悪役令嬢はシングルマザーになりました (52) 密偵
俺は大家族の長男として生まれた。
妹と弟が合せて九人。
小さな家でおしくらまんじゅうをするように生活していた。
貧しかったが不幸ではなかったのは、仲の良い両親が子供たちを心から愛してくれていたからだろう。
ところが一番下の妹が生まれて間もなく父親が事故で死んだ。
更に追い打ちをかけるように生まれたばかりの妹に先天性の疾患があり、彼女の治療費に多額のお金が必要になることが分かった。
父親を亡くしてから昼も夜も働き、目からどんどん生気が失われていく母親を見て、俺は自分が稼ぐことを決意した。
運よく、街で一番大きな商家の下働きに雇ってもらえることになり、僅かながらでも給金を母親に送れるようになった自分を誇らしく思っていた。
俺は決して不細工と言う訳ではない。どちらかというと顔は整っている方だと思う。
しかし、不思議と目立たず周囲の人間の記憶に残らない。
下働きとして働き始めて一ヶ月経っても
「あれ!?お前誰だっけ?」
という使用人がいるくらいだ。
そして、歩く時に足音がしない、と指摘したのは商家の主人だった。
その主人から俺一人が呼び出された時は解雇されるのかとビクビクしていたが「諜報の仕事に興味はないか」と思いがけないことを尋ねられて、俺は戸惑った。
諜報の仕事が何なのかもよく分からなかったが
「今の仕事よりもずっと金になる。いい情報を持ってきたら、ボーナスをはずもう」
と言われたら否応もない。
その場で「お願いします!」と頭を下げた。
俺は密偵としての適性があったのだと思う。グングンと頭角を現し、主人からも重要な仕事を任されるようになった。
胡散臭い仕事も多かったが、家族に仕送りできる金額が増えるのは純粋に嬉しかった。
しかし、その商家の経営が厳しくなり、その時に手を差し伸べるふりをして経営を乗っ取ったのがリオンヌ公爵家であった。
リオンヌ公爵は恩着せがましく使用人はそのまま雇用を続けると宣言したが、給与は下がり労働時間が延びた。
諜報の給与も下がったが、俺はそれほど気にしていなかった。
というのは密偵の仕事は何か役立つ情報を持って来た場合に特別ボーナスが出る。俺はボーナス収入の方が圧倒的に多かったので、通常の給与に関してはそれほど心配していなかった。
リオンヌ公爵と後継ぎのパスカルは正直尊敬できる人物ではなかったが、主人を選り好みできる贅沢なんてあるはずもない。
俺は割り切ってリオンヌ公爵家の後ろ暗い諜報の仕事にも関与するようになった。
その頃、リオンヌ公爵家のエステル嬢が思いがけず王太女に選ばれるという椿事が起こり、公爵とパスカルはエステルのことを探れなかった諜報の怠慢だと俺たちを責めた。
理不尽だな、とは思ったが、何かを言い返せるはずもない。他の密偵と一緒に甘んじて処罰を受けるだけだった。
そんな時、俺にエステル嬢が育てている双子について情報を集めて来いという命令が下された。
彼女が経営していた居酒屋で情報収集をしろと命じられ、俺は隣国へ飛んだ。
居酒屋の情報を集め始めて数日後になんとエステル嬢本人と双子が帰ってきた。
俺が客のふりをして居酒屋に行くと、茶色い髪の魅力的な女主人に歓待された。
カツラを被っているという情報は聞いていたが、こんなに愛らしいとは聞いていない。
一生懸命手伝いをしている双子の可愛らしさも尋常ではない。
内心良心の呵責を感じながらも、俺は居酒屋で二人の様子を魔道具で録音していた。
お皿を下げようとした双子が、エステルに助けを求める場面があった。
「ママ~~!!!助けて!」
とココが叫び
「ママ~~!!!早く来て~!」
とミアが叫んだ。
エステルが慌てて駆け寄り、なんとかお皿は割れずにすんだ。
この声の録音は使えるかもしれないな、と俺は内心ニヤリと嗤った。
申し訳ないが俺には守るべき家族がある。特に一番下の妹は命がかかっている。
俺はリオンヌ公爵とパスカルに状況報告をした後、双子の声の録音を聞かせた。
双子を誘拐したとエステル嬢を脅す時に役に立つかもしれないと提案した。
実際に双子を誘拐できない可能性もある。そんな時にハッタリをかます材料にはなるだろう。
二人は「それは良い考えだ!」と喜ぶだけで、特別ボーナスや報酬の話は全く出ない。
痺れを切らした俺からその話題を持ち出すと
「お前にはちゃんと給与を支払っている。特別ボーナスなんてあるはずないだろう!」
と叱責された。
(このままだと妹の治療費が払えなくなるかもしれない・・・)
天下の公爵家の吝嗇ぶりに俺は呆れた。
本当のことを告白すると、俺はその時元王太子のロランが居酒屋に現れたことを知っていた。
一番貴重な情報は切り札として取っておく習慣があるので、奴らの報告には含まなかった。
特別ボーナスが出たら教えてやろうと思っていたんだが・・・。
そんな気もなくなった。
正直、見限ったと言っていい。
**
その後、俺はラファイエット公爵家のダフニーという侍女に近づいた。
彼女は双子が森の中のコテージに住んでいると言う。
ありえねーだろー!
