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あの日のトリハダ。

POOLO3期卒業式において、ぶっちぎりの「ギャップ賞」を頂いた。当初の「プレゼン王」なんて呼ばれていたあべべから、なぜこのギャップが生まれたのか、自己開示を含めここに記す。

ちなみに、僕の幸福度はこの9か月間で格段に上がった。
(幸福度診断テストにおいて55.9→71.6点まで上昇)
それは「大切なもの」に気付けたから。
「あの日のトリハダ」の意味を知ったから。


1.物語のはじまり


山形県酒田市。僕の地元。もともとは、平田町という人口8000人の町であり、見渡す限りのどかな田んぼが広がっている。

庄内平野で有名な僕の地元

そこで生まれ育った僕は、小さいころから「競争社会」に生き、勝ち負けによる悲喜こもごもを繰り返していた。小中で習っていた武道(躰道)では、東北大会で優勝できたが、全国大会では3位どまり。スマブラや遊戯王といったゲームも、地元では四天王と呼ばれるぐらい強かった(笑)が、社会人が混ざる大会では、当たり前のように負けた。井の中の蛙だったことを痛感した経験である。

中高の部活は陸上部だった。中学では短距離だったが全くタイムが伸びず同級生に遅れを取る。それならと思い、高校で長距離に転向。ただ、皆と同じだけ練習しているのに、自分だけタイムが伸びない。努力しても努力しても報われない。最後の大会でも勝てなかった。もっと努力したらよかったのか。やり方が間違っていたのか。自分の6年はなんだったんだろう。
悔しさと、もう実らない努力をしなくてもいいんだという思いがあいまって、1日泣いていた。

陸上は、自分との闘いだ。自分の弱さと向き合い、記録と戦う。自分の才能の無さを自覚しながら、周りに大幅な遅れをとっていながら、努力しても報われないこの環境から逃げることは当時許されなかった。田舎である地元は、絶対に部活を完遂することがマストだったから。
6年間の陸上生活は、「努力は必ずしも実らない。努力するフィールド、努力の仕方を間違えると結果が出ない。執着をせずに諦める力も大事である」そんなことを教えてくれた貴重な体験だった。その一方で、思えばこの頃から、「競争社会」で生き抜くことに疲れていたのだろうと思う。

その後僕は、大学で東京に上京。最初の受験は、部活生活からうまく切り替えられず失敗。浪人が許されない環境のため、渋々希望していない大学に通い、それなりに楽しみながらも、当時の自分は学歴コンプレックスを抱えたままだった。仮面浪人を経て、青学に合格し入学。納得はしたものの、本来は違う大学に行きたかった。ここでも、受験戦争そして自分との闘いに勝ちきれなかった。
それからは、切り替えて大学生活を謳歌した。今までの後悔をばねに。
サークル、アルバイト、学生団体、長期インターン、NPO、海外留学、海外インターン、休学、海外バックパッカー。
やりたいことはすべて挑戦した。
その結果、第一志望だった、R社に入社。
しかし、そこでまた大きな挫折をすることになるとは知る由もなかった。

2.戦闘服という鎧


僕は、自分との闘いに勝ち切れなさ、その悔しさを感じながらも、いわゆるその時に属するコミュニティでは、常に「よく出来る子」だった。小学校の学年テストでは、小学校史上初の年間オール100点をとっていたし、中学の時は、酒田市が選ぶ優秀なメンバーに選ばれアメリカに短期留学させてもらった。競争社会において、もちろん負けることもあるけど、学業や成績においては、いわゆる上位層にはいつもいられた自負があった。
でも、リクルートでは違ったのだ。優秀すぎる先輩、同期。営業として同期と競争していく中で、自分はいわゆるトップ層にはいられない現実。MVPもイノベーション賞もいただいた。けど、自分ではわかってる。「本物」の人に追いつけないことを。いわゆるピラミッドの頂点だった人が集まるこの組織において。頑張っても頑張っても報われない。学生時代の陸上と同じ感覚だ。戦うフィールドを変えたほうがいいのか?迷いながらも、走り続けるしかない。いつのまにか僕は、「ビジネスあべべ」の戦闘服に身を包んでいた。

そもそも「ビジネスあべべ」戦闘服は、素の怠惰な自分に鞭を打つ手段でもある。本来の僕は、ずっと寝ていたいし、ずっと遊んでいたい、ずっとおいしものを食べていたい、怠惰な怠け者である。でも自分の「可能性」をどこか信じているところがある。それは過去の成功体験からくるものだろう。だからこそ戦闘服を着て、まだ見ぬ明日と自分の将来を信じ、競争社会を日々戦うしかないのである。
ガチガチに身体に張り付いた戦闘服。もう脱ぎ方さえも分からなくなっていた。次第に頑張ることにも疲れ、現実逃避で趣味に逃げるようになった。
eスポーツで世界8位と言っているが、実はあれも現実逃避から始まった趣味だ。人間関係を維持することにも疲れていた。気付けば学生時代の仲間とは疎遠になっていた。そんな中、会社以外の繋がりを再構築したい、迷っていた今後のキャリアのヒントも欲しいと思い、POOLO3期に参加した。

