見出し画像

森林浴(Shinrin-yoku)は日本の文化

先日、森林浴に行ってきた。縄文杉のようにある地点を目指してズンズン歩くのとは違い、森の中で色々なことをしてゆっくりとした時間を過ごすアクティビティ。プロセスを大事にする感じがWell-beingといった感じ。そして森林浴は海外でも「Shinrin-yoku」で伝わるらしい。恐るべし森林浴。

・karaoke(カラオケ)
・bentou(弁当)
・shinrin-yoku(森林浴)

私が大切にしたい日本文化。外国でも日本語のままで意味が伝わるんだからまさに日本特有の文化。ちなみにnemawashi(根回し)も日本語のまま伝わるらしい。これもきっと日本の文化なのだ。

さて、森林浴では五感を開くことが大事だと聞いた。多くの人はPC、スマホやYouTubeなどで視覚と聴覚の感覚に偏っているのではないか。そしてなんとなく五感は衰えていると感じているのではないだろうか。

森の中で目をつぶってみると、どのあたりに太陽の光が差しているかはなんとなくわかるものだし、風に意識を向ければどの方向から吹いてきているかもぼんやりわかる。粗い情報しか識別できていないだろうが、私の感覚器も捨てたもんじゃない。しかし、森の匂いや香りは言語化できず、何か匂っているなという程度。嗅覚は絶賛退化中。途中からあくびし放題となったのは、森の香りを私のどこかの感覚器が感知して、副交感神経が優位になったからだろうか。

森の木たちは「フィトンチッド」という物質を出すらしい。有害な微生物や昆虫から身を守るために発している成分だそうだ。そしてその「フィトンチッド」を人間が嗅ぐと癒しの効果が出るというのだから、本当に自然は循環でできている。そんなこともあり、森の中でじっと目をつぶっていると、なんとなく森の一部になった気がした。あまりにも壮大な屋久島の自然には人間が叶うものではないし、当たり前だが人間も自然の一部なのだ。

都市部に暮らしていると忘れがちだが、実は自然が多い日本。(だからこそ、森林浴・日光浴・海水浴という「浴」の3段活用が存在するはず。)森林浴では五感を開くことが大切と教えてもらったが、日常生活で嗅覚を意識的に使っている場面はあまりない。まずは各地の森のフィトンチッドをしっかりと嗅げるように、嗅覚を意識的にトレーニングしてみるところから始めようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?