fuwariの秘密基地

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最近の記事

7 震災の事③

父に会った後、友人がいる場所に行った。 家が流されてしまい、いとこの家にいる人や、避難所にいる人など 様々だった。 家に津波が来て住めなくなってしまった友人に会いに避難所に行った。 避難所ではみんな疲れ切っていたけれど、子供たちは比較的元気で、大人を元気にしていたように見えた。 友人は「私の家に行こう」と家に連れて行ってくれ、そこで話をした。 1階の天井近くまで津波の跡があって、震災の前にお菓子屋さんをオープンした彼女の店は全部ぐちゃぐちゃだった。オープンした時からの苦労

    • 6 震災のこと②

      家族全員の無事が分かってから1ヶ月後。 東京からバスで石巻まで向かった。 友人に今何が必要か聞いて、映画のアルマゲドンの選ばれし者ばりにリュックにオムツやらジャージやらを沢山詰めて。 仙台に着いて違うバスに乗り換える。 ほとんどが石巻出身の人で、バスを待っている間石巻訛りで話し、まるで昔から知っていた家族みたいに仲良くなった。 石巻の状況を見る不安が少し和らいだと同時に、石巻の良さをたっぷり思い出して、少し悲しくもなった。 いつもなら1時間くらいで着く道のりは津波の影響で

      • 5 震災のこと①

        私が育った場所は宮城県石巻市で 東日本大震災で死者が一番多かった街です。 震災の時、私は横浜に住んでいて事務の仕事をしていました。 古いビルだったのでぐらんぐらんと揺れましたが、震源が実家の方だと知り、揺れながら会社から実家に電話をしていました。 実家は誰も出ず、連絡が取れませんでした。 それからテレビでは実家の近くのショッピングモールにみんな避難している映像が流れ、津波で人が流された状況が伝えられ、家族の安否が取れず不安で不安で仕方ありませんでした。 寒い中祖母は避難した

        • 4 LINEスタンプ

          私は昔から、思い立ったらすぐ行動する。 前職の時は、自分で描いた絵でLINEスタンプを急に作りたくなって、パソコン技術がないもんだから、知り合いで私の手書きの絵をスタンプまで加工してくれる人がいないか探しに探して作った。 出来たスタンプは【帽子おじさん】という名前のかわいいおじさん。 帽子を脱ぐとはげていて、「おはよう!」とか挨拶をしてうっかり帽子を脱いでしまい、はげがばれる・・というシュールなスタンプだ。 そのスタンプを作った事を仲良しの同僚に話したら 自分のスタンプを作

          3 夫との出会い

          夫とは前職の洋服屋で知り合いました。 私にとってそのお店は憧れのお店で、働けると決まった時 「人生っていいもんだなあ」と思ったのを覚えています。 みんなが嫌がる仕事も片付けも、大袈裟じゃなく、私には一つ一つがキラキラしていました。 夫は背が高くて細くて、漫画の中に出てくる人みたいな 例えるならばルパン三世みたいなスタイルで、お店の中でも【お洒落な人】とみんなに言われる人でした。 朝礼で夫と初めて会ったとき、夫が私を見て笑っていました。 何で笑っているのかと聞いたら、「変な

          3 夫との出会い

          2 本が好きになった理由

          小さな頃から家には沢山本があった。 母が保育園の園長先生だったこともあって絵本も沢山あった。 保育園の時から絵本の主人公になりきって、一日に何冊も何冊も読んでいた。 小学生になった時、父が家の本棚にある分厚くて大きな本を見せてくれた。 エジソン、ナイチンゲール、ライト兄弟などの伝記だった。 「これを読めるようになったらすごいぞ。本は沢山読みなさい。」と 父が言ったので、すごくなりたくて必死に読んだ。 一冊読んで父に報告すると、 「こんな難しい本を読んだのか!すごい!本を読んで

          2 本が好きになった理由

          いつもひとあしおそい

          私はいつもひとあしおそい。 セーラームーンが流行っていた幼少期 学校でみんなが話していても 興味がもてなかった。 少し興味が出た時には遅かった。 でもちびまるこちゃんが大好きだった。 後からまるちゃんと同じ誕生日なのを知って 「だからか、、仕方ないね」 と変な納得をしたのを覚えている。 そして最近タピオカにハマっている。 「甘さ控えめ」なんて言って少し調子に乗っている。 noteだってきっとひとあしおそい。 でも気が付いたら波のある沢山の出会いと 言葉に恵まれた時間

          いつもひとあしおそい