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神社は長い間、全く変化せずに存在してきたのか。

当「隠津島神社」は西暦769年(神護景曇3年)に勧請(創立)され、今年で1251年を迎えました。

よく驚かれる方が多いのですが、神社やお寺の世界では創立されて1000年とかはそれほど珍しくありません。それに時間軸があまりにも長いので私自身も1251年とか言われても今だにピンと来ていません(笑)

ただ、一般的な企業などの組織の歴史と比べるとやはり1000年はあまりにも古い歴史であると感じざるを得ません。

さて、2020年は何が起きなくても世界のシステムや秩序が大きく変わり始める年だと予想していた人が多かったようですが、新型コロナウイルスの感染拡大により、10年かけて変わるようなものが、1〜2年で激変してしまうような時代になると言われています。

神社界隈でも環境が変化せざるを得ない事態が起こるのではないかと予想されています。

普段から参拝者が少ないような小さな神社は、そこまで大きな影響はなさそうですが、誰もが知っている大きな神社では、参拝者で年中賑わっていますので、今後長期に渡って「三密」を守らなければならない事態が続けば、参拝者数が減少することが予想されます。

神社も収入がないと維持できませんので、そうなると従来の宗教行為を見直さなければならない事態になるかもしれません。

では一体どんな方法があるでしょうか。

例えば「バーチャル参拝」

ご利益なさそー(笑)

まあ実際そう思う日本人は多いでしょうし、日本人固有の信仰心が神社を支えているといっても過言ではありません。

その「バーチャル参拝」ですが、名前の通り、神社に行かずとも動画やVRで境内での参拝を体験できるというものです。実際そういった取り組みをしている神社はコロナ禍以前から存在しています。1000年の歴史の中でバーチャル参拝などもちろんあり得なかったし、そういった技術が数年前からあったにも関わらず、導入するような神社はほんの一部でした。

しかし、現実問題、外出の自粛が今後2年くらい続いた場合、神社などその場に赴いて何かを体験するということができなくなりますので、神社のような業種はおろか、観光地などは軒並み存続が難しくなるかもしれません。

そうなると、いよいよ「バーチャル参拝」でも導入しないとやばいんじゃないか、と思う神社は出てくると思うんです。それほど新型コロナウイルスによる影響は多大だと思います。

ここで多くの神社でジレンマを抱えます。

コロナ禍とはいえ、1000年も続いていた神社で「バーチャル参拝」なぞ導入してもいいものか。モニター越しでご利益を得られるのか、と。

でもこのジレンマって、神社に限らず、多くの日本人の違和感でもあると思うんです。

キャッシュレスが浸透しつつあるけど、お賽銭までキャッシュレスだったらなんだか風情がないなぁ、とか。

クレジットカードでお守り買うのもなんだかなー、とか。

そこで今回のお題です。

神社は長い間全く変化せずに存在したのか。

由緒正しい神社とか、長い伝統を受けついできたとか、神社って長い間不変であるイメージがありますよね。当社も創立から1251年間現存しており、現在の宮司は初代から数えて62代目になります。それもこれも先人たちが伝統をしっかり守り、変化に耐えてきたから今存在できていると。

はじめに結論を言います。

神社はめっちゃ変化しまくりです。

むしろ時代の変化に合わせてめちゃくちゃ柔軟に対応しています(笑)

もちろん、全ての変化を肯定的に受け入れてきたとは思いませんし、変化せざるを得ない時代もたくさんあったでしょう。先人たちは、我々子孫に神社を残すためにいろいろ工夫や努力を重ねて変化をしてきたはずです。

それでもなんだか、神社って長い期間ずぅーーと不変であった感覚を覚えてしまいます。

そもそも、現在の「隠津島神社」本殿が竣工したのは西暦1800年でした。たしかにそこから220年はほぼ当時のままです。

それでも1251年の中の220年です。

220年の間には大型台風による境内の崖崩れや、境内末社の三重塔の倒壊、東日本大震災での被災がありました。ただこのときは幸い大規模な損壊には至らず、基礎と社殿の傾きの修理ですみました(それでも大変な復旧工事でしたが…)。

そうは言っても220年前です。

1251年前の769年は、平安京が遷都される25年前です。そのような時代のここ東北の地に、今のような境内施設があったとは考えられませんし、実際祭祀の形跡が残っているのは本殿裏にある巨大な岩壁です。その岩壁に神威を感じ、その岩壁の前かその付近で祭祀を営んでいたと考えられていますので、宗教施設としてはおそらくごくごく簡易なものだったと思います。

そのころから神社の変遷はこう考えられます。神様が神聖な岩壁に宿っているから、少しでもこの神様を俗界から守るために結界を張ろう。少しでも穏やかにお過ごしいただくために屋根のある社殿を建てよう。その社殿も人間の家と同じものでは申し訳ないから、より高くより豪華にして神様のご機嫌をとってご利益をたくさんいただこう。隠津島神社の場所は二本松藩の鬼門の場所にあたるから、豪華絢爛な社殿にするために、名工を呼んで美しい彫刻を施し、今以上の御神徳を得よう。そうして今のような社殿が出来てきたと考察します。

そう思って現在の神社を見てみると、それはそれはエラい変わりようだな、と。

8世紀の神主さんが今の神社見たら「思ってたのとちがう!」って言いますよきっと(笑)

そう考えると、現代の社殿やお祭りの仕方、参拝方法や神社の仕事ってそんなに歴史が古くないんです。遠い昔からのしきたりのように見えますが、お賽銭だって貨幣が広く流通する前まではお米をお供えしてました。ご祈祷の熨斗袋に「初穂料」って書くのもその名残です。実際私が小学生だったころまでは、お米をお賽銭箱に入れてお参りする方が多くいました。また、お米をお供えする前は絹織物など当時高級品だったものをお供えしていたようです。

なので、1000年スパンの変遷で考えると、お賽銭がpaypayでも、参拝がVRでも実はそんなに大差ないよね、ってことになっちゃうと思うのです。違和感はあるけど。

戦国時代も、幕末も、戦後も乗り超えてきた神社は、大きな渦のなかにおいてもなんとかして後世に伝えようと絶えず変化して存続してきました。

神社って変わらないものを守ってるんじゃなくて、変化してきた歴史を守ってるんだと思うんです。

奇しくも今年、我々は新型コロナウイルスという世界規模の大きな渦に巻き込まれます。神社もただでは済まないでしょう。

ですが、神社に生まれた人間として、後世にこの神社の歴史を伝えるために、やれることをやってみたいと思っています。

隠津島神社が1000年後も穏やかに存続してますように。




あ、隠津島神社はpaypay使えますので、コロナが終息した折にはお気軽にお越しください(笑)


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