仏教余話

その224
その辺りの様子は、船橋一哉博士の記述にも見て取れる。
今でも冠導本を使う人が多い。これは泉涌寺の佐伯旭雅氏の編集したものである。旭雅氏は倶舎・唯識(合せて性相学という)の大家で、倶舎や唯識のような面倒な学問をした人であるから、きっと朴念仁のような人であったろうと想像されるが、実はさに非ず、旭雅氏の書いた「倶舎論名所雑記」には、あの複雑な倶舎の教義が軽快な七・五調で綴られており、その中に、「…名高き名所は十六なれど、一部始終がむずかしい。三度・四度までも聞いても見やれ、それで解せずば、止めやんせ」なんて書いてある。「得・非得の薄霞」とか、「六因四縁の乱れ髪」とか、「滅縁滅行の金甲」というような有名な言葉は、みなこの中に出て来る名文句である。旭雅氏は人情のわかる苦労人であった、という気がする。」(船橋一哉「インド仏教への道しるべ(2)-アビダルマ仏教―」『仏教学セミナー』6,1967,pp.49-50)
ここでも、名所雑記は、学問的価値を評価されるのではなく、その洒脱な面が取沙汰されているにすぎない。ともあれ、佐伯旭雅も明治の人であり、和辻哲郎、ローゼンベルグ、そして漱石と同時代人なのである。
 

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