いて進んでいけばいい、というのは単に言い訳に過ぎないんじゃないか。人間とは絶対にミスをするものなのだから、保険をかけるように「失敗しても大丈夫」と考えるのではなく、そもそもミスをできる限りゼロに近づける努力を続けるべきではないか、とちとせは感じ、アイドルとして活動した。ひとつひとつの仕事を完璧にやるという覚悟を持ってこそプロなのだとちとせは思うのだった。

 そんなふうにほとんどの人にとって平和な時代がやってきて、世界中の人々は気楽に毎日を過ごすようになったが、ある年の5月、半年後に巨大な隕石が地球にぶつかってきて、地球が滅亡するという観測が公表された。

 ちとせとプロデューサーは公園を見下ろす丘にあるベンチに座っていた。そこからは広い公園が一望できた。公園にはたくさんの人がいて、それぞれ自由に過ごしている。視界の隅のほうにはバスケットボールのコートがあって、高校生ぐらいの男女がコートの中を駆け回っている。
 音楽と同じく、スポーツという領域も世界を満たすまったりムードを積極的に取り入れた分野だった。それはプレーのスピードが遅くなったのではなく、勝つことに直結しない戦術は価値がないという考えが崩れ、負けてもいいからいろんなことをやってみようという発想が前面に立つようになったのだった。
 例えばサッカーではゴールキーパーが攻撃に参加するようになったり、バスケでは超長距離からシュートを撃ちまくるような変わった戦術が展開された。次々に現れる新戦術は、勝ち負けにこだわらない楽しみ方を生み出す源泉となった。
「今日で地球も終わりですね」
 プロデューサーがスマホをいじりながら言った。ちとせは眼下の公園に集まっている人々を眺めながら答えた。
「そうね。半年って短い時間だった。それなりに充実していたけど」
 地球に衝突する隕石はとても大きく、破壊することはできないだろう、といった見通しを専門家たちは示した。地球はぶっ壊れると専門家たちは述べ、人類もまた全滅するだろうとコメントした。
 だが、もしかしたら千人くらいの人間は生き残れるかもしれないと分析した人々も少しばかりいた。しかし一部の人間が助かっても、ほかの生き物はどうだろうか。魚や牛や豚や鶏は助かるか。植物が育つ環境は保たれるか。結局のところ破滅は避けられまい。学校も病院も警察も銀行も崩壊するだろうし。
 今日の夜中に隕石は地球に衝突する。その割にはみんな楽しそうに振る舞っているなとちとせは公園の情景を目でなぞっていた。人類はまったりと気楽に世界最後の日を過ごしている。大規模な暴動なども起こらなかった。世界が終わるのなら、気楽に終わったほうが楽なのだ。
 ちとせは隕石が落ちてくる前に最後のライブもやったし、昨日までに家族と友人たちとじゅうぶんにおしゃべりしたり遊んだりして楽しい時間を満喫した。隕石が降る今日は自由に過ごそうと、予定を空けておくことにした。すると午前10時ごろプロデューサーが電話をかけてきて、最後の一日を一緒に過ごさないかと言い出した。いわく、今日はお酒を飲んで好きな音楽を聴いてまったり過ごそうと思ったがなんとなく自分の担当アイドルと過ごしたほうがプロデューサーとして真っ当なのではないかと思いました、だから公園にでも行きませんか、ということだった。
 ちとせはこれまで共に仕事をしてきた相手と過ごすのも悪くないなと思ったので、プロデューサーに応じ、公園へやってきた。
「白雪さんはどうしています?」
 プロデューサーがスマホをズボンのポケットに入れて言った。
「千夜ちゃんはボーイフレンドと一緒に過ごしてるわ」
 そう言うとプロデューサーは驚いた顔になった。「あの方にボーイフレンド、つまり彼氏がおられるんですか?」
「私がそう解釈しているだけよ。千夜ちゃんは『あいつはただの知り合いです』って言ってるけど、きっと千夜ちゃんにとって恋人と言える相手だと思う。今朝、最後の一日は彼のところに行きなさい、ってちょっときつく千夜ちゃんに言っちゃった」