明らかに嘘だと思ったが、リオンヌ公爵にそのまま報告すると彼はそれを疑わずに信じたようだ。
『策士策に溺れる』というが、人を騙そうとする奴は自分が騙される可能性に注意を払わないのかもしれないな。
ダフニーはとことん素人で嘘が下手だ。彼女がラファイエット公爵やエステル嬢を裏切るとは思えなかったが、俺は自分なりの考えがあり彼女の三文芝居に乗ることにした。
例えば、家紋入りのペンをさりげなくダフニーの前で使用した。
多分これでラファイエット公爵には伝わるだろう。噂通りの切れ者であれば、の話だが。
**
エステル嬢がラファイエット公爵邸で同窓会を開いた。
その時に双子の暮らすコテージを見せてもらったが、やはりこんな場所に大切な双子を住まわせるはずがない。
しかし、リオンヌ公爵に証拠として見せるために写真を撮りまくった。双子の住まいの写真や場所を報告すればあいつらは満足するだろう。
金は寄こさねーだろうけどな!
そして、ラファイエット公爵邸から退出する時に思いがけない騒ぎが起こった。セシルという女がエステル嬢を侮辱した罪で逮捕されたのだ。
セシルのことも一緒にリオンヌ公爵に報告した。
結構な情報を渡したはずなんだが、労いの言葉一つかけることのない雇い主に期待することは何もねぇな。
**
俺には考えがあった。
まず本気になってパスカルを煽てあげる。こいつは追従に弱い。
そして、ラファイエット公爵邸に忍び込み双子を攫う時にはパスカルが部隊を率いていくべきだと説いた。
「次期公爵、いえ次期国王のパスカル様が現場で陣頭指揮を執ってこそ、人々の士気は上がるのです!」
自分でも滅茶苦茶な論理だと内心嗤ったが、単純なパスカルは簡単にそれに乗った。
ラファイエット騎士団は『呪いの森』に出払っていて、双子の住むコテージの警備はほとんどない。安全で失敗する可能性のないミッションだと吹き込んだことも大きかったのかもしれない。
俺の雇い主は、自分たちが一番頭がいいと自惚れていたが、褒め言葉と一緒に何かを提案すると驚くほど素直にそれを受け入れることがあった。
例えば、ラファイエット騎士団を出来るだけ長く留守にさせるために、わざと『呪いの森』には遅れて行くようにと提言したのも俺だが・・・今となってはもうどうでもいい。
いずれにしてもリオンヌ公爵とパスカルは逮捕されるだろう。後のことはもう知らん!
俺はダフニーに支払う予定だった大金をせしめて、みんなが気づく前にさりげなく闇に消えた。
雇い主はもう終わりだ。混乱に乗じて消えたところで大きな問題にはならないだろう。
金は全部実家に送り、俺は身一つで国を出た。
妹に適切な治療を受けさせ、家族全員が暮らしていくのに十分な金額だ。
もう密偵なんて懲り懲りだ。
人の欲と金に振り回される人生はごめんだ。
地に足をつけて、真面目に働こう。
俺は自由だ。
初めて思い切り呼吸ができたように感じた。
*居酒屋のシーンはまさに『居酒屋』というエピソードに入っています(^-^)
続きはこちらからどうぞ(*^-^*)
悪役令嬢はシングルマザーになりました(53) 帰宅|北里のえ (note.com)
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