はなればなれに

下書きのままだった
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昨日(9/14)、ジャン=リュック・ゴダールの訃報を知った。映画を観る人なら誰もが一度は聞いたことがある名前だと思う。フランスで1960年代からみられたヌーヴェル・ヴァーグの運動をになった人物である。学生のわたしからすると、もう映画史の人という認識で、自分のことばで語るのも躊躇いがある。それに、このことばもきっと誰かがもうすでに書いていることだとは思うけど、許してほしい。

わたしがしっかり映画を観るようになったのは大学に入る直前だから、ゴダールを知ったのもつい最近、2年前のこと。授業で『気狂いピエロ』を観たのがはじめてだった。その授業はフランスを中心にした映画史で半期通して5本ほど映画を観てディスカッションをする。フランス映画史を語るうえでは、絶対に避けては通れない作品だから選ばれたのだと思う。その時の印象は今でもはっきり覚えていて、映画を観終わっての第一声が「なにこれ」だった。見つめて語りかけてくるし、映画は暴力だって言うし、セリフと映像の不一致に、「なにこれ」と言うしかなかった気持ちは今でもわかる。なんならいまだに理解できてない部分が多い。その後、『勝手にしやがれ』や『軽蔑』、『男と女のいる舗道』などを観て、そのセリフの使い方や編集の仕方に惹かれて今に到る。今回のタイトルもゴダールの作品からとった。ルーブルを作品に目もくれず、9分43秒で走るシーンがお気に入りです。

今年も映画館でレストア版を観たし、同じくヌーヴェル・ヴァーグのフランソワ・トリュフォー特集も観た。ゴダールの影響を受けたレオス・カラックスの特集も観た。ヌーヴェル・ヴァーグの生み出した、フランス映画のうまくことばにできない謎の魅力にわたしは取り憑かれている。つい先月は、知り合ったばかりの二回りもうえの人に、お酒の席で「わたしは!ゴダールの『映画史』を観るまでは死ねないんです!」と豪語したばかりである。

記事を読んでいると、"Le cinéma est mort"という文を何度か見かけた。「映画とは何か」について考え、作品を撮り続けてきたゴダールの死は少なからず、そういう側面があるのだろう。映画史の中の人であったけれど、いつかは新作を映画館で観れるのだと信じていた。昨日から、彼の死で映画史が変わるんだろうなとぼんやり思っている。グッバイ・ゴダール。

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