「そうなんですか……いい思い出を作れるといいですね」
「うん、そうだね」
 ちとせたちが見下ろす公園に集った人がそれぞれ自由に、お気楽に過ごしている。律儀に稼働しているアイスクリーム売り用のロボットから好きな味のアイスを買っていたり、ギターを弾き語りしていたり、大道芸をしたり、大人も子供もみんなニコニコ遊んでいる。死が不可避の状態に陥ってなお、人間たちは気楽に振る舞っている。これは死の恐怖をヒトが克服したと言っていい状況なのかもしれない。
 すると公園に赤ちゃんを抱いた母親が入って来るのが見えた。その瞬間、ちとせは少し息を詰まらせる。あの赤ちゃんは生まれて何ヶ月くらいだろう。もうまもなく人類は破滅する。赤ちゃんはこの世界に生まれてすぐ死んでしまうことになる。それでも気楽に、どうせ死んじゃってもいいから楽しくやろうと思って死んでいけるのだろうか。それには疑問符がつく。赤ちゃんは母親の腕の中で手をぐるぐる動かしたり、あたりを見回していたりする。
 ちとせがその赤ちゃんを見つめていると、公園にいる人たちが揃ってスマホを開いて口々になにかを話していた。プロデューサーもそれに気づいたようで、スマホをポケットから取り出した。
「どうしたんだろう。隕石が落ちてくる時間が変わったのかな」
 プロデューサーはスマホを操作してニュースサイトを開く。隕石が落ちる直前までニュースを配信しますと宣伝していたサイトだ。プロデューサーは新着ニュースのトップにある動画を再生した。画面にはレポーターと白衣を着た男性と、もうひとり同じく白衣を着てメガネをかけた女の子が映っていた。三人の後ろには巨大な高射砲のような装置が見える。
 レポーターが言った。
「池袋博士、これが隕石を破壊する機械なのですか?」
 白衣の男性が答える。
「破壊というより消滅させるのだ。原子ひとつ残らず」
「ええっ、原子すら残らない形で消すんですか? いったいどうやって?」
「平たく言えば、チェックボックスからチェックを外してしまうのだ」
 男性が言い切ると、レポーターは困惑した。
「わけがわからないであります」
「マウスでパソコンを操作した経験はあるだろう。ファイルにカーソルを合わせて右クリックすると、プロパティが見られる。この装置はそうやって物体のプロパティを開く。そして、その中にある『この物体はこの宇宙に存在している』というチェックボックスを編集できる。チェックを外せば、宇宙に存在しないことになる」
「大雑把な話は分かりましたが……そんなものを、どうやって作ったのですか?」
「みんなと同じことをやっただけだ。半年後に地球が滅亡すると聞いて、この装置を作り始めた。気楽にがんばって、ミスを恐れず、できることを少しずつやっていった。その結果、隕石を消去できるところまで開発できた。この装置から発射されるビームを隕石に当てれば、地球は滅びずに済む」
「それは、素晴らしい発明ですね!」
「世界が滅びるのは寂しいからな。さあ、装置を起動させよう」
 公園にいる人々がスマホの画面に釘付けになっていた。ちとせは呟くように言った。
「危険な発明だわ。原子レベルで消去できるなんて、応用すればあらゆるものを消せる」
 プロデューサーはちとせに目を向けた。
「でも、例えば癌細胞や凶悪なウイルスをすべて消し去ることができるとも言えますよ」
「そっか……まったりした世界はまだ終わらないのね」
 ちとせの視線の先で、母親に抱えられた赤ちゃんがジタバタ暴れ出した。母親は赤ちゃんを地面に下ろす。すると、赤ちゃんは元気よく走り出した。もう走れるくらいまで成長しているんだ。赤ちゃんは公園のブランコへ駆けていく。
 あの赤ちゃんと一緒に遊んでみたいな。そう思ってちとせはベンチから立ち上がった。

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