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学力、学歴では勝てないので戦うことを辞めた学歴コンプレックス大学生の話。

こんにちは、あべです。

先ほど、久しぶりに大学に行きました。自分はほとんどオンライン講義。週一回しか対面講義がないからです。

しかし今回は、講義のために大学に向かったのではありません。Twitterで相談が来ていて、相談主と待ち合わせをしていたので、大学に向かったのです。

今回の記事は、その人と話しながら思っていたけど、伝えなかったことを書いていきます。一部伝えたことかな?まあいいやw

高校時代の学歴コンプレックスの呪縛。

話している中で、学歴コンプレックスの話が出ました。

学歴コンプレックスは、正直すごくわかるんです。僕も学歴コンプレックスを持っています。

僕の卒業した高校は、市内でも2,3番手の普通科高校でした。つまり、1番手の普通科高校があるんです。しかも、小学中学時代の仲の良い友達の中にあは、1番手の高校に行った人もいます。

もっといえば、僕は一番手の高校の人が多い塾にも通っていました。そこで一番手の人たちが会話している内容に追いつくことはできないし、模試の結果を見比べたときは900点満点中200点、300点の差があるし。

もっともっといえば、僕は頭がよくありません。高校1年生の一番最初の試験では偏差値39くらいです。国語なんて偏差値30でした。偏差値30なんてもはや奇跡です。ガリガリ君が当たるくらい奇跡です。

まぁ、高校時代はそれでも勉強を頑張って、最終的に偏差値45くらいまで上げ、点数でいうと100点ちょいくらいあげて国立大学に合格したのですが。

もうね、市内No.1の普通科高校生の話を塾で聞くので、超絶憂鬱でした。憂鬱というか、超えられない壁があるというか、模試でいい点数とっても「いや、でも○○さんより低いしな~」と自分を認められないんです。

しかも、その○○さんは「平均的に80点」を取っている。僕は「日本史だけ80点」を取っている。圧倒的に超えられない壁がある。正直いつも比較して辛かったです。

大学に入って感じた学歴コンプレックス

この学歴コンプレックスは、大学に入ってもありました。

上では、偏差値が低くかったけど国立大学に逆転合格!みたいなサクセスストーリーのように見せました。しかし、そんな甘いことはありません。

まず、私が入学したのは国立大学でも一番偏差値が低い琉球大学です。地元の友達からは島流しといわれるくらい、結構低い大学です。#いい大学ですよ?

当初は、地元宮崎の宮崎大学や、隣の大分大学を狙っていたので、ある種国立大学というブランドだけで琉球大学に来たといっても、過言ではありません。

高校時代一緒に勉強頑張っていた友達は、宮崎大学に合格したり、鹿児島大学に合格しています。正直うらやましいなと思う反面、自分が努力してこなかった反面かなとか思いました。でも違うんです。努力はしてきたんです。

努力しても越えられない壁を、大学入学しても引きずります。

それだけならまだしも。私は大学内の繋がりより、他大学の繋がりを増やしていったので、宮崎大学や大分大学や、九州大学や、広島大学の人たちとよく話します。中には、京都大学や東京大学の人とかもいて、超大型巨人初登場くらいのビビり方をしていました。

超えられない壁を越えた人たちがいる。

また、自分とは一線も二線も画しているような人たちと出会いました。最初のほうは、大学名を見てその人を見ていました。ひどい野郎ですね僕。#一回寺に籠ります。 #マインドフルネス

しかし、その人たちと交流していて気づいたことがあるんです。

比べる以前に勝てないところにはいかない。

気づいたことは、話している内容は意外と似ていることでした。

例えば、英語。例えば、留学。例えば、GPA。

いわゆる、優秀な大学生が力を入れていることは大体似ているなと思ったんです。#大学生の方共感してくれ!!

その時私は思いました。

「この人たちと土台で負けていることをやっても意味がない」

土台で負けていることっていうのは、アドバンテージがあるかないかです。英語でいうと、大学時代の英語の勉強で変わる人もいます。しかし、大半は高校時代や中学時代から英語が得意な人が、英語を勉強しているイメージがあるんです。

つまり、優秀な人と自分を比較したときに、過去の積み上げの影響している分野ではなるべく戦わないようにしよう。と思ったんですよね。

なので、私は英語は勉強していません。英語が嫌いというわけではないですよ?意外と好きですよ?ただ、単純に相性が悪いので勉強はしていないだけです。

土台がないところを探していく。

過去の積み上げがないところ。大学生活に入ってから積み上げていくことってなんだ?