3.偶発的に「いつか」が訪れた


POOLO参加後も最初は様子見をし「ビジネスあべべ」のまま話していた。というか、これ以外でどう話してよいか分からない。
その中で、同じPOOLO3期のくぼちゃんと、3月頃たまたま1on1をした。開始は、なぜか夜の12時。気付いたら朝の7時になっていた。そしていつの間にか「ビジネスあべべ」の戦闘服は脱ぎ去り、僕はダメな自分を含めた「素のあべべ」を曝け出していた。28年間生きてきて初めて。
それまでほぼ話したことはないくぼちゃんだが、なぜかこの日、「この人になら何を話しても大丈夫」と思えた。僕が何を話しても、大袈裟に驚くこともなく、淡々と受け止めて全てを包容してくれる。くぼちゃん自身も過去に色々な経験をしている故、どんなマイナスなことでも全く動じない安心感。
僕は多分、楽になりたかったんだと思う。競争社会で生きることにとっくの前に疲れていた。戦闘服だって「いつか」脱ぎたかったし、ダメな自分も「いつか」誰かに自己開示したかった。その「いつか」がこの日、偶発的に訪れた。

一人に素の自分を開示できた事がきっかけで、POOLO内でも徐々に戦闘服の着脱をコントロールできるようになった。いつからかふっかる四天王と呼ばれはじめ、行けるイベントや旅企画はなるべく顔を出した。そこでPOOLOの仲間たちと、夜通し時間を忘れてゲラゲラ笑った。真剣な話も語り合った。恋バナもした。その場その場を精一杯楽しみ尽くした。

ふっかる四天王と呼ばれた4人

そう、僕は気付いたのだ。そうか、ここは自分が普段生きてきた競争社会じゃない。だから戦闘服なんていらないんだ。
POOLOは、どんな自分でも笑顔で受け入れてくれる。みんなの優しさを感じ、心理的安全性を実感していくにつれ、気づいたら素の自分を出せるようになっていった。

4.「大切なもの」は、「ほしいもの」より先にきた


幸福になるためには「3つの資本」が必要という考え方がある。
「人的資本(自分のスキル・知識など)」
「金融資本(金、株、不動産など)」
「社会的資本(友情・家族など)」
この3つの資本だ。

「幸福の資本論」著 橘玲 より

誰にとっても「時間」は平等だ。その時間をどのように使うか。
以前の僕は、圧倒的に「人的資本」に割合を割いていた。
人的資本を高めれば、能力があがることで、稼ぎもあがる。
能力があがれば、憧れの人ともつながれる。
「人的資本」を優先するのは、自分の「可能性」を信じているから。
そう信じて目の前のことに尽力し続けた結果、いつもベクトルは「自分」でに向いていた。目の前の大切にすべき人を大切にできなかった。

それからPOOLOに入って、「素のあべべ」を受け入れてくれる仲間に出会った。ずっとおざなりにしていた「社会的資本」すなわち、仲間の大切さを心から感じた。何か楽しいことがあった時に、喜びを分かち合える仲間がいる。ちょっとつらいことがあっても励ましてくれる仲間がいる。
そこには忘れていた豊かさがあった。


僕は、富樫先生の「HUNTER×HUNTER」で好きな場面がある。主人公ゴンの父親ジンが、仲間とともに王墓の真実を見つけた時のセリフだ。
「大切なものは、ほしいものより先に来た」

ハンターハンター32巻より


やっと見つけた目の前の真実はずっと欲しかったもの。でもそんなことより、自分にとって大切なものは、今ここで喜びの握手をしている「仲間たち」なのだ。
僕にとって、POOLOで出会ったみんなが「大切なもの」だ。
今までのベクトルは自分中心だった。そこから「社会的資本」の割合、つまり仲間と「ことをなす」時間を過ごすことで、僕の幸福度は格段に上がったのだ。

5.「大切なもの」と「ほしいもの」を掴む未来へ


POOLOで幸福度を考えることは、キャリアの分岐点にもなった。入社以来営業ひとすじで5年間働いてきたが、「自由に好きな人と好きな場所で好きなことをして働く」そのために営業以外のスキルもつけたい。そう決意し、4月頃に上司に相談、念願かなって10月から東京本社の企画職に異動することになった。6年間住んだ渋谷を離れ、護国寺の180人いるソーシャルアパートに引っ越しもする。ほしい未来を掴むために。

競争社会に身を置くことは悪いことばかりじゃない。人には頑張らねばいけない時もあるし、自分のような怠惰な人間は、争うことで自己研鑽をして高みを目指せるメリットもある。でも、POOLOのように、競争する必要がない世界を知った喜びはとても大きい。今後新しい部署で慣れない仕事をする。やはり辛いことも競争する瞬間も多々あるだろう。でも、そんな競争社会と、競争の必要ない社会を自由に往来することで、僕は幸福度を保ちつつ走り続けられるだろう。

POOLOに入った元々の目的は、「繋がりの再構築」「キャリアの見直し」。
結果的に僕は、どちらも得ることができた。それも全て、POOLOというコミュニティを作ってくださった運営陣、僕と関わって受け入れてくれたみんなのおかげだ。こんなに幸福度の高い9カ月間は久しぶりだった。

「HUNTER×HUNTER」のジンのセリフを初めて読んだとき、トリハダがたった。けどそのときは、なぜトリハダがたったが自分でもよくわかっていなかった。
今ならわかる。僕にずっとかけていたもの。「大切なもの」つまり、仲間。

僕はこれから、「ほしいもの」をつかみに行く。
POOLOで出会った「大切なもの」を、大切にしながら。
重かった戦闘服も、いらないときは、脱ぎ捨てられるよ。

そして、世界樹の頂点で、また会おう。
その道中にはきっと、「大切なもの」がころがってる。

ハンターハンター32巻より


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