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5 震災のこと①

私が育った場所は宮城県石巻市で
東日本大震災で死者が一番多かった街です。
震災の時、私は横浜に住んでいて事務の仕事をしていました。
古いビルだったのでぐらんぐらんと揺れましたが、震源が実家の方だと知り、揺れながら会社から実家に電話をしていました。
実家は誰も出ず、連絡が取れませんでした。

それからテレビでは実家の近くのショッピングモールにみんな避難している映像が流れ、津波で人が流された状況が伝えられ、家族の安否が取れず不安で不安で仕方ありませんでした。
寒い中祖母は避難したのか・・
みんな生きているんだろうか・・
毎日毎日嫌なことばかり想像して眠れない日が続きました。

震災から三日目。
一本の留守電が入っていました。
「お父さんにもらったパンプスが流されました!無事です!」
母からでした。

お父さんに初めてもらった靴だったからショックだったのか。
三日間心配して眠れない人へのメッセージとしてはどうかと思うけれど、それを聞いて私は大泣きしました。

その留守電後はしばらく連絡が取れなかったので
何度か留守電を聞きなおしたりしました。

心配させないために出てきた言葉は
きっと日常でも人を笑わせてきた母の癖で
出ちゃったんだ。
泣きながら電話をしても心配させるだけだし、
とにかく無事を伝える言葉がそれだったんだ。

30代から園長先生として長年荒波にもまれて来た女性の
器の大きさを感じ、母を誇りに思いました。

津波は家の近くまで来ていましたが
家族は全員無事で、実家も祖母の家も無事でした。
奇跡的に被害をまぬがれた地区でした。


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