そんなことを考えて、土台がないところを探しました。

というか、よくよく考えたら大学の勉強をしまくって、めっちゃいい成績をとってその分野で一番を目指そうと思ったら研究者になりますよね。僕研究者にはならないとおもったので、大学の勉強を思いっきりやるのもやめました。

話を戻します。

土台がないところを探すといっても何がありますかね?ただ、よくよく考えるとわかりやすいです。意外と簡単です。

「高校時代に沢山やってきたこと以外」です。

数学の問題を解きまくるとか、英語の長文を読みまくるとかですね。

これらは辞めました。

だって、学歴がいい人のほうが1万倍速く読めるし、速く解くことができるんですよ~。諦めるしかないじゃないですか。

そんなん無理なんです。勝てるはずがないんです。

なので、高校時代にたくさんやってきたこと。それの延長からは今逃げています。

他の人がやっていないことを見つけて、やってみて考える。

昨日、挑戦と失敗挫折の記事を書きました。

友人から、何個かコメントを頂いて非常にうれしいです。

でも冷静に考えると、「なんでそんな挑戦と失敗挫折をしているんでしょう?」その背景は、この記事では書いていません。

実は、その背景にあるのが学歴コンプレックスだったんですよね。

私は、高校時代から大学に進学するときに、リセットされること、はじめましてのことを沢山やってみて失敗挫折をしてきたんです。

言い換えると、ほかの大学生がやってないことをやって失敗挫折してきたんです。

そして、やってみて「あ、これは苦手だ」を気付いて辞める。そしてまた小さくやってみる。

そんなことの繰り返しです。

沢山の失敗から得たスキル。

昨日の記事の後半に、「失敗挫折から得たこと」を書きました。

ただ、実はもう一個得た能力があるんです。

それは何かというとですね。

一言でいうと、イメージ力がつきました。

イメージ力とは、何かをしたい!と思ったときに、適切な手段をイメージして選択できる能力のことを指しています。#自己定義

例えば、今年の1月に「本を作りたい!!!」と私は思いました。

もし、大学1~3年生の間に勉強だけをしていると、「何をすれば実現できるんだろう?」となると思います。

そして、「本 作る 方法」とかでネット検索をかけて、自費出版の価格をみて「これは無理だ~。」と思ってあきらめると思います。

しかし私は違いました。いろいろと手を付けていったからこそ、資金はクラウドファンディングという手段で調達できると発想でき、SNSを使ってきたからこそマーケティングもできました。

取材ライターを経験してきたから、自分で自分の考えを客観視することが人よりもでき、短い言葉でまとめることができました。

ライブ配信をしたり、ラジオ配信をしてきたからこそ、人に伝える方法に興味を持ち、話し方やコミュニケーション、プレゼンの仕方を学びました。

動画編集のインターンに飛び込んだからこそ、クラウドファンディングのスタート時に語る動画を作ることができ、スタートダッシュをきれました。

イベントを作ってきたからこそ、スタートダッシュイベントを企画できました。

もちろん、一緒に活動してくれた仲間や、いろいろ教えてくださった先輩や社会人の方々のご協力のおかげです。#マジ感謝です。

そんな感じで、小さな挑戦と失敗挫折を繰り返してきたからこそ、手段が増えイメージがつくことができるようになったんです。

今回のクラウドファンディングは、今までの大学生活3年間の小さな挑戦と失敗挫折が組み合わさって達成できたことだとよく思っています。

まとめ

ちょっと主題からずれているように感じるかもしれないので、一つまとめます。

つまり、学歴コンプレックスすぎて、高学歴の人と差別化を図るために、中高のの積み上げから逃げました。そして、新しい分野の小さな挑戦と失敗挫折を繰り返してきた結果、今までの経験が組み合わさり、大きな挑戦を一つ成功することができたんです。

意図的ではないのですが。実は、このことは振り返って気づいたんです。

上の動画は、超絶有名なApple創業者のスティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチです。3つの話のうち、おそらく一番有名なのが一番初めの話。

connecting dots

意図的ではなかったのですが、自分もこの体験をしてきたんです。

点と点が繋がり大きな価値を生み出す。大きな武器になる。

学歴コンプレックスを持っているのは、僕も同じ。なので、伝えたい。

勝てる場所を見つけようと。

僕はまだ見つけきれてないです。いっしょに探していこうと思っている方。いっしょに探しましょう!


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