Tips of Buddhism

No.25
From the beginning of the twelfth century,especially after the codification of Atisa’s scattered teachings on mind training by Sharawa and Chekawa into the well-known seven points,master Serlingpa’s instrations on the cultivation of awakening mind as transmitted to Atisa have effectively formed the kernel of the Tibetan mind training teachings….Without a doubt,Chekawa was one of the first teachers,if not the first,who presented the key elements of Atisa’s mind training instractions in terms of seven key points.(Thupten Jinpa,Mind Training, the Great Collection,Boston,2006,p.9)(Hints Atisaアティシャ、Sharawaシャラワ、Chekawaチェカワ、Serlingpaセルリンパ、

(訳)
12世紀初頭から、取り分け「心育」に関するアティシャの切れぎれの教えは、シャラワとチェカワにより有名な「7要点」にまとめあげられた。以来、アティシャに伝授された、師セルリンパの発菩提心についての教示は、見事に、チベットの「心育」の教えの核心となったのである。…間違いなく、チェカワは、最初でないとしても、初めの師の1人である。彼は、アティシャの「心育」の教示の主要素を7つのキーポイントとして提示した。

(解説)
昨今は、瞑想ブームらしい。マインドフルネスという言葉にもよくお目にかかる。チベット仏教においては、ロジョン(blo sbyong)という修行が盛んで、チベット仏教の代表的瞑想法と言えよう。著者ジンパ氏はmind trainingと英訳する。サンプル訳では「心育」としてみた。ロジョンは、「浄覚」等と和訳されている。blo(ロ)は心あるいは意識という意味。sbyong(ジョン)は清めるという意味。それ故、「浄覚」はピッタリの訳語である。背景にあるのは、大乗仏教の「空」そして唯識の教えであろう。両者が複雑に絡み合っているので、実態はつかみにくい。
 聞きなれない名前がたくさん出てきた。いちいちについての説明は省くが、アティシャという名は、記憶に留めて欲しい。元来は、インドの僧である。彼は、チベット仏教立て直しのために、巨万の黄金を積んで、チベットに招かれた。その影響は甚大で、後にカダム派という宗派を形成するに至り、引いてはダライ・ラマの属するゲルク派を生み出す素地を作った。
 しかし、そんなにも重要なアティシャの実態は、まだ解明途上である。ほんの30-40年ほど前には、アティーシャと呼ばれるのが一般的だった。今は縮めてアティシャとする学者が大多数であるが、それも訂正されるかもしれない。つまり名前さえはっきりしない人物がチベット仏教の方向を定めたのだ。ある研究者の言葉を引いておこう。
 「アティシャ」という呼称はEimer〔アイマー〕が主張したものであり(H.Eimer[1977],Berichte uber das Leben des Atisa,Asiatische Forschungen,Band      51,Wiesbaden,pp.17-22)〔「アティシャ伝に関する報告」〕、本稿もひとまずそれに従った。Eimer以前はチベット語の音写Atisaから想定される「アティーシャ」を用いることが一般的であった。Eimerは、その意訳「phul du byun ba」〔優れたもの、完成したもの〕から想定される〔サンスクリット語の〕「atisaya」を通じて「Atisa」という尊称が可能であると結論付ける。筆者には尊称としては「アティーシャ」の方がふさわしく感じられ、今後再び結論が修正される可能性もあると考えているが、チベット語の音写に「アティーシャ」という形は見つからず「アティシャ」と音写されるのが普通であるのは確かなので、本稿でも「アティシャ」を用いることとした。(宮崎泉「アティシャの中観思想」『シリーズ大乗仏教2 大乗仏教の誕生』2011所収、p.162の注(1),〔 〕内筆者の補足)

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