見出し画像

美意識は奥が深いもので

美しいものが沢山ある生活。本当に良いものだなと感じている。
山・川・海・森・花・星など、あげてみると自然ばかりだ。

屋久島は日本に5つある世界自然遺産の地域の1つだが、「自然美」という項目で認定されているのは屋久島のみだそう。先日、雑誌で読むまで知らなかった。

日常的にそんな世界レベルの自然に触れるようになって、感度ゼロだった私の中の「美意識」が少し成長している気がする。東京にいた頃はそもそもそんなことを感じていなかったが、きれいなものに反応して美しいと感じる神経みたいなものが衰えていたのだろうな。

そういえば、私の好きな映画「八日目の蝉」では「きれいなもの」がキーワードになっていた。この映画は、滅びの美学を感じられて良いのだが、最近見直したら小豆島の風景が屋久島に似ていることに気づき、またさらに好きになってしまった。とはいえ、そもそも日本の原風景は綺麗な自然のある風景なのかもしれないが…。

元来、日本人の美意識には、「無常観」とか「幽玄」とか「侘び寂び」とか、ネガティブなものをポジティブに捉え直したようものを評価する面がある。滅びの美学とか、未完の美などもその仲間。

1年間の屋久島生活が終わりに近づいてきていて、東京に戻ることに対して若干感傷的になっている。悲しさ、寂しさがあるのだが、ネガティブな感情だけでなく、何かポジティブなものも感じている。これがDNAにある日本人のネガティブなものの中にポジティブを見つけてしまう美意識なのでしょうか。色々と美しいものに触れて、美意識への感度が少し良くなったわけなので、屋久島生活が終わる喪失感もせっかくだから美しいものとして記憶しておくことにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?