仏教余話

その222
最後に、何故、彼がそれほど、注目されているのか、その理由を西村氏の言葉から、聞いてみよう。
 一九九八年にローゼンベルクの生誕一一○年目にウイーンから『オットー・オットノビッチ・ローゼンベルクとロシア仏教学における彼の貢献』(Otto Ottonovic Rosenberg and his contribution to Buddhology in Russia)という一書が刊行されている。三十一才で夭折した未完の大器を悼む声はロシアでその後も絶えることがなかったのである。その夭折が惜しまれ続けるのは氏のアビダルマに関する研究はむろんのこと、尋常ならざる原語学者としての一面もあるだろう。彼の学んだ言語は何と次の十三種であったーサンスクリット、プラークリット、パーリ語、チベット語、中国語、日本語、モンゴル語、英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語。これからみても彼は渡辺のいうように文字通り「偉才」「俊才」であったといえる。(西村実測「荻原・渡辺とローゼンベルク(続)」『佐藤成順博士古希記念論文集 東洋の歴史と文化』2004,pp.250-251,p.258)
さて、和辻・ローゼンベルグなどの議論の中心には『倶舎論』がある。アビダルマという仏教の伝統哲学において、最も珍重されるのが『倶舎論』である。最近では、ほとんど話題にもならないが、明治の頃から『倶舎論』をめぐって、「体・用」論争というものが盛んであった。少し前に、簡単に触れた、荻原雲来と加藤精神の論争も、「体・用」に関するものが多い。

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